熊野宏昭(早稲田大学人間科学学術院教授)

第5回    実践編② 観察瞑想


日本におけるマインドフルネス研究の第一人者である熊野宏昭氏による、マインドフルネスの基本的な問いから応用的展開にまで及ぶ、格好の入門であり貴重な確認となる講義を全6回に分けて配信する。第5回。



■注意をパノラマ的に広げていく

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    いよいよマインドフルネスの後半、観察瞑想です。
    観察瞑想というのは「注意をパノラマ的に広げ、六根を通して気づくことができる様々な体験を、同時に捉え続けるようにする」ということです。これを「注意の分割」と言います。
    メタ認知療法には注意訓練という方法があります。これはインスタントマインドフルネス瞑想のような側面があります。たとえば皆さんが公園のベンチに座って、聞こえてくる音を意識してみるのも一つの注意訓練になります。意識してみるとびっくりするほど、本当にいろいろな音が聞こえてきます。必ず聞こえるのは鳥の鳴き声です。それから子供たちが遊んでいる声や、秋であれば虫の鳴き声も聞こえてきます。風が吹いている音や風でそよいでいる木の葉の音。人が落ち葉を踏みしめて歩いていく音。噴水やせせらぎがある公園であれば水が流れている音。都会であれば車がブーンと通っていくような音。本当にいろんな音が聞こえてきます。それを同時に聞きます。
「同時に聞く」と言っても、もともと耳には全部同時に入ってきていますから、同時に聞くのは当たり前の話です。でも人間は聞こうとするとその音しか聞こえなくなってしまう性質があるんですよね。これをカクテルパーティー効果と言って、人間はそういうふうに選択的注意を使えるんだということが強調されたりもしますが、逆に我々は注意を分割すれば、すべてを同時に感じ取ることもできますので、最初はけっこう難しいと思いますが練習してみてください。最初から割とわかる人もいます。これが注意の分割のイメージです。


■実践!    観察瞑想
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    では実際に観察瞑想をやってみましょう。最初に集中瞑想を1〜2分やって、その後、観察瞑想に入っていきます。
    では皆さん目を閉じて、背筋を伸ばし、肩の力を抜いてすっと座ってみましょう。まずは今の自分の状態にちょっとだけ気持ちを向けます。「いよいよ観察瞑想だな」という感じかもしれませんし、「研修が長くて疲れてきたぞ」という感じかもしれません。そして呼吸に注意を向けていきます。呼吸を一番感じやすい場所を選んで、息が入ってきたら「ふくらみ、ふくらみ、ふくらみ」出ていくときは「ちぢみ、ちぢみ、ちぢみ」です。

(実践中)

    それでは注意のフォーカスを広げていきます。最初は、「身体全体で呼吸をしている感覚」を感じてみます。息を吸って「ふくらみ、ふくらみ、ふくらみ」とすると、身体の隅々まで、ちょっと感覚が変わりますよね。息が入ってくると、指先がちょっとピリッとしたり、そういったような感覚があると思います。
    身体の隅々まで感じながら「ふくらみ、ふくらみ、ふくらみ」、そしてまた隅々まで感じながら「ちぢみ、ちぢみ、ちぢみ」。
    息を吸うと、息が身体の隅々にまで流れ込んでいく。そういう感じでもいかもしれないですね。「ふくらみ、ふくらみ、流れ込んでいく」。

(実践中)

    次は、周りの空間にも注意を広げていきます。身体の全体を感じながら、その身体を包んでいる周りの空間にも注意を広げてみます。聞こえてくる音にも同時に注意を向けながら、さっきよりも少し小さい声で、「ふくらみ、ふくらみ、ふくらみ」「ちぢみ、ちぢみ、ちぢみ」と続けます。
    どこまで周りの空間を感じ取ることができるでしょうか。空間は部屋の外まで広がっています。空にまで自分の意識のフィールドを広げていけるでしょうか。「ふくらみ、ふくらみ、ふくらみ」「ちぢみ、ちぢみ、ちぢみ」。途中で雑念が出てくるかもしれませんが、雑念も聞こえてくる音の一つのような感じで、そのあたりに置いておきます。たとえば廃品回収車の宣伝が聞こえてきたら自然と聞き流しますよね。それと同じように何か考え始めたなと気づいたら、そのあたりに置いておく。そしてまた全体に気持ちを向けて、「ふくらみ、ふくらみ、ふくらみ」「ちぢみ、ちぢみ、ちぢみ」と続けます。あと2〜3分続けてやってみてください。

(実践中)

    それではそっと目を開けてください。
    どうでしたでしょうか。最初はなかなかピンとこないかもしれませんが、集中瞑想をやって、そのあと観察瞑想につなげていくと比較的やりやすいと思います。今日初めてやってみた人は毎日5分でも10分でもいいので続けてみてくださいね。
    我々にとって「日常生活の中でハッと我に返って気づくこと」は非常に重要ですが、それを増やしていくためにも今やったような、フォーマルな練習(きちんと座って一定の時間を取って行う練習)は非常に意味があります。毎日取り組むのがもちろんよいですが、もしできない日があってもまたやる。しばらくできなくなってもまたやる。それも大事です。そんなつもりで取り組んでいただくといいと思います。


■頑張っている時点でマインドフルネスではない

    マインドフルネスで目指しているのは「現実そのものを感じる」ということでした。それを感じるのに邪魔をしているのは「心を閉じるか、呑み込まれるか」ということでした。呑み込まれる一番大きな理由は「雑念」、すなわち「物事を考える」ということでした。じゃあ「余計なことを考えないで現実に集中するぞ」「不安になることなんか考えないぞ」「後悔なんてしないぞ」と頑張ってしまうと、それは「回避」になって心を閉じる方向にいってしまいます。また、「頑張っている状態」というのもマインドフルネスではありません。マインドフルネスは自然体で省エネです。頑張って何かをやっている時点で、もうマインドフルネスではないのです。
    じゃあ、「考えないということをしないのに呑み込まれない」というのはどうすれば実現できるのか、ということになりますね。その一つの回答がいろいろなものに注意を分割していく観察瞑想です。
    我々の心にはキャパシティがあります。これを「注意資源には容量がある」と言ったりもします。心には大きさがあるわけです。私たちはその容量の中で、いろいろな心の活動をしています。雑念を考えるのも一つの活動ですし、集中するのも一つの活動です。頭を使うことも心を使うことも、みんな心のキャパシティを食っていきます。何かに注意を向けるということでも心のキャパシティは食われていくのです。


■注意の分割による脱意味化の体験

    ではここで注意を分割する練習をしてみましょう。
    まず、あなたの足に注意を向けます。もし椅子に腰掛けていたら、床に足が着いている、その感じに注意を向けてみます。「ちょっと汗ばんでいるかな」「右足と左足が均等じゃないな」など、いろいろなことを感じると思います。
    では足に注意を向けたまま、この数行を読んでみてください。足に注意を向けながらですよ。
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    いかがですか。足の裏に注意を向けながらですと、なかなか読み進められない感じになりますよね。普段だったら頭の中にチューリップの歌のメロディーが浮かんできたり、赤白黄色の色が見えてきたり、チューリップが風で揺れているイメージが出てきたり、この歌を歌っている子供たちの声が聞こえてきたり、いろいろなイメージが浮かんできます。しかし足の裏に注意を向けながらこれを読もうとすると、一応読めることは読めるけれどもたどたどしくて、今言ったようなイメージが浮かんできません。
    どうしてそういうことが起こるかというと、足の裏に注意を向けたことで心のキャパシティがある程度使われてしまって、さらにこの数行を読もうとすることでもまた心のキャパシティが使われて、それでもうほとんど心のキャパシティがなくなって、いろいろなことを思い浮かべたり思い出したりする心のキャパシティが残っていなかったから、ということになります。
    その結果、物理的な現実に近いもの――現実そのものと言ってもいいと思いますが、心理的な現実ではなくて言語的な現実ではなくて、物理的な現実に近いもの、現実そのものがとらえられるようになってきます。文字が文字として見えなくて、白い背景の上に黒いインクのシミが並んでいるというように見えてくる。意味があまり感じられなくなってくる。脱意味化する。そういうことが起こってくるわけです。
    マインドフルネスの目標は現実をありのままに感じること。それも現実の一部ではなくて、なるべく広い範囲のさまざまな現実をありのままに感じることでした。注意をいろいろなものに振り向けると、意識はそちらへ向くので現実はかなり幅広に感じられる上に、複数のものに注意を向けることで心のキャパシティはどんどん使われていきます。つまり、注意を向けている先は現実なので、現実をありありと感じられるのだけれども、考えている余裕がないという状態になります。それで目指していた境地、すなわち「考えないということをしないのに呑み込まれない」ということが実現するわけです。
    さまざまな現実を同時に感じた結果、考えが出てこなくなって、考えの外に出ることができる。つまり、「箱の外に出るためには箱の外に注意を向けることから始めましょう」ということになるわけです。


■日本文化はマインドフルな体験ができる工夫に満ちている

    日本文化は、こういったマインドフルな体験ができるようなさまざまな工夫や装置に満ちています。日本人がパワースポットを好きなのはなぜかというと、それは注意の分割が起こるからかもしれません。お茶もそうです。茶室に入っていくと、いろいろなことが感じられます。「ああ、なんかいいなこの空間は。立派な掛け軸があって、あそこにはしゅんしゅんと音を立ててお湯が沸いている。あ、窓がある。丸い形の窓って珍しいな。外の景色も見えるぞ。今から抹茶を飲めるんだな」と。そして抹茶を淹れていただいて飲むわけですが、「飲む」ということも非常に味わいがあるものです。この全部の体験が注意の分割を引き起こして、現実そのものを感じることにつながっていくわけです。これがまさにマインドフルネスが目指しているところです。
    ただ、さらにアドバンストな解説としては、注意の分割にも段階があるのです。例えば、茶室に初めて入った人は、環境側の目だった刺激に受動的に注意が引き付けられます。それでも、様々な刺激に同時に注意が向けば、その場と一体になったようなマインドフルな感覚が生じることはあるでしょう。ただ、この状態ではそこにある刺激次第なので、次の段階としては、自分から意図的に注意を分割することができるようにしていきます。そうすると、先に説明したように、心のキャパシティが使われてしまって、余計なことが考えられなくなりますが、あらゆるところに偏りなく注意が向けられているので、現実を幅広く感じ取れるようになります。それでも、実はここで終わりではなく、われわれは練習を繰り返していくと何でも上手になっていくので、いずれ心のキャパシティが回復してくる段階になります。そこで働く心を「無心」と言い、ただ気づいているだけといった状態になります。ここでは、周囲の全てに受動的に気づいているけれども、心には色んなことができる余裕があります。その結果、無心に舞を舞ったり、無心に書を書いたりと言ったことが可能になりますが、日本の武道、芸道はこの無心の働きを活かしているのです。
    ここでは、アドバンストな解説は一旦置いておいて、まずは、注意の分割は目標でもあり手段でもある。これをぜひ理解してください。
    マインドフルネスの構成要素は「気づき」と「反応しない(そのままにしておく)」でした。じゃあそれを実現するにはどうすればいいのか。どういう状態が目標であり手段なのか。と聞かれたら「注意の分割」と答えていただけたら満点です。


■質問コーナー② 目を閉じるということについて

──目を閉じると、五感のひとつの視覚を閉じてしまうことになりませんか?

    面白い質問ですね。目を閉じたら何も見えませんか? ということです。目を閉じても見えますよね。何かこう、残像が残っていませんか。たとえば明るいところを見てから目を閉じると、何かその残像が残っている。目を閉じても、我々は何かが見えて、それに注意を向けるということもできるのです。
    だから目を閉じて、まぶたのところにぼんやり浮かんでいるものに注意を向ける集中瞑想も一つのやり方としてあるのですよね。
    集中瞑想がだんだん深まってくると、目を閉じたときに見えるものが明るくなってくるというのもよくあることのようです。真夜中に目を閉じてもなんとなくぼんやり明るい。私もそんな感じがしますね。
    だから「目を閉じたときに何が見えるだろうか」というような感じで注意を向けてみると面白いかなと思います。

(つづく)


構成:中田亜希
「マインドフルネスとコンパッション」2021年12月25日(日本マインドフルネス学会第8回大会)より。



第4回    実践編① 集中瞑想
第6回    マインドフルネス瞑想の戦略


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