アルボムッレ・スマナサーラ(初期仏教長老)
サンガ新社は、アルボムッレ・スマナサーラ長老の著書『無常の見方』『苦の見方』『無我の見方』を2023年11月に刊行しました。本書の刊行を記念し、2024年1月16日、スマナサーラ長老に「無常」「苦」「無我」のポイントを教えていただきながら、一緒に読み深めていくオンラインセミナーを開催しました。仏教の最重要語である「無常」「苦」「無我」の3つの繋がりを理解していきましょう。
第2回 無常・苦・無我という三つの「見方」
■幻覚に束縛を受ける
赤ちゃんって可愛いですよね。なぜ可愛いかというとみるみる変化するからです。可愛いからといって赤ちゃんをフリーズさせちゃうと可愛くなくなってしまいます。
一切の存在は、無常という真理によって成り立っています。だから「私がいる」ということも成り立ちません。あるのは波長、まあ、電子でしょうかね。素粒子の波長なんです。素粒子もあるかどうか、また問題ですけど。
我々は幻覚を作っています。「私がいる」という幻覚を作って、「私がいるならば他の物事もあるのだ」といという幻覚も作って、その幻覚に束縛を受けて散々苦労しているのです。
お釈迦様は言いました。「一切の現象は無常である」とわかった人は、それで一切の苦しみを乗り越えて、解脱に自由に達しているんだよと。言葉では言えない、心では理解できない「自由」というものがあるんだよと。
それが涅槃ということなのです。
お釈迦様は「無常」というたった1つの単語によって、「私がいる」「他の物事がある」という幻覚に束縛されて苦しみが生じることを説明して、その苦しみを無くすためには幻覚を破るべきという答えも提案して、それを実現するための実践方法も説明しています。
言葉を変えれば、すべて空なのだとわかることです。「空性(suññatā)」というのがお釈迦様の用いた正しい単語ですけど。
■無常と苦は同義語
そして実は、無常イコール苦なのです。
苦というのは我々の体験する「苦しい」「大変である」ということとは違います。苦というのは、宇宙の存在の姿なのです。
宇宙の存在の姿というのは、英語で言えばimperfect、不完全です。皆様も宇宙が安定していないことは知識として知っていますよね。安定というのはありえない。だからどんどん変化していく。変化したらまたその状態も不完全だから、さらに変化していく。
太陽だって安定していませんよ。太陽はずっと不安定です。核融合が起きて燃えて、中で激しく動いている。それだけではありません、太陽は自転もしています。さらに公転もしています。恐ろしいスピードで公転しているのです。一周するためには何百万年もかかりますけど。もっとかかりますかね。
だから地球に住む私たちは、地球の自転と地球の公転にプラスして、太陽の自転と公転にも乗って動いていて、すべて合わせると恐ろしいスピードで動いていることになります。
だから、私の身体の中の細胞も落ち着きなくすごいスピードで変化しているのです。不安定だから安定を求めて動いているのです。それで一瞬も止まらないのです。
不安定なところにはエネルギーが生まれます。不安定がエネルギーになるから、自転も公転もしているのです。
そういった安定しないガタガタな状態が、苦という状態です。だから苦と無常は同義語なのです。止まって安定するということは成り立たない。それを「苦(dukkha)」という言葉で説明しているのです。
■無我=実体はない、という意味
もし安定したら存在はありません。たとえば「光はありますか?」と聞かれたら、「光はあります」と一般の人々は答えますね。しかし「光がある」というのは、実は「光はない」ということなのです。光はずっと、素粒子レベルの最高速度で変化しています。
物体は常に変化して動いていますけど、その変化するスピードをどんどん上げていくと物質ではなくなるでしょ? アインシュタインたちが言っているように、物質が光の速度になると素粒子になってしまいます。
「実体」というものはないし、「止まっている」という状況はない。ないというより、成り立たない。だから「無我」なのです。
「我」という単語は、真理を分かっていない宗教家の単語です。「死後、永遠不滅の境地がある」「永遠不滅の魂が永遠に安楽にいる」というのは、科学を知らないだけの妄想です。そんなことはありえません。「永遠不滅」イコール「存在しない」という意味なのです。
■なぜタイトルに「見方」をつけたのか
『無常の見方』『苦の見方』『無我の見方』と、タイトルに「見方」という単語を付けたのは、「あらゆる存在の本当の姿をそのように見ましょう」という意味を込めてのことです。
英語のタイトルは『無常の見方』が「Discovery of Evanescence」。Evanescenceというのは学問的な英単語で、「一定しない」「瞬間的に現れて消える」というような意味です。瞬間しか現象がないということを、宇宙の存在の真理として発見しましょうと。
『苦の見方』の英語タイトルは「Unsatisfactory nature of life」。
『無我の見方』は「Voidness of phenomena」。何にも実体はない。実体があるなら、そこで存在は消えてしまう。ややこしいですけど、このような意味になります。
人にはパターンがあります。勉強にしても、人間の脳みそにはパターンがあって、ある子は数学に興味を持つ、ある子は芸術に興味を持つ、というようなパターンがあります。
我々の認識・流れにはパターンがあるので、お釈迦様は無常・苦・無我という3つのパターンを教えました。仏道を実践する人々は、無常を理解して体験するか、苦を調べて体験するか、無我を理解して体験するか、どれでも構いません。
現代人はそんなに精神や魂(我論)については勉強していませんので、どちらかといえば無常と苦のほうが理解しやすいのではないかと思います。
(第3回につづく)
2024年1月16日 zoomにて開催
『無常の見方』『苦の見方』『無我の見方』刊行記念オンラインセミナー
「アルボムッレ・スマナサーラ長老と『無常の見方』『苦の見方』『無我の見方』を読む」
構成:中田亜希
第1回 無常とは存在そのもの
第3回 悪循環からの脱出
お知らせ仏教の最重要語が理解できる!「人生を変える3冊」を増刷しました!
サンガ新社では、2023年にクラウドファンディングを通じて復刊したスマナサーラ長老の著書 『無常の見方』『苦の見方』『無我の見方』の3冊を、2025年1月に増刷しました!
各書籍のAmazon販売ページを以下にご紹介しますので、ぜひお読みになってみてください。
『無常の見方: 「聖なる真理」と「私」の幸福』
『苦の見方: 「生命の法則」を理解し「苦しみ」を乗り越える』
『無我の見方: 「私」から自由になる生き方』