中村圭志(宗教研究者、翻訳家、昭和女子大学・上智大学非常勤講師)
映画や小説、ドラマなど、ジャンルを問わず多くの人の心に深く刺さる作品には、顕在的であれ潜在的であれ、普遍的なテーマが静かに横たわっています。宗教学者であり、鋭い文化批評でも知られる中村圭志先生は、2023年に公開された是枝裕和監督・坂本裕二脚本の映画『怪物』に着目しました。カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞したこの話題作の背後に、「宗教学的な構造」が潜んでいることを発見。中村先生自身がすっかりハマってしまったというのです。大学の講義で学生たちも驚いた独自の読み解きを、『WEBサンガジャパン』にて連載でお届けします(全六章・各章5回連載予定)。あの話題作が、まったく新しい姿を見せ始めます。
第一章 『怪物』が描く複雑な因果[1/5]
■はじめに
2023年公開の日本映画『怪物』をご覧になった方はどのくらいおられるでしょうか? 是枝裕和監督と脚本家の坂元裕二氏のコラボ作品ですが、お二人がそれぞれなさってきたお仕事の、どちらにとっても集大成のような内容をもつ、珠玉の名品です。
私はこれから、宗教学の立場から見たときの『怪物』の底の深さについていささかの論考を連載形式で書かせていただこうと思っています。是枝監督や坂元氏が仏教なりキリスト教なりの、あるいは神話や伝説などの宗教の論理を意図的に描き出していると言いたいわけではありません。ただ、お二人はさまざまな人間が置かれている状況を観察することにとても長けておられ、その洗練された観察眼の中に、自ずから宗教という古典的伝統が果たしてきた洞察と比較できるものが現れていると思うのです。
お二人の作品ならどれもそうなのですが、コラボ作品である『怪物』には宗教的思考というものを考える上でのヒントが満載です。論より証拠で、まず第一章である今回の論考を読んでいただければ「なるほど」と腑に落ちること必定! と、勝手に確信させていただいているという次第です。
観た人はわかるはず、映画『怪物』のワンシーン(イラスト:中村圭志)
■各章のテーマ(予定)
第一章、すなわち今回のテーマは、因果の複雑性です。『怪物』では主人公の少年が、ある社会的因果のトラップにはまり、そのとばっちりを受けて学校の担任の先生が辞職に追い込まれる。そのあたりの悲喜劇が非常に巧みに描かれています。因果(原因と結果)がもともと仏教語であるように、因果がもたらす苦境というのは、仏教的テーマの、ひいては宗教的な救いのテーマの出発点です。
第二章では、生きづらさを抱えている少年たちが避難空間として使っている廃線の電車に光を当て、伝統宗教が提供してきた聖域、アサイラム、駆け込み寺的な機能について考えてみます。また主人公たちは『銀河鉄道の夜』のジョバンニとカムパネルラになぞらえられていますので、宗教的な詩人として知られる宮沢賢治──是枝監督もお好きだそうです──のビジョンとの類似点や相違点についても考えてみます。
第三章では、主人公の少年が「ぼく、嘘つきました」と宙に向かって漏らしたこの告白の意味について分析します。告白と赦しというのはもちろん宗教的なテーマ(いわゆる懺悔)ですが、坂元脚本にしばしば現れる展開です。ここでは校長先生が非常に重要な役割を果たしているのですが、この方は映画の前半では、隠し事をいっぱい抱えてそうな存在として登場しているんですね。何が善で何が悪か分からないというのも、『怪物』の大事なモチーフですが、そこにはまた敢えて申せばキリストや親鸞の言葉にも通ずるものがあります。
第四章では、少年たちが期待している「ビッグランチ(ビッグクランチを言い間違えたもの)」という宇宙の終末のイメージについて考えてみます。彼らはこれを「生まれ変わる」ことと捉えています。「生まれ変わる」は頻出するセリフで、あるときは人生の覚醒を、あるときは(死んで別の生き物に変わる)文字通りの転生を意味しています。ここに終末、覚醒、転生のイメージが重なっているのは明らかであり、これらの要素が少年たちの通過儀礼あるいは新たな世界へのイニシエーションとして表現されていることは間違いありません。
『怪物』はカンヌ国際映画祭で脚本賞の他にクィア・パルム賞を受賞しており、LGBTQを扱ったものであることはよく知られています。主人公の少年たちは同性愛の指向をもっており、彼らの苦難もここから始まっています。同性愛者差別は宗教の黒歴史でもあるので、その点についても解説が必要でしょう。これが第五章のテーマです。
『怪物』は火事のシーンに始まり、暴風雨のシーンで終わります。火から水へ、ですね。地水火風は西洋でも東洋でも重要な象徴的モチーフであり、過去の是枝映画でも重視されてきた表象です。この神話的・呪術的表象について掘り下げてみるというのが第六章、最終章のテーマです。
■是枝氏と坂元氏の作風
是枝裕和監督の作品はいつも、善悪の対立を超えた視点をもっています。死者の存在感があるというのも特徴の一つです。出発点の『幻の光』がそうですし、『ワンダフルライフ』は自らの死において人生を振り返るというコミカルな作品です。有名な『誰も知らない』『歩いても歩いても』『万引き家族』にもまた死生観的な要素があります。ちなみに『怪物』では、湊少年にとって仏壇の中の父の存在が大きな意味をもっていましたね。
『DISTANCE』はオウム真理教事件にヒントを得た作品で、宗教テロを起こして教団に殺された信者の、非信者である遺族という微妙な立場を描いたものです。ここには疎外と宗教的夢想との関係が示されていますが、これを『怪物』の少年たちの疎外および夢想と比較してみるのは有益だと思います。
『怪物』の脚本を書かれたのは坂元裕二氏です。会話のセリフがリアルで、絶妙なおかしみを醸し出している場面が多いのですが、同時に常に個人の運命の背後にある社会のややこしい因果を描いています。『わたしたちの教科書』ではいじめ問題、『Mother』では児童虐待、『それでも、生きてゆく』では加害者家族と被害者家族の人生、『Woman』ではシングルマザーの苦難……と、実に幅が広い。『怪物』においても、学校問題、LGBTQ、発達障害、SNS問題などが複合的に描かれています。告白と赦しのモチーフがあるのも特徴的ですね。「社会派」とも呼ばれていますが、ご本人の弁によれば、社会に説教するのではなく、「観察している人」でありたいのだそうです(『脚本家 坂元裕二』110ページ)。
『怪物』は名作を世に送り出し続けているお二人の集大成ともいえる作品
どうでしょうか? 興味をもっていただけたでしょうか?
当論考のベースは、上智大学で開かれているグリーフケアに関する講座において2024年に筆者が担当した6回ぶんの講義です。哀しみの中にある人々のケアという目的のためには、映画作品を用いることで言語的・非言語的表現、また沈黙の意味について学べるものがあるのではないか。そう考えて『怪物』を講義に用いたところ、受講生からの反応は上々でした。その経験を踏まえて、内容を拡充して書く予定です。
なお、映画『怪物』をご覧になったことがない方も多いと思いますので、当論考では、前提知識抜きでも理解できるようにできるだけ努めて書いてまいります。
第2回に続く
第一章 『怪物』が描く複雑な因果[2/5] (2025年6月29日午前7時公開)