アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「無口な性格を直したほうがよいか」という悩みにスマナサーラ長老が答えます。

[Q]

        無口な性格が欠点だと思っています。もちろん仏教では無駄話を戒めていますが、職場など世俗的な環境においては、やはりもっとスムーズに喋れた方がいいのではないかと思って努力しているのですが、なかなか上手くいきません。そこで「無駄話をしないこと」という仏教的な戒めと、社会で求められる円滑な言語コミュニケーションとの関係について教えて欲しいのです。
 
[A]

■人の性格はみな違う

    まず、無口であることを欠点と思っているところが問題です。人の性格はみな違うのです。自分の性格が「欠点」と思ってしまうとやっていられません。自分が持っている性格を自分のため社会のためにどう活かすかが問題です。例えば、相撲取りは巨大な体格ですけど、自分より小柄な人をバカにする権利はありません。彼らは自分の特徴を使って、相撲という自分の世界で活動するだけ。そのように、誰だって自分の性格を活かして生きていくことが大事なのです。

■危険なネガティブバイアス

    私たちは自分の性格を観る時、いつもネガティブバイアスで観てしまうのです。そういう見方も自我の働きなのです。自我という幻覚に惑わされているのです。生命の認識は「私がいる」という実感を作ります。その実感がどんどん勘違いして「自分こそ偉い」と思い込む自我の幻覚が現れるのです。しかし、「自分は偉い」と思い込んでいる自我から自分を観るとぜんぜん偉くないダメなところばかり見えるのですね。それで「こんなはずではなかったのに……」と、落ち込んで引篭もってしまったりするのです。

■特別な人はいない

    自分の性格を観る時は、「人間は誰でも同じだ、みな問題を抱えているのだ」と事実に基づいて客観的に観ることが大事です。特別に恵まれた人など何処にもいません。人類は平等なのです。特別に「ツイてる」人はいません。誰だって「ツイてる」ところもあれば、「ツイてない」ところもあるのです。それが客観的な事実です。自分の性格をチェックするなら、そのスタンスでチェックしないといけません。それで「自分にはこういう能力も必要だな」と客観的にわかれば、何のことなくできるようになるのです。見栄を張って能力以上のことを考えてもできません。
    一番良くないのは、自分の性格について悲観的に観ることです。それで自分の能力がわからなくなります。せっかくの能力を使って社会に貢献することもできなくなるのです。

■「では、私に何ができるのか?」

    質問された方は「無口な性格は欠点だと思っている」とのことですが、喋れないのに喋りたがる人は迷惑です。極端な例を挙げれば、喋り下手のバイオリニストがステージで無理にしゃべろうとしてコンサートをぶち壊しにしてしまうようなものです。バイオリニストならば、演奏会で無理に喋らなくてもいいのです。演奏に専念すれば充分なのです。ですから、自分の欠点を見る前に、「では、私に何ができるのか?」と観ることです。私たちがいつでもやってしまうことですが、他を羨ましがること、他を軽視することは成り立たないのです。それはあり得ない話であって、罪なのです。
    身体的な障害を負って生まれていない限り、必要な時に必要なことは誰にでも喋れますよ、心配しなくても大丈夫です。

■聖者の沈黙

    お釈迦様が「あまり喋らない方がいい。人格完成者は聖者の沈黙を保つのだ」という場合は、それとは全く違う話ですね。ちゃんと分けて理解してください。聖者には一般人のように「何か喋りたい」という衝動は無いのです。心にはつねに平安な波動が流れていて、必要なことだけ喋ります。だから聖者は求めに応じて説法して真理を教えるのです。

■言葉の罪を犯さない

    もう1つポイントがあります。私たちは言葉で罪を犯します。十悪のリストのうち、言葉の罪は4つもあります。嘘(musāvāda妄語)、無駄話(samphappalāpa綺語)、乱暴な言葉(pisuṇāvācā粗悪語)、他人を貶める噂話(pharusāvācā離間語)ですね。それらを犯すくらいなら、何も喋らない方がいいんです。社交辞令を適切なタイミングで使うくらいでいい。特に日本社会では、それができるだけで円滑に暮らせますからね。

■避けられない仕事なら能力は自然に備わる

    喋るのが職業ならば別ですが「うまく喋れるようになりたい」と焦るのは良くないのです。スリランカではお坊さんほど上手に喋る人はいません。仏教の話というのは「酒飲むなよ」とか「怠けるなよ」とか誰も聞きたくない話です。そんな話をお坊さんたちは、みんな釘付けで聞いてしまうような名調子で話すのです。特別な訓練は受けていませんが、坊主になったのだから、義務として、聞きたくない話を人々に伝えるという技が自動的にできてしまう。喋れないことを気にするのは自我を張りすぎなのです。

■お喋りは脳にダメージを与える

    お喋りの人は脳が混乱しているのです。お喋りがすぎると脳にダメージが大きいのです。女性が男性に比べてお喋りなのは、ひとつは子供を産んで育てるために必要だからです。しかし、女性は男性に比べていつでも精神的に不安なのです。常に周りのことを心配しています。何かあれば心配するし、何も無ければ何もないことに心配する。何があっても悩むという性格なのです。これは直さないといけません。もっと楽しく穏やかに生きて欲しいのです。
    一般的に見ると、喋りすぎとは精神的に不安定の証拠です。伝えたいことがあれば喋ればいいし、無ければ黙っていることです。無理に喋ろうとせず、自分の性格を活かすことを考えればいいのです。


 
■出典       『それならブッダにきいてみよう:こころ編1」 

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