アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「寂しいときにはどうすればよいのか?」という相談にスマナサーラ長老が答えます。

[Q]

   
寂しいとか、孤独だと思うことがあるのですが、寂しいという心はどういうことなのでしょうか?    そういう気持ちになった時の対処法を教えて欲しいのです。
 

[A]


■誰かと関わりたいと思った瞬間に寂しくなる

    人が寂しいと感じることは当り前です。誰かと関わりを持って生きていきたいと心に思う瞬間、寂しくなるのです。寂しいという気持ちが起きるたびに、自分は他の人々と関係を持ちたがっているのだと理解してください。
    では、自分が寂しいと思って、誰かと関係を持ちたくなった瞬間に、24時間いつでも誰かが相手をしてくれるのでしょうか?    それを望んでもいいのでしょうか?    寂しくなったからといって、午前3時に電話をかけて相手にしゃべりまくる。それでいいのでしょうか?    そんなことになったら、相手は人間関係で苦しんでしまうでしょう?    それでは正しい「関係」は成り立たないのです。相手もあなたからの電話を待ち構えていたならOKですが、それは宝くじにあたるくらいの微々たる確率です。

■程度を知った人づきあい

    こういう問題は、夫婦の間でも友達関係でもよく起こることです。寂しいという気持ちは、誰かと関係を持ちたくなった瞬間に生まれます。それは誰にも管理できないことで、うまく行く場合も行かない場合もあります。だから、できるだけ程々にすること。程度を知って人と付きあうことです。それができればすごくありがたいです。それもひとつ、人間が学ぶべきことですよ。程度を守って人と付き合うことも人間の能力なのです。それでお互い様で、すごく気分がいいのです。
    寂しいと思った時点で、心が何かに引っかかりたいと思う。その瞬間、心は弱いのです。一人で喜べないのです。だから誰かに関わりたいのです。関わった時点でまた心が喜びを感じます。心が自分で楽しくいる場合は、寂しいと感じません。心の波によって、寂しく感じたり、感じなかったりするのです。

■いかに心を強くするか

    この問題の解決策は「いかに心を強くするのか」ということで、いたって簡単です。楽しみを感じる時、幸福を感じる時、充実感をかんじる時、やりとげたと感じる時、心は強いのです。そういう充実感あふれる環境を自分で作っておいて、日常生活に取り入れてみればいいのです。とても簡単でしょう?
    「神の教えに従ってやっています」などといい加減なことを言う宗教の人もいますが、本当は、人を助けると楽しいからなのです。充実感が生まれてきて病みつきになる、それだけです。人を助けてあげて、本当に相手が助かったならば、ものすごい充実感を感じるのです。
    その心には、寂しいと感じる隙がありません。私たちはいろんなことをやって、寂しさが生まれないようにしています。これは「寂しさが生まれないように」ではなく、心を強く保つために必要なのです。お釈迦様は「心をどんどん強くして、これでもう堕落しない、というところまで持って行ってください」と説かれました。

■俗世間の喜びと出世間の喜び

    それから、俗世間の喜びと出世間の喜び、ということについて説明したいと思います。
    一般人(俗世間)は「関係があること」に喜ぶのです。ダニヤ経(スッタニパータ収録)という経典に、資産家のダニヤさんとお釈迦様の対話が載っています。ダニヤさんは牛持ち(=金持ち)で快適に暮らしています。「私にはたくさん牛がいて、安全に確保している。子牛も別の所に確保している。だから安心だ」と。
    それに対してお釈迦様は「私には何も無い、だから安心だ」とおっしゃるのです。二人が相反する幸福を説いています。一人は何かに依存することで充実感を感じる。もう一人は、何にも依存しないことで充実感を感じる。俗世間と出世間を真っ向から合わせて教えている対話なのです。
    ダニヤさんは家族を養うことで安全を確保しました。お釈迦様はだれも養わない、どころか自分さえも養わないことで安全を確保しました。それぞれが「雨が降っても雷が落ちても安心だ」ということになりましたが、とんでもなく雨が降ったある日、ダニヤさんはやっぱり、繋いでおいた牛のことが心配になってしまい、「私の安心感は大したことはなかったのだ」と覚ります。「お釈迦様、よく分かりました。私に真理を教えて下さい、本当に心を強くする方法を」と、ダニヤさんがブッダに帰依するところで経典は終わります。教えの深さと言葉の美しさを併せたこの詩をパーリ語から他の言語にはなかなか訳せませんね。

■何にも依存しない心をつくる

    この対話を通じて、お釈迦さまは「心の安全とは何か」を語っています。俗世間では、友達がいることで安全を感じるのです。保険をかけることで安心を感じる。それで本当に安心・安全を確保できますかね?    頑張って心を何物にも依存しない状態に持っていかないといけないのですね。

■一人で無駄のない時間を過ごす

    他にも方法があります。一人で無駄のない時間を過ごしているのだと思えば寂しさを感じないのです。一人暮らしだったら瞑想でもすればどうでしょう。瞑想する時に他人がいたら邪魔でしょう。慈悲の瞑想をしたり、ヴィパッサナー瞑想したりすれば忙しくてしょうがない。そうやって常に心に充実感を感じられる生き方をしましょう。
    そうやって「私は充実感をもって頑張っているんだ」という気分でいられるようにすること。いつでもやることがあれば寂しくないのです。だったら何でもいい、ということではなくて、心を清らかにする、智慧が現れる、人格を向上させることを頑張ってみればいかがでしょうか。貪瞋痴(むさぼり、怒り、無知の三毒)が生まれないように頑張れば本当に心が成長します。修行に励む人に「寂しい」という気持ちは生まれません。余計な関係はつくらないこと。携帯のメモリがいっぱいになるほどメールアドレスを集めたりすることはない。そういうことに必死になるのは相当な心の病気です。

■アドレス帳がいっぱいの人は心が弱い

    友達が多ければいいというのは俗世間の思考です。携帯のアドレス帳がいっぱいということは、その分、心が弱いということなのです。仏道(出世間道)は世間とは逆です。物事から「離れる」能力を育てます。これができる人は仏道で成功できますが、「ソーシャルになりたい」人には仏道を理解するのは難しいと思います。一人でいる時間は自分が瞑想するべき時間だと考えればよいのです。一人でいることは心を育てるチャンスだとポジティブに観て、頑張ることです。

■一人暮らしの人には心を成長させる仕事がある

    一人暮らしが増えている今の社会では、孤独死などの残念な出来事も起こります。しかし、一人暮らしする人々も、自分に心を成長させる仕事があるのだと思って瞑想に励めば、幸福を感じると思います。死を恐れない人間になると思います。



■出典      『それならブッダにきいてみよう:こころ編1」

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