アルボムッレ・スマナサーラ(初期仏教長老)


「無常・苦・無我」は仏教用語で「三相(さんそう)」と呼ばれ、この世界のすべての現象の本当の姿を表す仏教の最重要語です。この「無常・苦・無我」を日本人に向けてわかりやすく解説しているのが、アルボムッレ・スマナサーラ長老の著書『無常の見方』『苦の見方』『無我の見方』です。
    この3冊は、かつてサンガから刊行されていましたが、2023年11月にサンガ新社よりリニューアルして復刊しました。また2025年1月には増刷し、これからも多くの方々に読み継がれていくでしょう。
    本書刊行後の2024年1月に、スマナサーラ長老に「無常」「苦」「無我」のポイントを教えていただきながら、一緒に読み深めていくオンラインセミナーを開催しました。今回、本書の増刷を記念し、オンラインセミナーの内容を記事としてご紹介します。スマナサーラ長老と一緒に、仏教の最重要語である「無常」「苦」「無我」の3つの繋がりを理解していきましょう。

第1回    無常とは存在そのもの


■無常・苦・無我は当たり前のこと?

スマナサーラ    皆様、本日はよろしくお願いします。新しい年が皆様にとって良い年でありますようにと祝福いたします。
    『無常』『苦』『無我』の3冊は、もともとサンガという出版社の社長だった島影さんに頼まれてできた本です。内容は皆様、本を読めば理解できるかと思います。絶対に理解できるとは約束できませんけど(笑)。
    さて、私も年を取りまして、もう長い時間しゃべるような体力、精神力、能力、知識は衰えていますので、今日はまあ、適当にしゃべろうと思います。

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お話をされるアルボムッレ・スマナサーラ長老
    皆様ご存知のように、「苦(dukkha)」・「無常(anicca)」・「無我(anatta)」は仏教のもっとも基本的な単語です。しかしなかなか俗世間ではウケないんです。「なんか嫌なことを言っているな」というような感じで受け止められてしまいます。
    歴史的に見ても、お釈迦様が直々に語られた教え(初期仏教)はあまり人気がなく、「今もお釈迦様直々の教えを実践しているのだ」と自慢しているのはタイ、ミャンマー、スリランカ、カンボジアといった国々くらいです。
    しかし、初期仏教をベースにして他の方々が作った仏教宗派はかなり人気がありますね。北伝の大乗仏教は多くの国に広まりました。中国でも一時期は仏教が盛んで、その影響で日本や韓国などにも仏教が広まりました。
    大乗仏教というのは、お釈迦様直々の教えではありません。ブッダの教えの一部を切り取って作った宗教システムです。
    たとえば龍樹という人は、「空(suñña)」という単語を特にハイライトして教えました。空論というのは非常に高度な哲学です。
    それから唯識論。物事は存在しない、すべて心のからくりである、という哲学。初期仏教の無常・苦・無我というのは人気がなくて嫌がられるのに「唯識」というと面白がられて人気があるんですね。Consciousness-Only(すべて心である)と言われると、「えっ、どういうこと?」と興味を持って勉強したくなる。空論もそうです。「すべて空である」と言われると「えっ、なんでそう言うの?」というふうに勉強したくなる。
    でも、「一切現象は苦・無常・無我である」と言われると「つまらないな」と感じるんです。「すべては無常です」と言われると、「まあ当たり前のことだ」と思いますし、「すべては苦である」と言われても、「まあ、生きることが大変なのは当たり前じゃないか」と思うのが普通です。そんなことは分かってるよ、と思ってしまうんですね。

■インド文化圏で受け入れられない「無我」

    「無我」という単語はインド文化圏では驚くほど攻撃を受ける単語です。それは、インドのすべての哲学において、「魂・霊魂という永遠不滅の実態がある」と考えられているからです。
    ヒンドゥー教というのは単一宗教ではありません。英語で言えば、religious complex、まあ、宗教のデパートみたいなものです。
    デパートにはなんでも売っていますね。ヒンドゥー教というのは、「ヒンドゥー宗教デパート」みたいなもので、デパートの中に小さな信仰システムがたくさん入っています(だから「ヒンドゥー教」という宗教は、本当はありません)。「ヒンドゥー教デパート」の信仰システムの共通項は、「魂・霊魂という永遠不滅の実態がある」ということです。そこだけはすべて同じで、その他が細かく違う。
    お釈迦様の時代、インドにはジャイナ教という宗教がありました。ジャイナ教も仏教も正統派ではない異端派で、互いに影響を受けてもいました。
    ジャイナ教と仏教は似ているところもありつつ、まったく似ていないところもありました。それは、ジャイナ教では、絶対的に魂はある、存在するのは魂のみ、とされていたことです。
    ジャイナ教で有名なのは完全非暴力、アヒンサーです。「殺生しない」ということを、とことん実践します。人間として、修行者としても生きるのが厳しくなるくらい、厳密に不殺生を守るのです。
    でも、「魂は永遠不滅で、壊すことは不可能なのだ」と言いながら「殺生しない」と言うのはいったいどういうことなのでしょうね。魂が死なないのだったら殺生しても別にどうってことはないんじゃないかと思いますけど。
    仏教は「無我」という教えがインド社会から非難を受けて、インドの土地から消えてしまいました。しかしジャイナ教は今でもしっかり残っています。
    今のジャイナ教はけっこうインテリ的で、インド社会でも立場があります。それはジャイナ教が魂を否定していないからです。
    日本などの現代社会では皆様、魂についてそれほど興味はありませんね。しかしなんとなく一般的に「魂はある」という感じで生きているのではないでしょうか。
    そういうことで、現代でも「無我」はあまり人気がないのです。

■無常とは存在そのもの

    無常・苦・無我が俗世間ではウケないのは、これらが日常的に使われている一般的な単語だからです。
    「無常」と言われても全然驚きがありませんよね。私は日本で活動を始めた当初から、「ああ、無常ですか。日本文化ではみんな無常をよくわかっていますよ」と散々言われてきました。私が「ああそうですか。どんなふうにわかっているのですか?」と聞くと、皆様いろいろなエピソードを教えてくれました。それを聞いて、私は「やっぱりわかってないなあ」と思いました。

    存在というのは止まらないで、ずっと変化しています。だから無常とは存在のことなのです。
    これがすごく難しいんですよ。変化することが存在である。物質の世界を見るとよくわかります。変化しなかったら何も成り立たないのです。
    我々が使っている電波もそうです。いま私がしゃべった瞬間に、声が電波に入れ替わっちゃって、インターネットを経由して、皆様の機械に電波が届きます。届いたらその電波がスピーカーを動かして空気を振動させる。それで皆様のところで私の声が再現される。
    俗世間的に言えば、自分の部屋でしゃべっている私の声が皆様に聞こえているわけですが、本当に私がしゃべっている声が皆様に聞こえているわけではありません。皆様の目の前にあるガジェットのスピーカーが作る空気の振動が皆様の耳に入っているだけ。振動が耳に入ったら耳の中でまたelectric signalが生じて、それが脳に通って、脳の中でいろいろな変化が起きちゃって、何か「音」というものを感じるのです。
    これは恐ろしい速さで無常だから、成り立っているんです。電子は現れて消えて、現れて消えてつながっています。
    この流れこそが存在です。地球も太陽も、宇宙の存在すべてが電磁波で、無常だから成り立っている。止まることはありません。
    ブラックホールにしても激しく動いていて、一瞬も止まりません。ブラックホールというのは太陽を丸ごと食べてしまうのですからね。無数の恒星がブラックホールに食べられて吸収されて壊されていっています。その流れの中で、私たちの太陽系も存在しているのです。

■実体は幻覚

    だから「ある」ということは言えません。「ない」ということも言えません。「変化する」のです。停止することはありえないのです。
    お釈迦様はそのことに「無常」という単語を使いました。お釈迦様のありがたいところは、難しいことでも、日常の単語を使ってわかりやすく語ってくださることです。
    無常でなければ音楽もありませんよ。ヴァイオリンを弓で弾くと美しい音楽が現れますけど、どこに音がありますか。ヴァイオリンのボディでしょうか?    弓でしょうか?    どちらにも音はありません。しかし弦を弓で弾くことによって振動が起きて、曲が流れる。それに合わせて耳も振動して、脳の中に音が現れます。脳の中の電波が恐ろしいスピードで変化する。それによって、「ああ、音楽が聴こえる」ということになって、その結果、人々は演奏家の能力に驚いたり、演奏家のファンになったりして、執着の煩悩が生まれるのです。
    我々は脳の中で幻覚的に実体を作ります。ヴァイオリンがある、演奏家がいる、とても美しい音楽がある、というように。それで音楽に執着するのです。
    たとえ音楽に執着したとしても、ただ単に脳の中に起きた電波に執着しているだけで、その電波はすぐに消えてしまいます。可哀想に、執着の気持ちだけがいつまでも残ってしまうのです。

(第2回につづく)


2024年1月16日    zoomにて開催
『無常の見方』『苦の見方』『無我の見方』刊行記念オンラインセミナー
「アルボムッレ・スマナサーラ長老と『無常の見方』『苦の見方』『無我の見方』を読む」
構成:中田亜希


第2回    無常・苦・無我という三つの「見方」

お知らせ
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仏教の最重要語が理解できる!「人生を変える3冊」を増刷しました!


サンガ新社では、2023年にクラウドファンディングを通じて復刊したスマナサーラ長老の著書 『無常の見方』『苦の見方』『無我の見方』の3冊を、2025年1月に増刷しました!

各書籍のAmazon販売ページを以下にご紹介しますので、ぜひお読みになってみてください。

『無常の見方: 「聖なる真理」と「私」の幸福』
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『苦の見方: 「生命の法則」を理解し「苦しみ」を乗り越える』
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『無我の見方: 「私」から自由になる生き方』
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