本当の自己というのは、無という以外にはないですね。でも、無だからこそ、あらゆるものに気づき、あらゆるものにとらわれなく、あらゆるものを受けとめていくことができる。そうゆう場ということです。


柳田敏洋(カトリック司祭、イエズス会無原罪聖母修道院責任者)
(サンガジャパンVol.30 「アガペーの人となるキリスト教的ヴィパッサナー瞑想とは何か」)
※肩書は掲載時