だるまいこ


タイ国立の仏教大学であり世界中の僧侶・仏教徒がテーラワーダ仏教を学ぶために集うマハチュラロンコーン大学(通称マハチュラ大)。そのマハチュラ大の大学院に在籍する学生であり一児の母、タイ在住16年のだるまいこ氏に、タイの内側から見たタイ仏教の風景を伝えていただきます。タイ北部の古都チェンマイで12年間の会社経営を経て、2018年にセミリタイヤし大学院へ復学。「のんびり子育てをするつもりが、どうしても人類の未来を真剣に考えてしまう哲学ホリック。語学や人類学が好きでいつの間にかマルチリンガル。半生を海外で過ごしたため、少し日本人の感覚からズレていることをよく指摘される。」というだるまいこ氏の、日本にいてはわからないタイ文化の奥行きに触れる仏教エッセイをお届けします。


第1回    大丈夫という言葉の底に流れているアニッチャ


■タイでは名前が長い方が格式が高いという不思議な習慣

    初めまして、だるまいこと申します。タイ在住16年、テーラワーダ仏教の大学であり、仏教大学では世界最大と言われるマハチュラロンコーン大学の大学院生です。
    大学の正式名称はマハチュラロンコーンラジャヴィドゥヤラヤ大学(Mahachulalongkornrajavidyalaya University、URL https://www.mcu.ac.th/)、タイ上座部仏教マハニカーイ(学術派)の総本山です。マハは偉大、チュラロンコーンは現在のタイの王朝5代目の王様の名前です。ラジャ・ヴィドヤは知識の王という意味で、サンスクリット語で大学を指す言葉です。長すぎて式典以外で滅多に声に出して言う人はいません。通常はマハチュラ大、MCUという風に言われています。長すぎて大学院試験の書類も書き間違えていたくらいです。
    タイでは名前が長いほうが格式が高いという不思議な習慣があり、タイ人の中には覚えられないような長い名前の人もいます。なのでタイ人にはみんな短いニックネームがあり、友人の本名を覚えていることなど滅多にありません。ちなみにバンコクのことをタイ語でグルンテープと言いますが、それも略称で、本当はグルンテープ・マハナコーン・アモンラタナコシン・マヒンタラアユタヤ・マハディロック・ポプ・ノパラット・ラチャタニブリロム・ウドンラチャニウェットマハサタン・アモンピマン・アワタンサティット・サッカタッティヤウィサヌカンプラシットと言います。
    長さはもちろん世界一です。通称グルンテープで「天使の街」という意味です。もしかしたら大学の名前は短いほうなのかもしれません。

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マハチュラロンコーンラジャヴィドゥヤラヤ大学
(Mahachulalongkornrajavidyalaya University)
WEBサイト(https://www.mcu.ac.th/)より

■マイペンライ。だからもっと自由に生きていい。

    それでは少しわたしの話をさせてください。わたしは北タイの古都チェンマイに15年間住んでいましたが、去年ホアヒンという王室の避暑地として知られる海辺の街に引っ越しました。現在小学3年生の息子と2人暮らしです。息子はチェンマイで生まれ、ポーランド人とのハーフですが、わたし自身は日本生まれ日本育ちです。社会構造に疑問を感じて海外へ移住しました、と言うとカッコいいですが、残念ながらそうではなくて、社会構造についていけずに20代前半でドロップアウトしてしまったポンコツです。
    タイに移住したのはリーマンショックの数年前。当時の日本はサービス残業が当たり前、休日も会社から電話がかかってくるような暮らしぶりでした。自分が壊れてしまう前に逃れるようにして海外へ拠点を移したのですが、いきなり東南アジアに移住したのではなく、なまじ英語ができたこともあり、はじめは英語が通じて人間より羊が多いニュージーランドに逃亡しました。
    わたしは寒さが苦手なので、ニュージーランドは暖かいと思っていたのですが、南下のしすぎだったようです。思った以上に南極に近く、クライストチャーチに住んで2年目の5月にマイナス5度を記録したことを機に、暖かい土地を求め東南アジアに拠点を移しました。
    タイに住み始めた当初は日系会社の駐在員として働いていましたが、何が起こってもマイペンライ(大丈夫)なこの国で、もっと自由に生きていいんだという要領がだんだんわかってきたタイミングで独立しました。そして当時一番好きな街だった北タイのチェンマイで小さな会社を興しました。

■半年のサナギ時間を通して得た自由

    独立を決めた時は、自然に会社設立という流れになりましたが、そこに至るまでに日本人的な感覚から脱皮する出来事がたくさんありました。日本人的な感覚というのは、ひとことで言うと「ちゃんとしてないと居場所がない」ということです。日本にいた時は失敗しないように、いつもどこかビクビクしていて、自分みたいにダメな人間が起業するなんて絶対無理だと思っていました。
    タイに移住したばかりの頃、夕方になるとサナギに入る虫のように眠ってしまう時期がありました。夕方5時ごろになると体が重くなり動けなくなるので、とりあえず寝て、夜7時半ごろにまた起きて外の屋台でご飯を食べるという変な生活が半年以上続きました。その時わたしの身体では一体何が起こっていたのかというと、日本で溜め込んでいた緊張を少しずつ排出していたのです。
    タイの生活は日本と比べると虫は多いし、音はうるさいし、パーソナルスペースは狭くて雑多でカオスです。ですが気候や人の暖かさ、いい加減さや自由さが、わたしの緊張を溶かしていたんだと思います。だんだん元気になって、夕方のサナギ時間が必要なくなってきた頃、長年抱えていた月経不順も改善し、漠然とした不安も一緒に消えていました。それと同時にエネルギーが湧いてきて、独立起業するということになりました。
    法律もゆるい、なんでもありのこの国では、失敗してもマイペンライ(大丈夫)で済まされます。「だったらわたしでも何かできるかもしれない」そう思った時に、子供の頃から違和感を感じていた「夢と希望」という言葉を、生まれて初めて素直に受け取ることができました。
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ユネスコ世界遺産アユタヤ歴史公園にて
■瞑想は自然な人間に戻るリハビリから。

    タイは皆さんもご存知の通り、テーラワーダ仏教を国で保護しているくらいの仏教国です。家族に出家者がいれば功徳、ヴィパッサナーに行くんだったら仕事休んでいいよ、という文化です。日本ではまとまった休みを取ることもままならないようなライフスタイルなのに、お寺に入るから休むというのが普通なのがこの国の文化です。わたし自身も誰にも文句を言われないので、長年住んでいるうちに年に一度森のお寺に入るのが習慣になってしまいました。
    今でこそ楽しみでしかないお寺時間ですが、20代前半で初めてテーラワーダ形式のヴィパッサナーリトリートへ行った時は、思った以上に不快だったというのが思い出です。人生で何をしたらいいのか分からない割に、何もしないことに慣れていない若者が、本当に何もしないことに取り組むのは大きなチャレンジでした。一度に瞑想を好きなったなんて事はなく、ヴィパッサナーリトリートに慣れるまで数回かかりました。
    瞑想の行(ぎょう)もですが、2畳くらいの部屋の硬いタイルの上に薄いござを敷いて寝ることや、シャワーは水しか出ないというミニマルな生活様式に慣れるのにも時間がかかりました。日本だと水回りが綺麗なところが多いですが、タイのお寺では大きなバケツに水が貯めてあるだけでシャワーはなかったり、お湯が出ないのが普通。タイ語でトイレのことをホンナーム(水の部屋)といいますが、お風呂場はいつでもビチャビチャで水浸しです。はじめのうちは水を浴びてもきれいになった気がしませんでした。
    最近は清潔なところも増えて来ましたが、床がビチャビチャなのは相変わらずです。でもリトリート中は八戒というものがあり、五戒プラス「⑥快適な住まいを避ける、⑦装飾を避ける、⑧ご飯は正午まで」の3つがもれなくついてきます。なのでビチャビチャの水場も快適を避けるプラクティスの一つでした。
    ですが毎日何もしないでいると、日を追うごとにビチャビチャも冷たい水も気にならなくなり、人生で自分が何をしたいのかだんだん分かってくるので不思議でした。今思えば、サマタだヴィパッサナーだというよりも、あれは単純に自然な人間に戻るリハビリでした。
    今でこそご縁があって仏教の専門機関(次回で詳しくご紹介)で研究させていただいていますが、実際に現代文明の恩恵を存分に受けてきたわたしたち日本人に必要なのは、まず自然な人間に戻るリハビリなのではないかと思います。不自然なまま「瞑想とは何か」ということを知識としてどんなに議論しても不毛でしかないように思えます。だから研究の際は環境問題や社会問題などを仏教哲学的な視点から模索するような、社会的なアプローチをいつも意識することを心がけています。
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キャンパスでの朝の瞑想クラス
■良いことも悪いことも、すべて一過性のもの

    自然な人間にある程度戻ったわたしは、自然にエネルギーが湧いてきて、起業するという流れになったのですが、チェンマイの市街地のど真ん中でヨガスタジオの事業を始めました。
    2000年代後半当時はまだヨガブームの始まりの頃でした。バンコクに次ぐ第二都市とはいえまだ田舎臭さの残っていたチェンマイでは、競争相手も皆無で事業は順調に拡大し、都市の発展とヨガブームの相乗効果で一時は街で一番大きなスタジオにまでなりました。それでも盛者必衰のことはりをあらはすのでしょうか。順調だった会社経営も、ちょうど10年目を迎えた年にテナントのオーナーが建物をわたしのビジネス込みで売却し、とんずらという事件が起こりました。買収した方もパニック、スタッフやお客さんもみな怒ったり泣いたりで一時騒然となりましたが、数ヶ月の交渉ののち結局わたしが出るということになり、突然無職になりました。
    一応詐欺なのですが、警察や法廷にお金を払ったらマイペンライ(大丈夫)になってしまうというのがタイです。買収した方と一緒に訴訟に持ち込もうとしましたが、この件はお金の力で片付けられてしまいました。もちろんそれなりに落ち込みましたが、最初から失敗してもマイペンライな設定で始めた事業だったので、これを機に仕事があったからできなかったことをやろうと思い、大学院に復学することにしました。

    タイの人は自然災害が起こっても、紛争が起こってもとにかくマイペンライです。2011年に国中で大規模な洪水が起きた時も、白鳥の足こぎボートで出かける人や、ゴムボートで水上マーケットのようにラーメンを売るおばちゃんがいました。全く悲壮感がなく、「この人たち強いな」と驚くばかりでした。彼らに大丈夫かと尋ねると「良いこともずっと続かないように、悪いこともずっと続くわけじゃないから大丈夫。」と答えます。コロナに対しても一貫して同じ態度です。
    マイペンライという言葉にはただ単に大丈夫という意味だけではなくて、その奥底に「ものごとは一過性である」というアニッチャ(無常観)が流れています。わたしたちの命も同じように一過性のもので、良いか悪いかにこだわっている間に過ぎ去ってしまう。だから深刻になっても仕方がないよ、と。そういう環境にいたこともあり、実際に自分の身に何か起こった時も、わたしも自然とマイペンライでした。
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経典にも出てくるニグローダの樹
■この土地の無常観に日本のような美意識はない

    日本も仏教文化圏なので、ものごとは無常だという感性を持っています。だけどタイに来て感じたのは、わたしがそれまで持っていた日本的な無常観はセンチメンタルだったということです。「ものごとが移ろい行くさまは美しく、切ない。だから一瞬一瞬を大切にする。」というのが日本人の無常観ではないでしょうか(もし違うように感じている人がいたらごめんなさい)。とても繊細で美しいのですが、一瞬一瞬を掴もうとしても儚くどんどんこぼれてしまって、結局日常で瞬間をどう扱って良いかわからない、というのがわたしが感じていた無常に対する矛盾でした。
    それに対してタイ人の無常観は雑であっけらかんとしています。時間もどんぶり勘定です。儚いどころかこぼれて当然と言わんばかりに、こぼしまくっている様子がはじめは受け入れ難かったのですが、彼らは掴めないものをそもそも掴もうとしていなかったのです。掴まないからセンチメンタルな感情も湧かなくて当然です。
    タイでは人が亡くなると仮設舞台を設置してライトアップし、大きなスピーカーを用意して、三日間夜通しのカラオケ大会が始まります。チベットでは人が亡くなると『死者の書』を耳元で三日三晩……という話を聞いたことがありますが、タイはカラオケ大会です。なのでどこかで下手なカラオケが聞こえてくると、誰か亡くなったのかな?    お葬式かな?    と思うわけです。「生まれたら死ぬのが当然だからマイペンライ」という感覚が強く、死んだ本人も周りの人たちも悲観的にならないように、美味しいご飯を食べて歌って踊って送り出します。日本だけでなく世界中の人がびっくりする習慣です。
    お葬式ではもちろんカラオケだけでなく、日本と同じようにお坊さんがお経をあげてくれます。お葬式で読まれるお経の中に「ダーマサンガニ・マティカ(Dhammasangani Matika)」というものがあり、簡単に訳すとダーマサンガニは「集合体で構成された自然」という意味で、マティカは「マトリックス」です。なのでお経では延々と意識の構成要素、物質の構成要素が挙げられていきます。このお経で死んだ人や周りの家族に何が伝えたいのかというと、「わたしたちはみな構成要素の集合体であり、実体はないよ」ということです。これ、すごくクールで実用的ですよね!    わたしも自分が死んだらダーマサンガニを読んでもらえたら落ち着いて死を受け止められそうだな、と思いました。(ですがタイの全ての方がパーリー語を理解しているわけではないので、意味がわかって聞いている人は残念ながら一握りです。)

    こんな感じでタイでの生活の方が何かといい加減で雑なのですが、こちらに来てから「今日はこの短い人生をどう使おうか?」と毎日真剣に考えるようになりました。なぜならここでの無常観は美意識に止まらず、日常茶飯事の中に生きているからです。

(つづく)