「目覚める、覚醒する」とは、客観的になることと勘違いされがちですが、そうではありません。握りしめるとか、しがみつくといった執着でもなく、回避することでもない。本当は物事にきちんとコミットすることをいいます。


プラユキ・ナラテボー(タイ・スカトー寺副住職)
(サンガジャパンVol.30 横田南嶺師との対談「止と観の統合から慈しみが生まれる」)
※肩書は掲載時