私たちは通常、自我にはまり込んでいて、自分のモノの見方でしか物事が見えてこない。ところが、阿弥陀仏のような超越的な存在を立てて心をゆだねることにより、自我的な見方によらないもう一つの視点を併せ持つことができるようになる。
プラユキ・ナラテボー(タイ・スカトー寺副住職)
(サンガジャパンVol.10 石井光太氏との対談「百通りの神様」)
※肩書は掲載時
私たちは通常、自我にはまり込んでいて、自分のモノの見方でしか物事が見えてこない。ところが、阿弥陀仏のような超越的な存在を立てて心をゆだねることにより、自我的な見方によらないもう一つの視点を併せ持つことができるようになる。
プラユキ・ナラテボー(タイ・スカトー寺副住職)
(サンガジャパンVol.10 石井光太氏との対談「百通りの神様」)
※肩書は掲載時