【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「理性って何ですか?」です。
[Q]
感情の反対に理性を使いなさいと言われます。よく「理性」という言葉をよく聞きますが、なかなか理性について漠然的にしか理解できていません。理性について詳しく教えてください。
[A]
■客観的に観察して因果関係を知ること
「理性」というのは、原因をよく知ることです。因果関係を知ることです。こうだからこうなっている、ということ。ある結果が良くないのだったら、それがどういう原因なのか、またどのように調整すればいいのかと知ることなのです。原因と結果を見ます。自分の主観的な感情を入れず、客観的に因果関係の流れを観察することが、瞑想することになります。その場合は、結果に対して善し悪し判断をしないで、知っては流す、知っては流す、という態度を取ります。俗世間では、ものごとに善し悪しの判断をしてしまうのです。悪いと判断した結果を、善い結果に変えたくなる。善いと判断した結果を、そのまま続けたくなる。この行為は因果法則を自分の好みで弄ってみることですが、自然法則を歪めるのは不可能なので、行うことが失望感に陥るのです。
■パターンを見つけて修正する能力
それでも、ある程度なら俗世間的な目的に達することができる方法を説明しましょう。まず、ものごとの因果の流れを観察します。そうすると、繰り返し同じ現象が現れることを発見できます。例えば一回失敗する人は再び失敗します。学校で友達と喧嘩する子は、いくら躾をしてもまた喧嘩してしまいます。このように観るならば、この世界は無数の繰り返すパターンで構成されていることを発見できます。繰り返し起こるパターンの中で、改良したいと思うパターンを善い結果になるように変えてみるのです。小さなパターンであるならば、人の理性にそれを変えることができるはずです。しかし、宇宙と生命の法則である因果法則は変えられません。
具体的な例で考えましょう。自分の子供が学校で仲間と喧嘩をする。一回だけの喧嘩だったら何の問題もありません。ただ、喧嘩を繰り返すならば、親として子供同士が喧嘩になるパターンを発見するべきです。「自分の子供は相手の言葉や態度にどのように反応したのか?」と訊いてみれば教えてくれるはずです。「なぜ喧嘩したのか説明してください」ではなく、どうなって、どうなって、どうなったのかと、その過程を訊いてください。その時、自分の子供の、ものごとに対するアプローチが見えてきます。そこにこそ、喧嘩という結果を招いてしまうパターンが現れているのです。子供に、より良いアプローチを教えてあげてください。繰り返し起こるパターンが無くなります。しょっちゅう夫婦喧嘩をするならば、いったん落ち着いて、パターンを見つけてください。それから、そのパターンに嵌らないように気をつければいいのです。悪いと判断する結果について、パターンを見つけて、それを修正する能力が「理性」なのです。
善い結果についても、理性を使わなくてはいけません。結果がよければ、人は舞い上がるものです。すぐ調子に乗るのです。それから、取り返しのつかない大失敗に陥る可能性もあります。善い結果についても、パターンを見つければ、いつだって善い結果を出せる生き方を見いだせるのです。
■まとめ
理性というのは、因果法則を知ることです。それから、繰り返し起こるパターンを見つけることです。望むならば、そのパターンは修正することができます。俗世間では、因果法則の発見は難しいかもしれませんが、パターンを見つけることならできます。世間は無数のパターンが重なり合ってできているのです。それは理性の具体的な意味です。理性の仇敵は感情です。感情に負けると、自我中心的に反応するだけで、何ひとつパターンを見つけることができなくなります。
■出典 『それならブッダにきいてみよう:こころ編3」