島田啓介(翻訳家・「ゆとり家」主催・プラムヴィレッジOIメンバー(正会員))
2022年1月22日に95歳で逝去されたティク・ナット・ハン師のご冥福を心よりお祈り申し上げます。『Webサンガジャパン』では、ティク・ナット・ハン師の多くの著書を翻訳されてきた島田啓介氏より追悼の文章をご寄稿いただきました。ティク・ナット・ハン師が歩まれてきた平和への実践が何より必要となっている今、その教えの軌跡を全2回で掲載させていただきます。(編集部)
◆第1回 世界を見るとき、自らの心を見る
■ベトナム戦争の中から生まれたマインドフルネス瞑想
2022年1月22日深夜12時、ティク・ナット・ハン師が逝去されたとの報を受けた。それを覚悟したのは2年以上前のこと、プラムヴィレッジから英語で書かれた葬儀の式次第や資料の翻訳依頼を受け、仲間とともに準備を進めたことを憶えている。そのときはいつでも準備ができていると思っていたが、時とともにすっかり忘れ、私たちは車椅子の師がいつまでも健在であることにすっかり慣れてしまっていた。
今日を励みつつ生きること。明日を待つのでは遅すぎる。死は突然にやってくる。それを避ける手立てはない。賢者は言う。昼も夜もマインドフルネスにとどまる者こそ、「ひとりで生きるより良き道を知る者」であると。
『ブッダの〈今を生きる〉瞑想』ティク・ナット・ハン[著]/島田啓介[訳](野草社、2016年)
タイ(ティク・ナット・ハンの愛称、ベトナム語で先生の意)が解説した「一夜賢者の偈」からの引用である。逝去の一報を受け取って、まずこの言葉が浮かんだ。世事に心を奪われ、うかつに日々を暮らしている自らを省みた。
1926年、ベトナム中部の古都フエに生まれ、16歳のときかの地の慈孝(トゥヒュウ)寺で出家したタイの人生は、最初から戦禍のただ中にあった。戦争体験のない私たちの世代からすると、想像を絶することである。初期の著書に『火の海の中の蓮華:ベトナムは告発する』(読売新聞社、1968年、絶版)があるが、火の海とは戦争そのものであり、蓮華は、そこから生まれたマインドフルネスをベースにした現実にかかわる仏教(Engaged Buddhism)のことである。
ヴェトナムで、私たちは『行動する仏教』を創設して、戦争の犠牲者を救助する仕事をしながら瞑想をつづける方法を考えつきました。出家僧が社会に関わりながら実践的仕事を行い、同時に、瞑想の生活をつづけてゆく方法はいろいろあるはずです。ヴェトナム戦争のさなかに、私たちは僧院にこもって周囲の苦しみを回避しながら修行をつづけることをやめました。空襲にあえぐ人々の中に入ってゆき、少しでもその苦しみを軽減しようと、ともに働きながら、同時に、気づきの瞑想を維持してゆきました。
『生けるブッダ、生けるキリスト』ティク・ナット・ハン[著]/池田久代[訳](春秋社、1996年、66ページ「気づきの仕事」より)
本書ではこれに続いて、日常生活と救済の社会活動を進めながらすべての行動を「気づきながら行うことで、究極の実在に触れることができる」と記している。長時間に渡る集中的な瞑想によって到達する境涯と考えられる見性体験を、(マインドフルネスの集中による)活動の中で成しえると言う。さらにそのためには、「一緒に修行する仲間がいるコミュニティ」が必須だと言う。今日まで一貫した師の主張だ。彼自身、戦争という極限状態の中で掴み取った真実である。
社会活動と瞑想を融合させたティク・ナット・ハンのマインドフルネス瞑想は、こうしてベトナム戦争の中から生まれた。それが仏教で言う「泥の中からの蓮の開花」ならぬ「火の海の中に咲く蓮華」であったのだ。
タイは、「智慧とは苦しみに対する新しい理解である」と言う。戦争当時僧侶が苦しみを理解するためには、「民衆と苦しみをともにすることが必要」と主張し、率先して戦禍に身を投じて平和実現の働きをした。それが彼自身の修行の形であった。
やがてその働きは戦争の当事者(加害者)であるアメリカ合衆国に及び、国際的なインパクトを与えるようになり、南北両サイドの統治者から敵対視されて帰国を阻まれ、1966年に始まるフランスへの亡命につながっていく。皮肉にもそれが、行動する仏教によるマインドフルネスの世界伝播のきっかけを作った。戦争による亡命がなければ、少なくとも現在知られたプラムヴィレッジスタイルの瞑想は、これほど多くの人や地域に恩恵をもたらさなかっただろう。
ティク・ナット・ハン師(撮影=横関一浩)
■ロシアのウクライナ侵攻の時代に
タイの逝去後間もなく、私たちはロシアのウクライナ侵攻のニュースを聞いた。5月に入ってもなお解決のめどが見えず、暗澹たる気持ちの中でこれを書いている。海の向こうで始まった戦争の火種はずっと前から用意されていたのだと、東ヨーロッパ史をたどっても、自分自身を振り返っても思える。それに気づかなかった個々の、また集合的な自他の分離意識がやがて戦争につながるのだ。私たちはまたも見逃した。
21世紀になって久しく、今に至っても、人類は平和の教えを体現するに遥か及ばない。ロシア大統領の、ロシアという国だけの問題ではまったくない。戦争はひとりではできない。何がそれを起こすのか? まだひとり立ちできない私は、再度タイの言葉を顧みる。
人間が私たちの敵なのではありません。敵は相手ではなく、自分や相手の中に宿る暴力、無知、不正義です。侵略、支配、搾取しようとする心の習性です。
『怒り:心の炎を静める知恵』ティク・ナット・ハン[著]/岡田直子[訳](河出文庫、2021年、151ページ)
覚えがないと言える人がいるだろうか? 国家間だけでなく、地域、グループ、家庭、個人など、あらゆるレベルで戦いは起こっている。情報さえ大量消費される品目になった現代で、タイの言葉は一本の矢となってまっすぐに刺さってくる。私たちは自己省察しないわけにはいかない場に立たされる。
数や力の論理で行けば、瞑想で(自らの怒りの観察をして)何になるのかと思うかもしれない。それは物質至上主義と通じている。物理的な力で抑え込めるものならという思いは、平和に背を向けている。どちらの陣営に属していたとしても、正義という理屈は「地獄への路上に敷き詰められた敷石」になるのだ。
正義という思考を捨てがたい私たちの病み(闇)は何なのか、タイは理詰めで突き止めたわけではない。彼は戦争被害の当事者であり、自ら告白するように戦争の原因の当事者であった。その痛みを引き受ける覚悟は誰にも持てるものではない。ではタイはどうしてそれが可能だったのだろうか?
タイは、深く見通す実践をどれだけ万遍なく実践したのだろうか? 戦争の極限状況で、物理的な困難ばかりか嵐のような感情と思考が襲いかかる中、彼は仲間たちと、繰り返し、無制限に歩く瞑想を行ったという。型どおりにゆったりと歩むことではない。過去や未来に求めず、今この瞬間に安らぐこと(現法楽住)を、必死の思いで実践してきたのだろう。安らぎと真剣さは両立しがたいもののように思えるが、当時を振り返るタイの言葉からは、それ以外に選択肢がなかったことがうかがえる。
「私たちはみんなで丘に登り、長時間歩く瞑想をしました。数時間に及ぶこともあったその瞑想を、毎日数週間続けました。美しい松の木、とうもろこし畑、空の雲、輝く要綱に触れるために」。苦の底から見上げた、壮絶に美しい突き抜けた景色である。そのとき彼らは地獄から涅槃を見たのだろうか。
■求道の果てに咲く微笑みの花
2013年の香港リトリートで、初期からタイに随身してきたシスター・チャンコンが話してくれたことがある。戦禍の中で昼夜分かたず被災者救済の働きをしていた時のことだ。休む間も惜しく、まして食事などゆっくりする心境ではない。彼女はタイにこう諭された。
「うどん(ベトナムの米麵フォーのこと)は、おいしいですか? その一杯を味わえないのなら、平和の仕事はできません」と。
タイの激しいほどの真剣さと、忍辱(にんにく)(法のために耐え忍ぶ丹力)、決定(けつじょう)を示すと同時に、いかなるときもその瞬間を喜びと安らぎで満たす実践の徹底を表す言葉だ。この時期の彼のポートレートは、微笑みよりもむしろ決然とした激しさを感じさせるものが多い。厳しい求道の果てに初めて微笑みの花は咲いたのだと思える面差しである。
そうした中で詩作品「私を本当の名前で呼んでください」(『ティク・ナット・ハン詩集:私を本当の名前で呼んでください』野草社、2019年、173ページ)は書かれた。広く知られた代表作だが、戦争時のタイの苦闘を知らずしては理解しがたい難解な内容だ。
この詩では、動物界から人間の戦いまで、様々な領域の加害者と被害者が対比して描かれている。主語である“私”はどちらでもある。「どちらでもある」のは、普段の私たちからすればもっとも遠い感情だ。私たちはどちらかを正しく、どちらかを誤りと判断するから。
■最も大切な平和のための作業
ウクライナの戦争で、私たちはどちらにより肩入れしているのか、ニュースやSNSを見ればより明らかだ。人は(正義の)戦いを正当化する言葉はいくらでも持っている。そうして、今も戦争は終わらない。終わったとしても、次がいつ来るかわからない。未来の危機に備える武装論さえ生まれてきている。人類史はこうして、絶え間ない戦争の歴史と同一なまま続いていくのだろうか。それは人間の避けがたい本性なのか?
私はティク・ナット・ハンと平和の教えをテーマに、2022年2月以降いくつもの講座や講演を行ってきた。そこでは、多くの参加者が無力感と何すればいいのかという戸惑いを共有していた。武力で戦いの歴史を終わらせることが不可能なのは、誰にもわかっている。しかしかつてタイが言ったように、平和への具体的な方法を知る人は少ないのだ。
「私を本当の名前で呼んでください」では、最後に私の喜びと涙が世界そのものであると書かれている。そして、私の本当の名前は英語では“true names”と複数形だ。私たちはそれらの名で呼ばれたら即座に応答しなければならない。タイは「すべての嘆きと喜び」がそこに含まれると言う。私たちはどれだけ多くを抱きとめることができるのだろうか?
詩は目覚めと慈悲という言葉で締めくくられる。タイにとって瞑想は坐布の上に限られない。それはもっとも深い苦悩のただ中にある。彼は世界を見るとき、自らの心を見る。相対立するふたつの側のどちらにも自らを見るのだ。
もしも両親や家族、社会、あるいは自分の宗派の教会とのあいだに諍いが起こったときには、恐らく自分の心のなかにも波風が立っているはずです。したがって、最も大切な平和のための作業は、自分自身に戻って、自分の中のさまざまな要素…(中略)…を調和させることです…(中略)…私たちひとりひとりが内なる平和を実現するとき、他者との対話が可能になるのです
『〈新版〉生けるブッダ、生けるキリスト』ティク・ナット・ハン[著]/池田久代[訳](春秋社、2017年、13ページ)
ここでは「最も大切な平和のための作業は」と強調されている。今何をすればいいのか? 答えが出ないのなら、この提案を真に受けてみたらどうだろうか。「何が可能なのか? どうすれば戦いは終わるのか?」という問いに対して、何千年も繰り返してきた戦いの歴史を変えるのは、世界に映し出された自らの心の葛藤の調和を図ることなのではないだろうか。とはいえそれは、ひとりで成しえる仕事ではない。タイはまた、心の中のさまざまな要素の調和のためには他者の協力が必要だと言う。
タイが瞑想の初心者の心得について、フランスの婦人雑誌ELLEからインタビューを受けたことを、私はこれまでもたびたび紹介してきた。瞑想で最初に(そして最終的に)すべきことは、家に帰ったら「テレビのスイッチを切って、パートナーと互いに顔を見合わせ、自分たちが幸せかどう問い合うこと」だという。シンプルで衝撃的な提案だ。
座って呼吸を観察することなら、できそうな気がする。しかしもっとも親しい相手(ここではパートナーだが、親子や友人などでもいいだろう)と幸せについて問い合うことは、長年忘れていた初心に戻ること。慣れ合いの関係に安住している心には大きな抵抗だ。私たちが人生で本当に望んでいるのは何か、強く問われている。
(つづく)
◆第2回 私はあなたの呼吸や歩みの中にいる
ティク・ナット・ハン師年表