〔ナビゲーター〕
前野隆司(慶應義塾大学)
安藤礼二(多摩美術大学)
〔ゲスト〕
川野泰周(神奈川県林香寺)
白川宗源(東京都廣福寺)
慶應義塾大学の前野隆司先生(幸福学研究家)と多摩美術大学の安藤礼二先生(文芸評論家)が案内人となり、各宗派の若手のお坊さんをお呼びして、それぞれの宗派の歴史やそれぞれのお坊さんの考え方をざっくばらんかつカジュアルにお聞きする企画、「お坊さん、教えて!」もいよいよ最終回。臨済宗の川野泰周さん(林香寺)白川宗源さん(廣福寺)をお迎えしてお送りします。
慶應義塾大学医学部をご卒業され、日本で唯一の精神科医兼禅僧として、禅や仏教の瞑想をもとにしたマインドフルネス実践による心理療法に取り組む川野さん。修行仲間である白川さんは早稲田大学のご出身。現在は複数の大学で中世禅宗史、日本文化史を教えられており、こちらもたいへんな学究肌でいらっしゃいます。今回はこのようなお二人に臨済宗の特徴から「坐禅とマインドフルネスの関係」、「坐禅をすれば悟れるのか?」といったお話まで、軽快に語っていただきます。
「お坊さん、教えて!」の最終回、どうぞお楽しみください。
(1)僕たちがお坊さんになったわけ
■2011年入門の修行仲間
前野 皆さん、こんにちは。「お坊さん、教えて!」も最終回となりました。慶應大学の前野です。
安藤 多摩美術大学の安藤です。よろしくお願いいたします。
安藤 最終回は臨済宗から川野泰周さんと白川宗源さんに来ていただきました。仲良く一つの画面に出てくださっています。自己紹介をお願いいたします。
修行仲間の川野さん(右)と白川さん
川野 臨済宗建長寺派林香寺(りんこうじ)で住職をしております川野泰周(かわのたいしゅう)と申します。
今日は建長寺の専門道場で3年半修行を共にした仲間であり、私がいつも頼っている心強き友人でもある白川宗源(しらかわそうげん)さんと一緒に出演させていただきます。
白川 東京都昭島市の臨済宗建長寺派廣福寺(こうふくじ)で副住職をしております白川宗源と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
前野 修行仲間ということは、川野さんと白川さんは同い年なんですか?
川野 私のほうが5つか6つくらい上ですが、たまたま同じ時期に修行をした同期なんです。臨済宗の修行道場「僧堂」では、修行の同期のことを「同夏(どうげ)」と言います。
ただ、同夏と言っても僧堂では山門(道場の入り口の門)を一歩でも早く跨いだ人間が上の位なります。白川さんのほうが――いつものように以降は「宗さん(しゅっさん)」と呼ばせていただきますが――宗さんのほうが早く入門しましたので、4つも単1(たん)が上なんです。同期6名のうちのトップバッターが宗さんでした。
白川 私は2011年4月1日に入門しました。
川野 私は4月26日に入門しましたので、3週間の差です。3週間の差というのは非常に大きいものなんです。
前野 そうなんですね。
川野 私は単が上の仲間が4人もいましたから、彼らがやったのを見てやればいいのでずいぶん楽でした(笑)。
前野 4月1日に入門したら一番になるかもしれない、ということもわかった上で白川さんは4月1日に入門されたのですか?
白川 一番になるかもしれないとは思っていましたが、きりがよいので深く考えずにその日に入門しました。川野さんは──以降はいつものように「泰さん(たいさん)」と呼びますけれども──泰さんはちゃんとした理由があって遅く来たんですよね。
川野 そうなんです。私は精神科医として臨床を直前までやっていたために少し遅い入門となりました。
2011年の4月といいますと、3月11日に起きた東日本大震災の傷跡がまだ大きく残っていた時期です。私は「世界の医療団」というボランティア団体の一員として、岩手県の大槌町で1カ月ほどボランティアの精神科医として被災者の方々への傾聴や診察にあたっていました。それが終わってからの入門となりましたので、少し遅くなったのです。
2011年被災地にて。前列右が川野さん(写真提供=川野泰周)
今考えてみると、もし私が早く入門できていて一番上だったとしても、とても宗さんのように機敏には動けなかったなと思うので、なるべくしてそういう順番になったのかなと思っています。
■日本で唯一の禅僧+精神科医
前野 「お坊さん、教えて!」ではいつも生い立ちからお聞きしています。川野さんは林香寺のご住職ということは、もともと住職の家系だったのでしょうか? 子どもの頃はどんなお子さんだったんですか?
川野 私は林香寺の一人息子として生まれました。一人息子ですから私がお寺を継ぐか、あるいは他の方に入っていただいて林香寺を継いでいただくかという選択肢しかなかったのですが、先代も先々代も、つまり父も祖父も――二人とももう他界していますけども、とてもお寺を大事にしていたんです。祖父は地域の檀家さんから慕われた川野清吾という和尚で、そういうおじいちゃんのあり方を見て「ああ、お寺を守っていくのって楽しそうだな」と小さい頃から思っておりました。
祖父は私が7歳のときに亡くなり、父が住職になりました。父は檀家さんと交流するよりも本堂の隅の暗がりで一人坐禅をしているようなタイプでした。子ども心に坐禅をしている父の後ろ姿がミステリアスで、何かとても深いことに向き合っているのではないか、そんな感じがしていました。
そういう好奇心もあって、私自身はお寺を継ぐということにほとんど疑問を持たなかったように思います。
そんな父は若い頃から重度の持病を持っており、治療の甲斐なく私が17歳、高校3年生のときに亡くなりました。
お寺を継ぐことに対して葛藤はなかった私ですが、実際に修行に入るまでにはだいぶ回り道をしました。というのも、人の心のあり方というものをより知った上で、お坊さんになりたいと思ったからです。
高校時代の私には「坐禅をして何になるのか?」という率直な疑問もありました。ですから坐禅というものが人の心にどういう効能をもたらすのかを理屈で解明したいと思って、まずは医学の道で精神医学を専攻することにしたのです。
そんなこんなで医学部で6年、精神科医として6年間臨床に従事した後に入門しましたので、新卒で入ってこられた修行僧の皆さんよりも8年遅れ、30歳での入門となりました。
前野 なるほど。22歳で大学を出て入門される方が多いのですね。
川野 ひと昔前は高校を卒業して入る方も多かったのですが、最近は大学を出て22歳で入られる方が多いですね。
前野 大学は慶應の医学部ということですが、高校も慶應だったのですか?
川野 私はSFC(湘南藤沢キャンパス)に中等部(中学)が設立されてから2期生にあたります。上級生が1学年しかいない中学に入学しました。
前野 中学からSFCなのですね。それで高3のときにお父さんが亡くなられたと。たいへんなときに医学部へ入られたのですね。
川野 父が亡くなったのは高校3年生の夏でしたので、進学志望を出す直前に人の生き死にについて考えることになりました。そのことが医学というものに興味を持つきっかけの一つにもなったと思います。
前野 精神科医もお坊さんも心を扱っているところが共通していると思いますが、兼務されている方は意外と聞かないような気もします。他にもいらっしゃいますか?
川野 精神科の診療をしながら住職としてお寺のおつとめもしているという方に今まで私は出会ったことがなくて、少なくとも禅僧で精神科医というのは私一人ではないかと思っております。もしいらっしゃったら申し訳ないのですが、今のところ聞いたことがありません。
私は精神科医として、禅や仏教の瞑想をもとにしたマインドフルネスを専門にしています。マインドフルネスというものが医療の世界で心のケアに使われるようになった時代に、禅僧と精神科医という二つの仕事を選択できたのはすごく幸運なことだと思っています。
精神科医としてもご活躍されている川野さん(写真提供=川野泰周)
■禅僧+学者
前野 白川さんもお寺のお生まれですか? どのような生い立ちでお坊さんになられたのでしょうか?
白川 私は廣福寺に生まれ、姉はいますが男は私一人だったので、小さい頃からお寺の手伝いなどをさせられまして、「いずれ自分がお寺を継ぐんだろうな」という感覚で育ちました。
白川宗源さん(写真提供=白川宗源)
前野 白川さんも反発はなかったということですか?
白川 流れに身を任せるといいますか、こういう境遇に生まれたからには継ぐのが自然だろうと思ってお坊さんになりました。ただ、私も大学卒業後すぐに修行道場に入ったわけではなくて、日本の歴史や文化を研究する学者になりたいと思い、大学院修士課程に進学し、その後に修行に行きました。ですから周囲の人たちよりも多少遅れて道場に入門したということになります。
前野 白川さんは研究と仏道の両方をやられているということなのですね。分野は違いますが、二人とも学究肌ですね。お二人とも特に反発せずになったというのは、お二人の性質なのか、臨済宗の性質なのかどちらなのでしょうか? 曹洞宗も一人は反発せずになったと仰っていましたけれども、禅宗には反発しない何かがあるのでしょうかね?
川野 いえいえ、仲間のお坊さんたちには若い頃だいぶ反発したという方がたくさんいますので、たまたま反発しなかった二人が今日来ているだけだと思います(笑)。
(つづく)
(2)臨済宗の特徴とは