(僧侶/未来の住職塾塾長)


松本紹圭


「安養」というウェルビーイング


 言葉には、切り分ける作用があります。

 そのおかげで私たちは、言葉によって何かを「分かった」気持ちにもなれるのですが、その一方で、そうした「分別」こそ仏教が離れるべきものとして説いてもいます。

 言葉とのちょうど良い距離を保つため、一つの事柄をあえて背景の異なる複数の言語で捉え直してみることは、私の経験上、とても有用です。

 「私たちの幸福」を、英語で直訳すれば、”Our happiness”となります。個人の集合としての「私たち」の「幸福」ということです。

 しかし、「私たちの」の意味合いを、個人の集合を超えた ”Inter-being(間存在的)” で ”Inter-dependent(相互依存的)” なあり方としてより仏教的に捉えるならば、どうでしょう。

 私はそれを、1つの英単語で ”ウェルビーイング(Well-being)” と訳すこともできると思います。

ウェルビーイングの定義と現在

 ウェルビーイングの基本的な概念は、一般にはこのように通用しています。


「ウェルビーイング」(well-being)とは、身体的、精神的、社会的に良好な状態にあることを意味する概念で、「幸福」と翻訳されることも多い言葉です。1946年の世界保健機関(WHO)憲章の草案の中で、「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(well-being)にあることをいいます(日本WHO協会:訳)」と用いられています。


 しかし今のところ、ウェルビーイングの適切な日本語の訳語は定まっていないようです。