アルボムッレ・スマナサーラ
【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「貪欲とは何か」です。

[Q]

    中部経典六十二「大ラーフラ教誡経」(Mahārāhulovāda suttaṃ)に、左記の記述があります。
「ラーフラよ、あなたは不浄〔観〕という修習をおさめなさい。 なぜならラーフラよ、あなたが不浄〔観〕という修習をおさめたなら、およそかの貪欲が捨断されるからです。(Asubhaṃ, rāhula, bhāvanaṃ bhāvehi. Asubhañhi te, rāhula, bhāvanaṃ bhāvayato yo rāgo so pahīyissati.)」この場合の『貪欲』(rāgo)とは、性欲だけを指しているのでしょうか?    あるいは、食欲や娯楽に対する欲など、性欲とは直接関係ない欲も含まれるのでしょうか?


[A]

■瞑想は若いうちに始める方が良い


    この経典は、出家比丘に対して教えた内容です。お釈迦さまの子供であるラーフラ尊者が若い時に教えたものです。釈尊が、今の時期にそろそろ悟った方がいいのではないかと思われたのでしょう。瞑想実践は二十歳ぐらいが一番やりやすいと思います。なぜなら、感情も盛んで心が元気に働いている時期だからです。感情を引き起こすのと一緒に、身体の中でもいろいろなホルモンを出します。身体も精神も成長の真っ最中で、とても素直で柔軟な時です。

■性欲がトラブルを起こす

    出家比丘の道徳・ルール・戒律では、性行為をしないということは決まっています。成人を過ぎて大人になってから出家する人というのは、時々あるのですが突然、性欲が起こり困ることがあります。その結果、還俗するとか、トラブルが起こったケースも経典に書かれています。子供の頃から沙弥出家し、そのまま大人になって比丘になる場合は、性欲でトラブルになることは少ない。子供の頃から性欲というものが起こらない、そういう思考をしない生き方をするのでトラブルになりません。性欲というのは一般的な欲です。若者であっても性欲だけ求める人は、心が暗いのです。若者はいろいろな楽しいこと、面白いことを求めるものです。一般的には、元気があるとか、活気があるとか、すぐに行動するなど、心が明るいのです。

■貪欲とは 生きることを推し進める「明るさ」のこと

    新しい言葉を考えたり、流行りを作り出したり、若者はアクティブにいろんなことをやっているでしょう。性欲というたったひとつの欲に対して囚われているだけではありません。次から次へと新しい音楽やファッションやスタイルに興味を持ち、受け入れる。とても敏感です。この前向きな「明るさ」というのが、「rāga 貪欲」ということになります。
    若者が関心のあることに突き進む「明るさ」というものが、rāgaという精神状態なのです。この明るさのせいで、あらゆる行動をします。楽しいものもあれば、変なことまでしてしまう。全然あきらめないで、落ち込まないで、新しいこと、楽しいことに猪突猛進するのです。「明るさ」という感情を分類すると、rāgaということになるのです。

■貪欲である「明るさ」の裏面

    ただ、欲の裏側が出て来ると、若者であっても明るいという感じはしません。その場合は、世直しをしようとするのです。社会が悪い、制度が悪い、政治が悪いなど、攻撃的になってしまう。そういう場合は欲と一緒に怒り(瞋)が活発になっていることになります。ラーフラ尊者は若いうちに出家して、とても大人しくて優しい性格をしていました。欲と怒りが生きる衝動となっている様子はありません。質問になる部分は、特別に性欲に限定して教えている内容ではありません。

■不浄観は 貪欲を戒める

    お釈迦さまが教える「不浄観」を実践すると、身体に関する全体的な愛着が薄くなって消えて行く。若者たちが友達同士で一緒にいたいから、カフェや公園で集まっているでしょう。それは単に性欲ということではありません。しかし、それも欲です。不浄観を実践することで、ベース(基礎)にある欲を戒めることができます。お釈迦さまはラーフラ尊者に阿羅漢になってもらう目的で説法をしたのですから、このように精密な内容を教えたのだと思います。

■「明るさ」にも二種類がある

    「Rāga 貪欲」を「明るさ」と説明すると嫌な気持ちになるでしょう。「明るさ」を失くしてしまう、消すことは良くないと聞こえるかもしれません。しかし、このrāgaという明るさが、同時に自己破壊も引き起こしてしまうのです。
    ただ「明るさ」というのは別にもあります。Rāgaとは別に「pīti 喜」という、自己破壊にならない純粋な明るさもあります。間違えないでください。例えば人助けをして喜びを感じる、充実感があるとか、そういう明るさもあります。ただrāgaが一般的に見てどのように見えるのか、わかりやすく言えば先程説明した、若者の持っている「明るさ」の中にあると説明したのです。それは、とてもエネルギッシュに見えるものです。

■不貪である善の「明るさ」は疲れない

    その若者の明るさというのも結構疲れるものですよ。遊び呆けた挙句、充実して良かったとはならずに、疲れてぐーぐー寝たり、ストレスが溜まり酒を飲んで発散させたり、rāgaという明るさもそれなりの副作用があるのです。反対にpītiという明るさには副作用がありません。瞑想実践によっても、このpītiが生まれますよ。第一禅定では、かなりpītiが起こります。この場合は「喜悦」といって、強烈な実感があります。
    実際に経験することなので、言葉では実感が湧かないと思いますが、現代的な理解で説明すれば脳内でエンドルフィンというホルモンがたくさん分泌するとか、そんな状態になります。別に道具を使わなくても、そのような状態を瞬時に作ることができるのです。その状態になると身体の楽と満足感があって、身体の不調(病気)なども整えて直してしまいます。しかも副作用はゼロです。

■どちらの「明るさ」にも執着はしない

    反対にアドレナリンというホルモンがあります。アドレナリンは、瞬時に身体を活発・興奮状態にしてしまう作用があります。これには副作用があり毒なのです。アドレナリンが分泌されたら、なるべく早く分解して排出しなくてはいけません。アドレナリンが過剰になると、神経や臓器などを破壊してしまうからです。一般的な世界ではストレスが多くて、なかなかエンドルフィンは分泌されません。ストレスが無くなると、エンドルフィンが出やすくなります。
    瞑想実践で第一禅定に近づいて来ると、副作用の無いエンドルフィンが分泌されます。しかしその喜悦に執着してしまうという危険性があります。瞑想中毒とか瞑想三昧になってしまう可能性もあるのですが、仏教の瞑想指導ではその点にも注意を払っているので問題ありません。

■貪欲とは性欲に限ったことではない

    ですから「rāga 貪欲」というのは、性欲に限ったことではなく、結構幅広い意味があります。若者が持っている猪突猛進的な「明るさ」という説明で理解してください。心にある「生きるぞ!」という、勢いあるエネルギーを感じることでしょう。


■出典    『それならブッダにきいてみよう: 瞑想実践編4』
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