【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「目標を立てることについてどう考えればよいのか?」という質問にスマナサーラ長老が答えます。
[Q]
未来はわからないということですが、「目標を立てる」ということをどう考えればいいでしょうか?
[A]
■目標は現実的に
未来はわかりませんが、目標は立てなくてはいけないのですね。とにかく目標が無ければ体も動きません。ややこしいですね。今やることの結果はやってから現れるものです。ですから、私たちは将来・未来はわからないけれど、いろいろなことをしなくてはいけません。生きることは本当に面倒なのです。
「未来のことがはっきりわかっていれば、しっかりやれるのに」と思っていますが、ところがそれは勘違いなのです。未来がはっきりわかっているならやる気は無くなります。本当は未来がわからないからこそやる気が出てくるのです。
ですから、普通に目標を立てても構いません。しかし、あまりにもヘンテコリンで、観念的で、現実離れした目標というのは失敗してしまいます。ということで、ある程度までデータを調べ、成功率を高くしましょう。そして「これぐらいなら実行可能だ」という程度の目標を立てるなら問題ありません。データを取る時にも感情的にならないで、現実的に観るのです。「このようにすれば、こんな結果になるだろう」ということで、「では、この結果を目指して頑張ろう」というふうに目標を立てるのです。
■未来は読めないからこそ楽しい
未来は読めないからこそ楽しいのです。必ず試験に合格すると決まっていたら誰が勉強するのですか? する気になりませんね。競争率が上がれば上がるほど頑張ろうと思うものです。
例えば、ある資格を政府が1年に100人しか許可しないと決めたとしましょう。今年は試験を受けるのは100人だけ。当然みんな合格します。でもそれで面白いでしょうか? あるいは、2,000人が受けたとしたら、合格するためにものすごく頑張ります。将来を知らないことはそんなに悪くないのです。
私たちはただ勘違いしているだけです。将来を知らないことで世の中が成り立っています。それが現実です。だからこそみんな頑張っているのです。動物園の動物たちは自分の生涯が面白くないと感じていると思いますよ。なぜなら時間になったらエサをもらって食べなくてはいけないのですから。そんなのは動物にとって超つまらないと思います。
なぜ刑務所をみんな嫌なところだと思っているのでしょうか? 答えは、すべてが決まっているからです。寝る時間も起きる時間も、三度の食事の時間も食べる量も、運動する時間も、何から何まで決まっている。動物園のように誰かに飼われているような感じです。きちんと面倒は看てくれますが。
日本の刑務所に入って、不健康になって出てきたということは無いでしょう? みんなシャバにいた時より健康な体で出てきます。しかし、刑務所には入りたくないでしょう? 面白くないからです。「挑戦」が無いのです。
ですから、晩ご飯が食べられるかどうかという不安な状態でいいのです。そうすると何としてでも晩ご飯を食べてやるぞ! という気持ちが湧いてきますし、何とか頑張れます。
そういうわけで、未来はわからない・知らないということが現実であり、それはどうすることもできませんし、未来を知る方法は存在すらしませんが何の問題もありません。私たちは未来を知らないからこそ頑張っているのです。
■宗教は未来を語る
このテーマは、宗教の世界にも少々触れなくてはいけなくなります。世界の宗教は派手に未来のことを語りますが、外部には知りえない現象なので入信しなくてはいけません。信仰を持っている人々は、神様などを信じて、将来がわからないという現実をスキップするのです。神様の恵みで必ずうまくいくと信じて……。これは正しい生き方ではありません。信仰を盾にすると、理不尽な、大胆な、反社会的なこともできてしまいます。また、何の仕事もせず、「神様、私を億万長者にしてください」と一生祈りに耽ってしまうこともできてしまうのです。信仰が決定権を握っている世界では、悩み・苦しみ・落ちこみ・争いが多いのです。原理主義者が現れて社会に迷惑をかける場合もあります。
理性を重んじるお釈迦様は、決して信仰を判断材料にはしません。ですから仏教徒は「お釈迦様が助けてくれるから大丈夫」というふうには思わないのです。自分自身で客観的に物事を考え、データを調べてから目標を立てるのです。客観的に判断することで目標に達する確実性が高くなります。将来は知りえない現象で、決して100パーセントの確実は無い、ということも憶えておきましょう。
■出典 『それならブッダにきいてみよう:ライフハック編』