島田啓介(翻訳家・「ゆとり家」主催・プラムヴィレッジOIメンバー(正会員))


◆第2回    私はあなたの呼吸や歩みの中にいる


■21世紀のブッダはサンガである

    タイが説き続けてきたのは人間関係の和解だ。社会で困難を極めるこの問題の取り組みを、孤立無援で心の中だけで進めるのは不可能だ。修行をともにするサンガの必要性を伝えながらタイは、とくに今世紀に入ってからは、「21世紀のブッダはサンガである」と集合的実践と目覚めを強調するようになった。おそらく自らが亡くなった後の継続も視野に入れた発言だと思う。
    2009年、アメリカはコロラドのYMCAで行われる予定になっていた大規模なリトリートの直前、タイは急性の肺炎にかかって入院する。すでに60名以上の弟子が現地入りしており、世界中から集まった千名に及ぶ参加者もタイの登場を心待ちにしていた。結果的にリトリートは、タイ不在で行われた初めての大きな催しになった。
    入院したボストンの病院からタイは、リトリート会場に向けて手書きの手紙を送っている。彼はリトリートへの参加がかなわないことを悔いつつも、サンガにメッセージを送った。
「深く見つめれば、私がリトリートに参加しているのがわかるでしょう。私はそこで一緒に歩き、坐り、呼吸しています。皆さんの中に私が存在し、私の中に皆さんがいるのがはっきりと見えるはずです。このリトリートで皆さんは、サンガがどういうものなのか体験するでしょう。私はすでにサンガとして受け継がれています。サンガあるということ自体、師があるということなのです」
    2015年に予定されていた来日ツアーも、前年秋にタイ本人が脳出血で倒れたことで奇しくも似た状況に置かれた。日本側のスタッフだった私たちは、上記のようなタイのメッセージを思い出し、タイの意志を確認した。現実的な困難はあったが、世界各地からおもな弟子33名が来日した500名規模のリトリートを含むツアーは大成功の裡に終わり、それが日本のサンガの流れを後押しした。このときに、カリスマ主義(ひとりのブッダ)を離れて、一人ひとりが主となり協力し合う現代的サンガの実践のあり方を、私たちはようやく実感したのだ。最初の来日から20年がたっていた。
    1960年代ベトナム戦争のさ中にタイが創設した教団は、その名を接現(ティプ ヒエン)(interbeing=相互存在:すべては単独では存在せず、依存し合っていること)と言う。当時からタイは、困難な現実の中で実践を続けるためにはサンガが必要であることを痛感していた。
    亡命後西洋で暮らすようになってからタイは、人が孤立し分断された社会がいかに苦しみを強めているかを痛感した。たとえ目に見える戦争がなくても、個人間で、家庭の中で、社会の小グループの中で、比較と戦闘が絶え間なく行われている。西洋化された日本の状況下でもタイの言葉は同じように響く。
    我(が)に染められた個人主義的な瞑想をあるべき処に戻す。オウム真理教のサリン事件で日本中が揺れた1995年5月の来日時、タイは個人や閉じたグループが先鋭的な瞑想にのめり込むことを危惧し、開かれたサンガでの実践を強調した。それは日本にとって痛みを伴う教訓になった。


■和解に必要なマインドフルな場を作るサンガの力

    大勢の参加者とともにだが、最後にタイに会ったのは、先にも書いた2013年5月の1300 人が参加して行われた香港の巨大なリトリートだった。その後アリーナで行われた法話は2万人規模だったという。この年の前後はタイとプラムヴィレッジにとってもっとも多忙な時期で、アメリカ連邦議会、英国議会、北アイルランド議会、世界宗教者会議、世界銀行、グーグル本社、ハーバード大学医学部、ユネスコなどで講演やリトリートを行っている。
    香港でもっとも印象に残ったのは、和解の瞑想である「ビギニングアニュー(新たに始める実践)」だ。三組のカップルが登場し、一組ずつが壇上に上がって行われる。この実践はスリー・ステップだ。お互いに問題を抱えた関係だから、放っておけば口論になる。あえてリトリートで瞑想として行うことに意味がある。
    壇上のふたりは向かい合って座り、参加者すべてと一緒に瞑想したあと、以下のような分かち合いをする。

1.花に水をやる:お互いに感謝していることを伝える。花が生き生きと咲くように。
2.後悔を表す:相手を傷つけたと思うことについて、後悔を述べる。
3.傷ついたこと苦しんだことを述べる:愛をもって心の痛みを話し、相手の告白を思いやりをもって聴く。役割をきちんと守り、介入せずにマインドフルネスの実践として行う。

    大切なのは、その場に立ち会うサンガの一人ひとりが、呼吸で場を支えたことだ。ひとことも発しないで、ふたりを温かく見守り、マインドフルに呼吸を続けること。それがマインドフルな場を作り、シェアリングを可能にする。香港リトリートでは、じつに1300人が和解の場を作った。サンガの底力を感じる一瞬だった。
    和解に必要なのはこうした場だろう。これから遡ること10年の2003年、フランスのプラムヴィレッジにパレスチナとイスラエルから数十人を招いて行われたリトリートは、中東の長期に渡る緊張を扱った、より深く徹底したものだった。そこでは、タイのベトナム戦争時の体験が多く語られた。タイ自身が行ってきたことは、そのまま現代に適用できる。まさにエンゲージド・ブディズム(仏教の実践的教え)が真骨頂を発揮する場面だ。
    両国の参加者が坐り、歩き、食べ、瞑想をともにするだけでも大きな出来事だ。当時の法話から紹介したい。

「自分の心に平和がなければ、平和の働きをすることはできません」
「平和に向けて働く者は、心が平和でなければなりません。少なくとも、怒り、怖れ、疑いなどの取り組み方を知るべきです」
「座って相手側の言葉に耳を傾ければ、彼等にも多くの苦しみがあることがわかります」「人の心に苦しみをもたらすような考え方、それが敵なのです」
「勇気をもって徴兵に応じないイスラエルの若者たちがいました。その行動こそが非暴力の法話です」

    このときの法話は“Peace begins here”(Parallax press)としてまとめられている。
    炎の海の中に咲いた蓮の花は、現代の対立の中でもみずみずしくその香りを放っている。もしも対立する両陣営がこのような場を持てたなら、苦しみの象徴である泥は蓮に変容するだろう。私たちのしている瞑想は、個人的な癒しにとどまらない。ひとりで座っているその瞬間も、多くの存在がともにあることを自覚しなさいとタイはつねに教えている。

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プラムヴィレッジでお話されるティク・ナット・ハン師(2011年)(撮影=横関一浩)

■大地からきて大地に還る

    タイは自身が崇拝されることをよしとしなかった。晩年を過ごし、亡くなって遺体が安置された故郷の慈孝寺での葬儀は、ベトナム仏教界の重鎮にふさわしい荘厳なものだったが、それをもって彼の人生は締めくくられない。
    さらに重要なのは、「21世紀のブッダはサンガである」もそうだが、私たち一人ひとりが主体であることを思い出させる多くの言葉である。自らの死を意識した晩年、2014年に脳出血で倒れ言葉を失う前に、タイは重要なメッセージを残している。「不生不滅」の教えを身をもって説く言葉だ。

「私が死んだら墓に埋葬したいという弟子がいました。『愛する師ここに眠る』と記すというのですが、私は『お寺の土地を無駄に使ってはいけないよ』と言いました。『骨壺の中に閉じ込めるより、外に撒いておくれ。木が育つように』」

「どうしても墓を建てるなら、こう書きなさい、『私はここにいない』と。わかりにくければ『ほかのどこかにもいない』と書き加えなさい。それでも難しければ、『私はあなたの呼吸や歩みの中にいる』としなさい」

「体は無くなっても、業(カルマ)は続いていきます。私はいつでも、あらゆるものに自らの継続を見るよう努めてきました。死ぬまで待つ必要はありません。私たちはこの瞬間も継続しているのですから。なぜ人が死ぬというのでしょうか?    私はすでにあなたの中に、すべての人に、未来の世代の中にもいるのです。雲は消えても雪や雨となります。雲は死にません。無に帰すことはないのです。私も同じです。私はつねに継続しているのですから」

   2022年3月12日のフランスのプラムヴィレッジでの散骨式は、同時中継されたが、そうしたタイの言葉に沿って行われた。多くの弟子や参列者がタイの遺灰を惜しむようにいただきながら、草地や木の根元など自然に返すのをモニター越しに見て、ティク・ナット・ハンという人が大地からきて大地に還っていったことを知った。

    タイは詩人であり、優れたメッセンジャーだった。幸いにして今私たちは、彼が残した言葉を縁(よすが)に教えを反芻し、実践を続けることができる。
    タイは禅僧で瞑想者だった。来日時にタイは筆者にサイン入りで「不動自在」という言葉を託された。その通りに生きて死んだ人だった。
    タイは平和運動家であり、自らの苦しみの体験を蓮の花にして人類に捧げた。私たちは、その花をどう咲かせ続けられるのか問われている。
    タイはアーティストだ。流麗な筆さばきや、柔らかな歌声、言葉遣い、歩き方までが彼自身の作品として心に残る。
    タイはサンガであった。私たちは個人ではなく川の流れなのだと教え、つねに慎み深く自らを隠そうとした。彼は今サンガに溶けた。
    そしてタイは、甘いものとユーモアが好きなやさしいおじいさんで、若いころの短気で悩み多き自らを深く省察し、ゆったりした歩みと微笑みを心がけ、誠実に生きたひとりの人間だった。

    彼は人類史の中の激変の時代を確かに生き、私たちに示した。

「あなたは誰か?    あなたは個人ではない。それを知り、どうすべきか、どうすべきでないかを深く問いなさい。マインドフルネスベルに耳を澄まし、その音の中に」

(完)

◆第1回    世界を見るとき、自らの心を見る
ティク・ナット・ハン師年表