池田久代(翻訳家)
聞き手:森竹ひろこ (コマメ)


同時代の仏教をめぐる様々な領域で活躍する人を通して知り、体験するインタビューシリーズ「今ここにある仏教」。仏教実践者でライターの森竹ひろこ(コマメ)さんが、今その言葉をお聞きしたい方を訪ねて、お話を伺っていきます。第1回は1995年から長年にわたりティク・ナット・ハン師の著作を翻訳してきた翻訳家の池田久代氏。自らも瞑想者としてティク・ナット・ハン師の教えを伝える「サンガ」グループを主催する池田氏にティク・ナット・ハン師との出会いからサンガ活動を通して考えるエンゲージドブッディズムのことなどを伺った。


第1回    ティク・ナット・ハン師の教えとのめぐり会い、そして初来日


●「私を作った」出会い

──池田先生は多くのティク・ナット・ハン師の本を翻訳され、日本で最も歴史のあるプラムヴィレッジ・スタイルのマインドフルネス実践グループである「バンブーサンガ」の設立者ですが、もともと仏教に関心があったのでしょうか?

池田    実は、私はティク・ナット・ハン師の"Peace Is Every Step"(邦題『微笑みを生きる』)に出会う前は、仏教にあまり関心を持てませんでした。出身地の山口県は浄土真宗が多く、実家は浄土宗でした。確かにお寺は長い歴史があり、伽藍(がらん)は立派で、代々のお墓もありますが、何も伝わってきませんでした。それどころか断然キリスト教のほうが面白いと思えて、興味を持っていたんですね。
    でも、タイ(ベトナム語の「先生」。ティク・ナット・ハンの生徒は、敬愛を込めてこのように呼ぶ)の"Peace Is Every Step"を読んでね、これが仏教だったら私もぜひ勉強したいと思いました。その時はまだ仏教に対する知識も浅くて、これが本物かどうかわかりませんでしたが、ピンとくるものがありました。

──仏教に関心がなかった池田先生が、なぜ禅僧が書いた"Peace Is Every Step"を読まれることになったのか。それまでの経緯を、お聞かせください。

池田    私はティク・ナット・ハン先生にお会いする前の1989年ごろから、渡辺臣(しん)先生という優れたヨーガ指導者のもとで学んでいました。ヨーガというと一般的に体操のようなイメージが強いですが、先生は古典の原典主義者で、バガヴァッド・ギーター【*1】やヨーガ・スートラ【*2】といったものを中心としたインド哲学の講義にも力を入れていましたし、サンスクリット語も教えていました。ヨーガの実践も体操的なもの以上に、瞑想を重視して指導されましたね。渡辺先生との出会いは非常に強烈で、今の私を作ったと思います。

──どのようなところに、「私を作った」と言われるほど影響を受けたのですか?

池田    私の世代の女性は男性に負けないように、とにかく頑張って結果を出すといった価値観を持っていました。大学で英文学を教えていた私も、そのような上昇志向があり、とにかく何かをやって成果を上げていくことに価値を置いていたのですね。その頃の私は、それが普通だと思っていましたが、渡辺先生と出会い、それだけではないことを知りました。初めて、本物に出会ったという感じですね。
    それで、とにかく勉強したくて、先生のもとで学ぶグループに入り、家族で合宿にも参加していました。


●『微笑みを生きる』の翻訳

    渡辺先生はヨーガやインド哲学だけでなく、仏教やキリスト教にも研究を広げて日本にいながらいちはやくティク・ナット・ハンのことも高く評価されていました。海外から英語の本をどんどん取り寄せて私たちに勧め、その教えを勉強する通信講座も開催されていました。

──インド哲学の渡辺先生が、禅僧の教えを講義されていた。

池田    はい、先生はラマナ・マハリシなどのインドの霊性だけでなく、仏教の唯識や上座仏教、キリスト教などにも興味を持たれ、私たちに 教えておられました。
    当時、90年代の初め頃から、ティク・ナット・ハンの本を何冊か紹介され、最初にタイの"Peace Is Every Step"を取り上げられました。その学びの中から、1995年の日本リトリートのための翻訳書として私の翻訳を出版することになりました。それがタイとの出会いです。

──それでは、ティク・ナット・ハン師の翻訳は、まずは自身の学びのために始められたのですか。

池田    はい、私は英文学が専門ですから、自分の勉強も兼ねて翻訳をしました。渡辺先生も「勉強するには訳すのが一番」と言われていました。それで、仕事の合間をみつけては一年がかりでゆっくりと味わいながら翻訳を進めて、完訳したのはタイが来日される前年の1994年でした。

──翌年にティク・ナット・ハン師が来日されますが、それに合わせて翻訳したのではなく、たまたまその前年に翻訳が完成されたのですね。

池田    はい、偶然です。アメリカで出版された直後に原本が私の手元に届き、たまたま翻訳が来日に間に合いました。それを考えると、出会いの妙を感じますね。
    それをタイの招聘プロジェクトの代表の中野民夫さんが春秋社に推薦してくださり、『微笑みを生きる』として出版することになりました。中野さんはこの本の巻末に、タイが指導されたリトリートに参加した体験記を書いてくださいました。

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サンガ活動の拠点のひとつ「HAR HOUSE(ハルハウス)」の前で池田久代氏

●1995年、ティク・ナット・ハン師の来日

──ティク・ナット・ハン師が95年に来日された時はスタッフをされました。

池田    はい、私たち渡辺先生のヨーガの勉強のグループは、関西のイベントのお手伝いをしました。中野民夫さんと事務局の島田啓介さんは全体を統括されていましたが、私たちはタイの一行が関西に滞在されていた時だけサポートしました。
    前年にできたばかりの関西空港に、タイが大勢のシスター、ブラザーを連れて降り立たれた日のことを鮮明に覚えています。ご存じのように阪神淡路大震災が1995年の1月17日で、来日されたのはその3カ月後で、まだ神戸の道路はめちゃくちゃな状態でした。それで、関西空港からボートで宿泊先の神戸YMCAまでお連れしました。
    タイはYMCAに着いたら、まずベトナムの方々が避難されているテント村に行くとおっしゃいました。震災では多くのベトナム人も被災して、一カ所に集まってテント生活をされていたのです。そこにお連れすると、タイは一つ一つテントをめくっては、跪(ひざまず)いて頭を突っ込むようにして話をされていました。その姿が、とても印象に残っています。

──被災された方々に、どんなお声がけをされたのでしょうか?

池田    その時は遠巻きで見ていたので聞こえませんでしたが、後で「深くしっかりと今を生きてください。大変な状況だけど、他のことを考えないで、今ここを生きてください」、そういった言葉をかけられたと聞きました。

──この年は来日ツアーの直前の3月にも、世界に衝撃を与えたオウム真理教の地下鉄サリン事件がありました。師はこの事件やオウム真理教に関して、何か言及をされていましたか?

池田    オウムに関しては、渡辺先生から聞いたのだと思いますが、「宗教がいくら見事なものであっても、人権を守らない団体、指導者は宗教指導者ではない」とおっしゃったようですね。


●子どもたちに良い種をまく

──来日時にサポートをされて、特に印象に残ったことを教えてください。

池田    比叡山のリトリートには子どもと一緒に参加できることになったので、小学校の高学年だった娘たちを連れて行きました。会場には100人ぐらい参加者がいましたが、法話では初めに14、 5人ほどいた子どもたちを前列に並べてお話をされました。話が終わったらシスターたちがサーッと子どもを外に遊びに連れ出して、その後は大人に向けて法話をされたのを覚えています。びっくりしました。
    普通は、「子どもには難しいから、後ろでおとなしく待っていなさい」となりますが、まず第一が子どもでした。子どもを宝物のように扱われるお姿にとても親近感を持ちました。

──その時の娘さんの反応はどうでしたか?

池田    歩く瞑想でタイに手を繋いでもらうのを、子どもたちは嫌がるんですよ。中野民夫さんも、娘さんはイヤイヤながら歩く瞑想に出たとおっしゃっていて、どこも同じだなぁと思いました。(笑)
    でもね、子どもたちに素晴らしい種をまいてくださったと思います。うちの娘は、まだ発芽していませんが、こんなすごい方と手を繋いで歩いたということに、いつか気がついてくれると思います。


●修行あっての翻訳

──池田先生は『微笑みを生きる』を翻訳されて以来、ティク・ナット・ハン師の書籍の翻訳を続けています。

池田    それまでは、私のような大学の語学の教員が翻訳家になるなんて思ってもいませんでした。ですから、ティク・ナット・ハン師との出会いが、私の人生を変えたと思います。

──池田先生もそうですし、同じく師の書籍を翻訳されている島田啓介先生もそうですが、その教えを自ら実践し、教えを生きている方たちが翻訳をされています。実践者が翻訳することの意義や価値を、どのようにお考えですか?

池田    そうですね、言語能力や感性など全てに秀でた人が訳されたらわかりませんが、私は実践とペアでなければ難しいですね。
    例えば座って瞑想をしていても、いろんなことを考えてしまう習慣のエネルギー「習気(じっけ」 」からは離れられません。自分の心の中にある岩みたいなもの(しこり)に気づきながら瞑想をすることで、タイの語られることを一つ一つ腑に落として言葉を紡いでいきました。ですから私に関しては、瞑想の修行がなかったらタイの翻訳はできないと思います。やはり自分のアタマだけの理解では限界があります。

──師は詩的な表現も多く、その繊細なニュアンスを日本語に訳すのが難しいときもあるのではないですか?

池田    私は行き詰まったらそのフレーズがアタマから離れず、一週間ぐらい心の中で反復しながら、「これは何を言いたいんだろう」と問い続けます。そのようにしていると、あるときぴったりなフレーズがやってくるんです。それは実践をしていなければ無理ですね。


●日本人の感性

    翻訳者というのは、絶対にオリジナルと違うことを入れてはいけない、自分のスタイルを入れてはいけないというのは基本ですが、言語として日本語に変換されるわけですね。ですから、翻訳は別の作品だと思うところもあります。
    長年アメリカの第一線で働いていた日本人の読者から、メールをいただいたことがあります。その方は、今までティク・ナット・ハンの本を英語で読んでいたそうですが、定年になって帰国して、私の翻訳した本を読んで目から鱗だったそうです。「この翻訳は光だと思った」と書かれていました。英語にはない、日本語の根っこのようなものを感じられたようです。

──日本語の根っことは?

池田    日本語で考えて言葉を紡ぐので、根っこのところに、たとえば、平家物語や方丈記のような日本的感性があるのかもしれませんね。この読者の方は、行間からそれがメッセージとして漂ってきて、タイの言葉を日本語で読めることを嬉しく思われたそうです。また、英語はさっと読めてしまうが、日本語を読むと「タイの言葉が喜びとなり光となる」とも書かれていました。

──その読者の方は、得難い読書体験をされたのですね。読者にそこまで思わせた、師の言葉を翻訳することで現れた日本人の感性について、もう少しお話しいただけますか。

池田    はい、それは日本の歴史のなかで、言語として伝わってきた文化の香り、響きですね。例えば、もののあわれとか、情緒とか、悲しみとか、そういうものが、やはり出てくるのですね。私はタイの表現のなかでそれを感じ、共感しているのだと思います。
    だから日本語でタイの本を出すというのは、それなりに大事な仕事だと思います。実際、「英語で読んでもエッセンスは伝わるけれど、日本語で読むとより理解が深まる」といった感想は嬉しいものでした。


●自分で読んで感動しなかったら書き直す

──池田先生は日本人としての感性や伝統を背負い、瞑想などのプラクティスもして、そこで選び取れる言葉をギリギリのところで選んでいる。

池田    確かに訳語に悩んでも、どこかでケリをつけなければならないので、納得がいかなくても、やむなく一つの言葉を選び取ります。ただ、無意識のうちにスッと出てくることが多いです。
    私は自分で読んで深く理解できなかったら、書き直すんですよ。どこもかしこもではありませんが、やはり自分で感動しなくてはダメです。ワーッと涙が出てくる、タイの言葉がブワーッと迫ってくる、そういうことがあるとすごく嬉しいです。タイから発せられたエネルギーを、時や場所を経て日本人の私が確かに受け止めているみたいな。翻訳は苦労もありますが、そんなところがあるので、やはり楽しい仕事だと思います。私にとって翻訳は瞑想だと思います。


●次回作について

──池田先生はコンスタントに春秋社からティク・ナット・ハン師の翻訳書を出版されていますが、この後の予定を教えていただけますか?

池田    今、取り組んでいるのは、シスター・アナベル・レイエティの自叙伝です。

──ティク・ナット・ハン師のお弟子さんの本が日本で出るのは画期的ですね。シスター・アナベルについて紹介いただけますか。

池田    シスター・アナベルはイギリスのコーンウォール出身の尼僧です。ロンドン大学でギリシア哲学と古典言語学を学んだ言語学者です。プラムヴィレッジで出家するにあたってタイがモーションをかけたそうですよ。タイの右腕であるシスター・チャンコンも、彼女に会った途端にインスピレーションが湧いたと書かれています。
    この本のまえがきには、タイはシスター・アナベルに自伝を書きなさいとなんども言われていて、やっと重い腰を上げて書いたとあります。シスターはタイの秘蔵っ子で、プラムヴィレッジの創設期からタイの教えを受け、タイの本の英訳や、教学の片腕を担った初めての西洋人の弟子です。ティク・ナット・ハン師の教えや人となりを知る貴重な本になる思います。
    翻訳自体は二年前にできていましたが、裏付けを取ったり下調べが大変で、なかなか出せなかったのですが、やっと2024年の春に出版の予定です。


※脚注
*1    バガヴァッド・ギーター:古代インドの叙事詩『マハー・バーラタ』の一部で、その第六章に収められている全18章・700節の詩篇。ヴェーダーンタ学派は『バガヴァッド・ギーター』をウパニシャッド、ブラフマ・スートラと共に三大経典一つと数えている。
*2    ヨーガ・スートラ:ヨーガの修行による解脱を説くヨーガ学派の経典。四.五世紀にパタンジャリによって編纂されたといわれる聖典。


インタビュー/撮影/ヘッダーイラスト/構成:森竹ひろこ(コマメ)
2023年1月20日、於:生駒宝山寺・ハルハウス



第2回 サンガを続けていく葛藤 ※4月28日7時公開


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この連載「今ここにある仏教」は、雑誌『サンガジャパンプラス』とウェブ媒体「Webサンガジャパン」で展開していきます。毎回聞き手を務めるのはサンガではおなじみのライターの森竹ひろこ(コマメ)さんです。
この連載は仏教瞑想やマインドフルネスの実践者である森竹さんが、今そのお話をお聞きしたい方をインタビューしていく企画です。毎回、魅力あふれる方々をお訪ねして、深く踏み込んだお話を伺っていきます。
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