アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「十波羅蜜」です。

[Q]

   
「波羅蜜(Pāramitā パーラミター)」について質問します。仏教仲間とよく「波羅蜜が足りないからまだまだ悟りは遠いね」などと冗談を言いますが、実際、在家仏教徒にも「十個の波羅蜜を成就する」ということは修行に必要なのでしょうか?

 
[A]


■教えの根幹はぶれない

    まず十ある波羅蜜を理解してみたらいかがでしょうか。元々は十波羅蜜ですが、大乗仏教では六波羅蜜になっています。波羅蜜が仏教の根幹に関わる大事な教えであれば、なぜ数が違ってしまうのか。例えば「四聖諦」については、テーラワーダ仏教も大乗仏教もその数字は変わりません。「八正道」も同じです。宗派仏教になっても、八正道ではなく十正道を説くわけではありません。これらの教えは仏教の根幹です。教えが変わったら、仏道では無くなります。しかし、テーラワーダ仏教で語る十波羅蜜は、大乗仏教になると六波羅蜜になるのです。ということは、ブッダの教えの根幹に精密な関わりが無いということでしょう。波羅蜜の数は、十でも六でも充分のような気がします。
    本当に大事な教え、仏教の根幹となる部分では、テーラワーダ仏教でも大乗仏教でも変えることはしません。数が違ったり変わったりする部分はそれほど重要ではないので、真剣に考える必要は無いと思います。私の主観ですが、波羅蜜というのは性格の訓練なのです。十波羅蜜を完成しなさいと釈尊に言われたならば、仏教徒は皆、その教えに合わせて励みます。波羅蜜は性格の訓練だと理解しておけば、各個人が波羅蜜リストから自分に欠けている部分を育てればよいことになります。個人が自分に欠けているところは何なのかと判断するために、十波羅蜜のリストを紹介します。

■修行に必要な十種類の性格リスト

    まず「十波羅蜜(dasa ダサ paramita パーラミター)」とは、

①布施波羅蜜(dāna ダーナ paramita パーラミター)
②持戒波羅蜜(sīla シーラ paramita パーラミター)
③出離波羅蜜(nekkhamma ネッカンマ paramita パーラミター)
④智慧波羅蜜(paññā パンニャー paramita パーラミター)
⑤精進波羅蜜(viriya ヴィリヤ paramita パーラミター)
⑥忍辱波羅蜜(khanti カンティ paramita パーラミター)
⑦真諦波羅蜜(sacca サッチャ paramita パーラミター)
⑧決意波羅蜜(adhiṭṭhāna アディッターナ paramita パーラミター)
⑨慈波羅蜜(mettā メッター paramita パーラミター)
⑩捨波羅蜜(upekkhā ウペッカー paramita パーラミター)です。

    ひとつずつ説明します。

■持っているものを惜しみなく分け与える

    一番目は「布施波羅蜜(dāna pāramitā)」です。これは性格ですね。物惜しみではなく、いつでも皆と分かち合い仲良くする。社会とコミュニケーションを取り、皆に協力する性格の人間になることです。テーラワーダ仏教は、布施波羅蜜を派手にハイライトしているのです。一般人向けに「布施」という言葉を理解しやすいから、説明に力を入れたのかもしれませんが、私はやりすぎだと思うこともあります。その説明によると、輪廻転生しながら布施行為をしまくらなくてはいけなくなるのです。菩薩の場合は、最後に命まで与えてしまうのだと説明します。それは明らかにやりすぎです。
    布施とは性格のことです。お釈迦様は悟ってから、この真理は絶対に人間には理解できないものだと解ったのです。しかし、解っていながらも何とかして分け与えました。これも布施です。真理は人間の理解範囲を超えている智慧と安穏の世界、それをどうすれば皆に分け与えることができるのかと、ブッダは能力を発揮してみせたのです。それで八万四千の法門と言われるように、言葉巧みに様々な説法をされました。

■曇りのない心で生きる

    二番目は「持戒波羅蜜(sīla pāramitā)」です。「sīla(戒)」は道徳という意味です。道徳というのは内面の修行です。自分の心が汚れているかどうかをチェックして、それを直すのです。偽善的な自己欺瞞の心では無く、清らかな心でいることを言っています。「バレなければ嘘をついてもいいや」という考えは悪いでしょう?    道徳になりません。自分の心の中をチェックしながら、清らかな心を持って生きることに精進するのが持戒波羅蜜です。内面的な清浄を目指しているのです。

■物事から離れる訓練

    三番目は「出離波羅蜜(nekkhamma pāramitā)」です。「出離」というのは、執着することの反対で、愛着を持たないという意味です。物事にしがみついて執着しない、放っておくことができる性格のことを言っています。

■探究心を持つ

    四番目は「智慧波羅蜜(paññā pāramitā)」です。波羅蜜の場合は、「智慧」イコール「悟り」ではないのです。智慧というのは、何でもかんでも人が言うことを信じるのではなく、自分で「どうなっているのか」と調べる、確かめる性格のことです。

■退化を止める唯一の方法

    五番目は「精進波羅蜜(viriya pāramitā)」です。世の中では、そのままの状態でいると退化して堕落してしまいます。地獄に堕ちる方向へ進んでしまうのです。ですから、人間は何から何まで精進・努力しなければいけません。そのように怠けない性格のことを言っています。頑張ることが当たり前、大変なのは当然だ、という性格が精進なのです。

■物事の成り行きを観て冷静に落ち着く

    六番目は「忍辱波羅蜜(khanti pāramitā)」です。次に必要になるのが忍耐・忍辱です。誰でも頑張って上手くいかないと腹が立って怒るでしょう。逆に上手くいくと舞い上がってしまうでしょう。そうではなく、物事というのはその時の組み合わせ(原因と条件)によって起きるのだと理解する。私一人が頑張ったからといって、必ず良い結果になるわけではないと理解する。全ての物事は因果関係によって結果が現れるものと理解して落ち着いていられることが忍耐・忍辱なのです。

■この世の真実を求めよ

    七番目は「真諦波羅蜜(sacca pāramitā」です。「真諦」とは、真実を求めることです。人は自分では物事を調べないで、他人の言葉を信じる性格を持っているのです。例えば、新しい科学発見だとニュースで流れるとすぐその話に乗るのです。私たちはいつでも、事実は何なのかと、真理は何なのかと、自分自身で調べて確かめる性格を持つべきです。

■目的に照準を合わせる

    八番目は「決意波羅蜜(adhiṭṭhāna pāramitā)」です。「決意」というのは、物事をやる前に決意する、目的を設定しておくことです。「これをやる」と決めることです。目的からずれないで貫く性格のことを言っています。

■どうしても「慈しみ」は欠かせない

    九番目は「慈波羅蜜(mettā pāramitā)」です。「慈」というのは、生命に対する慈しみです。

■無執着という落ち着き

    十番目は「捨波羅蜜(upekkhā pāramitā)」です。全ては変化していくから「捨」という落ち着いた心でいる性格のことを言っています。簡単なように見えますが、これが一番難しいのです。何事が起きても、冷静に対応する能力のことです。感情の波に負けないようにすることです。

■その場面ごとに性格を育てていく

    「悟り」を目指すのであれば、この十種類の性格を持っていた方が良いのです。十波羅蜜は過去生で完成させておかなくてはいけないということではなく、この十種類の性格について意味を憶えておいて、今、その性格を育てるようにしてください。そうすると、同時にヴィパッサナー瞑想も進んでいくのです。



■出典       『それならブッダにきいてみよう:さとり編2」 

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