アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「仏教実践に運動の要素が入らないのはなぜ?」という質問にスマナサーラ長老が答えます。

[Q]

    医学的には身体を動かさないと体調不良につながると思います。瞑想実践では歩く瞑想があっても、身体を動かすのが目的では無いように思います。掃除などの作務的なものを積極的に勧める様子は無いように感じていますが、健康でないと修行はできにくい印象があります。身体の健康を整えるという意味での運動は、仏道実践としてはどのように捉えて進めれば良いのでしょうか?

[A]

■誰でもしていることは身体の心配

    身体のことを心配している人間は一万人中一万人でしょう。でも、心を清らかにしようという人は一万人に一人もいないでしょう。何で仏教も身体を健康に保つためになどという、当たり前のことまで説法しなくちゃいけないですかね。それぐらいのこと知らない人は仏教に来る必要も無いですよ。「寝すぎは良くない」とか「食べ過ぎは良くない」とか、「食べてすぐ寝転がっていてはいけない」とかね。コンセンサスが取れていることをいちいち言う必要がありますか?
    お釈迦さまはちゃんと身体を健康に保つことについて教えていますよ。弟子達が病気になったり、栄養失調になったりしたら、都度「あなたはこうしなさい、ああしなさい」とアドバイスしています。健康でいることは大切なのだと実行しています。ダンマパダの二〇四偈に、ārogyaparamā lābhā(ーローギャパラマー    ラーバー)(最高の利得とは健康であること)と説かれています。健康じゃなくなったら金も無くなりますからね。治療代がかからない分、健康でいることは一番儲かっているんだよとおっしゃっているのです。健康のために漢方を飲んでくださいとか、気功をやってくださいとか、いちいち言う必要は無いでしょう。知っていて当然なことは改めて言っていないだけです。


■出典    『それならブッダにきいてみよう: 瞑想実践編4』
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