松本紹圭(僧侶)
ジューストー沙羅(アーティスト / Aww Inc. プロデューサー)


仏教を現代に翻訳し続けてきた僧侶・松本紹圭氏がホストを務め、さまざまな分野の若きリーダーたちと対談する「Post-religion対談」。今回はバーチャルヒューマンを手がけるプロデューサー・ジューストー沙羅さんをゲストに迎えます。
バーチャルヒューマンは、3DCG技術を駆使して生まれ、人間と変わらぬ姿で時代を駆け抜けるデジタルキャラクター。そして、ジューストー沙羅さんが手がけるバーチャルヒューマンの一人が「imma(イマ)」です。
身体を持たずして「生きている」と感じさせるimmaの存在が、今、人々の心を動かしています。そのとき私たちは「人間」をどう定義し直せるのでしょうか。そして、immaのあり方は、仏教思想とどのように響き合うのでしょうか——。リアルとバーチャルの境界が溶けつつある時代に、人間らしさをどこに見出すのかをめぐって、二人の対話が深まっていきます。技術と精神性、仮想と現実という異なる領域が交差することで、これからの「人間」の輪郭が浮かび上がります。


immaオフィシャルサイト    https://beacons.ai/imma_official 

第1話    SNS時代の新しいストーリーテリング


■SNS時代のストーリーテラー、バーチャルヒューマン

松本    最初に沙羅が手掛けているバーチャルヒューマンについて教えてもらっていいですか?

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ジューストー沙羅さん(左)と松本紹圭氏(右)(撮影=横関一浩)
沙羅    OK。バーチャルインフルエンサー「imma(イマ)ちゃん」をプロデュースしているジューストー沙羅です。immaちゃんは「バーチャルヒューマン」と呼ばれる存在で、彼女はネット上、たとえばInstagram、TikTok、YouTubeといったSNSで、まるで本物の女の子のように日常を発信しています。私は、そんなimmaちゃんをゼロから企画・制作し、プロデュースや配信まで、トータルに手がけている会社で働いています。

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imma(イマ)をプロデュースするジューストー沙羅さん(写真提供=ジューストー沙羅)
    会社の名前は「Aww(アウ)」といって、英語のネット用語”Aww”から取られた名前です。可愛い!とか感動した!というときに使う単語です。感情を動かす存在を、バーチャルで創りたいという思いで、プロデューサーとしてやっているところです。
    Awwにはバーチャルヒューマンが今、十体くらいいるんですよ。

松本    数え方は「体」なんだ(笑)。

沙羅    人(にん)でもいいんですけど(笑)。immaちゃんがメインではありますが、新しいアバターを生み出すことにも取り組んでいます。実は、immaちゃんには弟がいて、その弟には彼女もいるんですよ。
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2024年4月、「TED conferences」に登壇したジューストー沙羅さん。後ろにはバーチャルヒューマン姿が並ぶ。
(写真提供=ジューストー沙羅)

松本    バービーの家族みたいに。

沙羅    そうそう。弟はめっちゃかっこよくて「イケメン〜♡」みたいなDMがよく来ますね。immaちゃんより来ます。

松本    そうなんですね。人間以外の何か、バーチャルドッグみたいなのもいますか?

沙羅    いますよ。でもimmaちゃんが飼っている犬はリアルです(笑)。

松本    えっ、犬はリアル。

沙羅    リアルの犬です。immaちゃんの犬です。

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(撮影=横関一浩)
松本    これまで人類は果てしなく多くの物語を生み出してきましたよね。漫画のキャラクターや小説の主人公といった存在も、ある種のバーチャルヒューマンだと思うのですが、それとはどう違うのでしょうか?

沙羅    フィクションを通じて人間の生き方を描くことに関して、人類は驚くほど優れていると思います。その表現手段は時代とともに進化してきました。神話という「語りごと」から始まり、文字による書籍へ、そして手塚治虫さんに代表されるアニメーションへ。さらに映画や写真といった実写の表現が加わり、その最先端に「バーチャル」という手段が位置しています。
    例えば『トイ・ストーリー』は3Dモデリングで制作された画期的な作品でした。コンピュータ内で彫刻のようにキャラクターを創造し、それをパペットのように動かす――これがディズニーやピクサーが切り開いてきた表現の形です。
    じゃあSNS上で映画みたいなことってできないのかな、という問いに対して現れた答えが、immaちゃんなんです。今の時代、私たちが他人のストーリーを知る主な場はSNSです。松本さんのFacebook投稿を見れば、「あ、松本さん元気にしてるな」ってわかる。投稿ってストーリーテリングじゃないですか。松本さん自身が何も発信しなければ、私たちには何も伝わりません。
    SNS時代の今、個人が映画と同じレベルの発信力を持っています。それならバーチャルヒューマンだってストーリーテリングできるんじゃない?というのが始まりです。言葉で説明すると難しく聞こえますが、本質的にはとてもシンプルな考え方です。

■SNSはフィクション?    バーチャルヒューマンが揺さぶる現実感

松本    SNSは現代において、人々が他者の人格とつながり、一定の連続性や継続性を持って関わり続けるためのプラットフォームですが、そこにバーチャルヒューマンという新たな要素が加わったわけですね。

沙羅    SNSってみんなノンフィクションだと思っているようですが、私はフィクションじゃないかと思ってしまうんです。

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(撮影=横関一浩)
松本    ブッダの立場から見れば、すべてはフィクションと言えるのかもしれませんが(笑)。一応、ノンフィクションとして楽しむことを前提としているプラットフォームに、あえて「人格的なもの」を載っけているのがバーチャルヒューマンだと。

沙羅    そう。私にはごく自然なことなのに、周りの人は「どうして?」と首を傾げるんです。フィクションの映画では涙を流すのに、SNSを現実の場と決めつけているから、バーチャルヒューマンが現れると戸惑ってしまう。

松本    仏教には釈迦牟尼仏陀(ブッダ)と、例えばこのお寺(神谷町光明寺)の阿弥陀仏のように、様々な仏が存在します。阿弥陀仏は実在しない、いわば「フェイク」の仏なんですよ。だから「作り物の仏ではなく、歴史上実在した釈迦牟尼仏陀に回帰すべきだ」という議論は古くからあります。
    確かに、釈迦牟尼仏陀から始まった仏教は、大乗仏教の発展と共に多くの「フィクション」が生まれ、複雑化してきました。確かにそれはそうかもしれない。でも考えてみれば、釈迦牟尼仏陀は今は亡き人です。つまり「会えない」という点では、釈迦牟尼仏陀も阿弥陀仏も同じなわけで、この「会えない仏にどう会うか」という課題に対して、仏教は様々な解決法を発明してきました。「フィクション的な仏ではなく実在の釈迦牟尼仏陀が良い」と考える人には釈迦牟尼仏陀が、そうでない人には阿弥陀仏や大日如来など、受け手の好みによって、多様な仏の形が用意されています。
「お釈迦様のような実在人物がいい」という人と、「実在しない人格がSNSで活動するのは受け入れられない」と感じる人々の反応は、ある部分で重なり合うかもしれない──そんなことを考えながらお話を伺っていました。

沙羅    いや、本当に。でも「存在するものだけを信じる」という考え方には、どこか反人間的なものを感じてしまうんです。人間の脳も社会も、ほとんどが神話で構成されていると思うから。情報社会において、「真実」と「非真実」が白黒はっきり分けられていると思い込む傾向が危険だと思うんですよ。「共通の真実がある」というそれ自体が一つのフィクションじゃないですか。こうした考え方の人は往々にしてimmaちゃんを激しく攻撃します。

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(撮影=横関一浩)
    でも私は、すべてがフェイクであり、同時にすべてがリアルだと思うんです。会社では常々「信じられるものこそが真実」と言っています。重要なのは「信じる」ではなく「信じられる」こと。リアルと感じ、感動できるものこそがリアルなんですよ。単に物質として存在するからリアルなのではなく、それに感動し、リアリティを感じられるかどうか。だからこそ「信じさせる」ことが重要だと思っています。このために私たちはクリエイティブな思考を最大限に働かせなければいけないと思っていて。この努力を放棄した人々が「この写真はフェイクだ」などと安易に主張しているんじゃないかなって思うんです。
    人間は本来、妄想でできている生き物ですよね。「私たちは友達」という共通の妄想ができるからこそ争わずにいられる。動物にはできないことです。もちろん人間も生物学的には動物ですが、ここまで発展できたのはまさにその妄想力のおかげです。

(第2話につづく)




第2話    バーチャルヒューマンと日本のアニミズム(2025年7月17日午前7時公開)