アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「性欲とは自然で必要なものでは?」という質問にスマナサーラ長老が答えます。


[Q]

    性的な欲についてお尋ねします。性に対する欲というものは自然なことでもあるし、やはり必要なことだと思うのですが、どうなのでしょうか?

[A]

■性欲は正当化できない

    俗世間では、性欲(rati)のことを自然な本能として、正当化しています。しかし性欲が社会に与えているトラブルは、想像を絶するものです。精神病の大半は、歪んだ性欲が生んだものです。社会で起こる犯罪の、大半の原因は性欲なのです。幼児虐待、誘拐、殺人、放火などが、毎日のように起こります。性欲のせいで、非難されて政治の世界から閉め出される政治家もいますし、会社を倒産させる人々もいます。家庭を崩壊に追い込む人々の数は膨大です。諜報活動にも性欲が大事な役割を果たしています。性行為を媒介とするHIV感染は、世界的な問題となっています。貧しい国々の子供たちに売春を強いるので、子供たちが人権どころか、生きる権利まで奪われているのは、性欲のせいなのです。

■妄想の産物ゆえにコントロールできる

    仏教では、性欲は根本的に必要なものだと考えていません。また、性欲とは妄想の結果であって、妄想・思考でつくられる欲だからコントロールすることもできるのです。六つの感覚器官(眼耳鼻舌身意の六根)をガードすれば簡単に管理できます。
    情報を選んだり、対象となるものから離れたりするのではなく、「平気でいる」「クールでいる」ということができれば一番良いですね。
    選んだり離れたりするのは案外大変なんです。情報が遮断された不自然な環境で生きるのは自由を奪われるということですから。自己管理ができない弱い人が取る他律的選択なんですね。そんなことはしたくないけれど、やはり弱いのは嫌ですよね。だから感覚にプロテクターをつけるのがいいのです。「欲、怒り、落ち込みが出てこないように」と憶えておく。それだけです。
    視覚情報を例に取ると、目に入るものは嫌でも入ってしまいますし認識もします。しかし「見たものによって、こころに欲と怒りが現れないように」と気をつけるのです。もし欲が現れたらその瞬間にカットします。
    例えば、セクシーな写真を見る時に欲が現れないようにしてみるんです。興奮しない角度を探すなど、いろいろ試してみる。

■プロの目で観察してみる

    プロの目で見てみることもいいでしょう。ああいう作品は観客に欲の情動を起こしてやろうという商売上の企みでつくられるものですから、「この写真家はどのくらいのテクニックを持っているんだろう?」という目でライティングやカメラの角度や撮影方法を観察してみたりね。モデルさんだって、撮影の時はメイクも衣装もちゃんとしていますが、普段見るとそれほどじゃないんですよ。そういう見方で見ると欲は出ません。映画を見る時も監督の視点で見てみる。なぜこの角度で撮ったんだろう?    とかこのシーンの狙いは何か?    とか。すると他の人よりも細かく見ているのに欲や怒りは出てきません。「悪者を殺せ!」と興奮することにはならないんです。

 
■出典 『それならブッダにきいてみよう:こころ編2』  

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