アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「真理が発見されたのは、なぜインドだったのですか?」という質問にスマナサーラ長老が答えます。

[Q]

    真理が発見されたのは、なぜインドだったのですか?

[A]

     答えは簡単です。真理を発見できる能力をもった方がインドに生まれたからです。別にインドの土は天才を産み出す栄養をもっているからだ、と思う必要はないのです。私は歴史的、環境的な条件が揃っていたことに気を留めます。戦争をしながら人の土地を奪って侵攻したアーリヤ民族は西からインドに入りました。そのときインドではモヘンジョダロ、ハラッパなどの優れた古代文明が盛んでした。侵略者が、侵略された側から学ぶことになったのです。インド独特のアーリヤ人の文化が発生したのです。西洋の人間もアーリヤ民族ですが、文化の発展は少々違います。エジプトとメソポタミアにも巨大文明があり、それとアーリヤ人の思考が合体して、西洋的な文明が発生したのです。
    インド文明の特色は宗教的なところにあります。モヘンジョダロ、ハラッパ文明は神を信仰する迷信と同時に、精神能力を育てる宗教もあったのです。西洋のほうはただ神を拝む宗教文化だけでした。インドでは昔から、瞑想して真理を発見する、自分の心の中から真理を発見する、そのような試みはあったのです。ですからお釈迦様が、己の心の中から真理を発見したことは、歴史的な流れではないのかと思います。
    人は経済的な豊かさだけを目指すとバカになってしまうのです。奪い合いの戦争になってしまいます。インド人はほどほど豊かであれば十分だと思う人々だったのです。ほどほどに豊かになることはいたって簡単です。その人々に「生きるとはなにか」「真理とはなにか」「優れた精神とはなにか」と考える余裕があったのです。千年でもそのような文化が進むと、人々はその分野ではかなりのプロになります。お釈迦様も神通能力(超能力)をもっていた仙人のところに弟子入りして、瞑想を学んだのです。またお釈迦様の父親の師匠も退職後出家して仙人になって、神通力が身についていたのです。釈尊が生まれたとき、わざわざ山から下りてきて「この子は将来、確実に真理を発見するのだ」と予言までしました。ですから瞑想文化、精神を育てる文化はインド人にとっては日常茶飯事のことだったのではないでしょうか。ブッダが現れるのには最高の環境です。
    比較してみてください。中国にも仙人思想があります。しかし瞑想して仙人になるという考えはないのです。特別な食べ物を食べたり、特別な場所に住んだり、特別な生き方をしたりすることで仙人になるのだという考えです。そのような文化では、なにを食べれば不老長寿になるかと研究するかもしれませんが、瞑想すれば真理を発見できるという考えは起こさないでしょう。エジプトもギリシャも同じです。
    ついでに言いたいこともあります。お釈迦様は確かに人類ではじめて真理を発見したのです。解脱に達したのです。誰にも否定することができない教えを残したのです。後から伝説を作る人々が、この事実をインドという国に結びつけたのです。ブッダはインドにしか現れません、という伝説を作ってしまったのです。人類のひとつの文明の中で一人の正覚者しか現れないという考えは、仏教教理に合っています。しかしブッダがインドにしか生まれないとは証明できません。今の地球が破壊されて新しい人類が現れて、その人々のなかから一人の正覚者が現れて、その方が生まれた国の名前をインドにすれば話が終わります。しかしそのときの人々は何語を使うだろうかということは、わからないでしょう。


■出典    『ブッダの質問箱』