【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日はブッダの独自性についてスマナサーラ長老がお話します。
[Q]
「この人はブッダと同じことを言っているのでは?」という人物や著作などに出会った時の判断基準を教えてください。
[A]
■未だかつてなかった真理を発見したブッダ
気持ちはわかりますが、ブッダと同じ人はいません。同じことを言っている人もありません。それは私の単純な信仰ではなく、以前、いろんな話を勉強して、ブッダが説く内容と同じことを語っているのか調べてみた経験がありますが、ブッダが語った真理をもとにして考えてみたら、ブッダが説く解脱は仏教オリジナルであることがわかります。
■世間で信頼できるとすれば、道徳と無執着を認めるもの
人々の役に立つことを言っている人はいます。道徳の正当性や、無執着な生き方を推薦するような内容ならば信頼できるかもしれません。それから内容が理性的で、ちゃんと裏付けが取れること。スピリチュアルや神秘主義、超次元的な形而上学で、「私はこんな特別な情報を知っている」とか、そういうものはみな嘘・インチキです。全て捨ててください。
■観察能力を活かした話は役に立つ
様々な分野で進んでいる人々が、そこから学んで人生を語る場合があります。それは物理学者や生物学者や医学者でも、自分の専門分野から突き詰めたことで「人とは何か?」「人生とはどういうことか?」と語る場合は、他の人にもすごく役に立つと思います。自分の観察能力を活かして、人類の役に立つことが語れます。その程度で理解してください。
■ブッダが使う言葉は世間と同じでも、教えの中身は唯一無二
ブッダとは、一切の欲・執着の無い存在であり、ブッダの教えは完全で、内容もオリジナルです。ブッダ以外にオリジナルを語れる人はいません。言語としては人間と同じ言葉を使っていますが、中身は全く違うのです。この世の中のどれでも無い、オリジナルなのです。例えば、パーリ語にdukkha(ドゥッカ)という言葉があります、「苦しみ」という意味です。では、世間の人々が感じている苦しみと同じ意味でしょうか? そうではないのです。一般人が病気に罹ったら「苦しい」と言います。病気が治ったら「良かった」と言います。健康を取り戻したことで満足します。ブッダは、苦しかったり、楽しかったり、より人生を築こうと努力したりする人の人生を全てまとめてdukkhaと言うのです。ですから、生きることがdukkhaなのです。その言葉の中に、世間の人々が考える苦も楽も不苦不楽も入っているのです。仏教用語としてのdukkhaは「苦」と訳しますが、意味はブッダのオリジナルです。
そういうことで、ブッダと似ていることを語る・教える人は、ひとりも出てこないのです。私もたまに自分オリジナルの考えは無いのかと探してみるのですが、結局、何ひとつオリジナルはありません。全ては学んだものをいろいろと加工して、組み合わせて、新しいアイデア・考えとして言うだけで、決してオリジナルとは言えません。ブッダの言葉は全てオリジナルで、それは素晴らしく稀有なことでもあります。
■出典 『それならブッダにきいてみよう:さとり編2』