〔ナビゲーター〕
前野隆司(慶應義塾大学)
安藤礼二(多摩美術大学)
〔ゲスト〕
大場唯央(静岡県大慶寺)
佐々木教道(千葉県妙海寺)
慶應義塾大学の前野隆司先生(幸福学研究家)と多摩美術大学の安藤礼二先生(文芸評論家)が案内人となり、各宗派の若手のお坊さんをお呼びして、それぞれの宗派の歴史やそれぞれのお坊さんの考え方をざっくばらんかつカジュアルにお聞きする企画、「お坊さん、教えて!」の連載第3回は、日蓮宗の大場唯央(静岡県大慶寺)さんと佐々木教道(千葉県妙海寺)さんをお迎えしてお送りします。
(2)自由で闊達な日蓮宗
■日蓮宗は自由度が高い?
前野 お二人のお話を聞いていて、日蓮宗って自由なのかなと思ったのですけど、お二人が自由なのですか? それとも日蓮宗が自由なのですか?
佐々木 曹洞宗さんとかの話を聞いていると、日蓮宗は自由度が高いと感じますね。自主性を重んじるというか、けっこう各人に委ねられている部分があるので、自分のカラーを出しやすいと思います。
僕は、20年くらい妙海寺でやっていますけど、最初の10年くらいはずっと否定されて続けて、ここ10年くらいでやっと、ま、それもいいんじゃないかと認めていただけるようになりました。否定されてもつぶされることはなかった。それは感謝していますね。佐々木教道さん
(写真提供=佐々木教道)
前野 誰に否定されたのですか?
佐々木 地域のお寺さんなどですね。あいつはなんてふざけたことをしているんだ、と。
前野 どんなふざけたことをしたんですか?
佐々木 僕がいる妙海寺は、今は毎日いろいろな方が来てくださってありがたいのですけど、僕が来た当初は誰も来てくれなかったんですよ。お墓参りには来るけど、お寺の中に入って来る人がいなくて。
このままだといくら待っても誰も来てくれないだろうと思って、取っ掛かりとして仏教を音楽に翻訳して、ライブハウスや病院や学校で歌うことにしたんです。仏教の教えをいろいろな方にもっと軽くわかりやすく伝えたいと思って。しかし周りの方たちは「急に住職になったと思ったら歌い始めた! なんだあいつは!」と。そこから始まりました。
仏教を歌に乗せて
(写真提供=佐々木教道)
前野 大場さんも変わった住職をしているのですか?
大場 自分としてはど真面目にやっているのですが、変わってると言われることはありますね。
前野 どんなことをど真面目にやっているのですか?
大場 お寺でコンサートをしたりですね。僕は教道さんと違って歌いませんけど(笑)、企画をしたりとか。今はお寺でコンサートも普通になっていますけど、当時は珍しくて。大慶寺で行われたコンサート。当時は珍しかった
(写真提供=大場唯央)
あるいは「そもそも法事ってなんのためにあるんだろう」と根本から考え直して、ちょっとやり方を変えてみたこともあります。あるとき檀家さんで若くしてお亡くなりになった方がいたんです。その供養をするにあたって、今の法事、いわゆる何回忌というのは、「家」が主体となって家族や親族でやる供養だけど、たとえば「友達」が施主になってもいいじゃないかと思ったんです。それで、じゃあ友達が供養するなら、どんな場がいいだろうかと考えて、まず服装は喪服じゃなくて一緒に遊んでいたときのような平服で来てくださいと。
そしてお勤めをしたあとは、いわゆる普通のお年忌ですとその後精進落としのお食事をする場がありますけど、もちろんそういう畏まったお食事もいいのですが、友人が施主となる場で一番いいのはなんだろうかと考えに考えて、法事が終わったあと境内でバーベキューをしたんです。
僕の中ではいろいろ考えてど真面目にやったんですよ。しかし賛否両論ありまして。境内に整備されている芝生広場
(写真提供=大場唯央)
佐々木 怒られるパターンじゃないですか?(笑)
大場 そうそう(笑)。参列された方々はとても喜んでくれました。しかしバーベキューの部分だけが切り取られると「お寺でバーベキューとは何事だ!」となるんですよ。
佐々木 表面だけ見られるんですよね。僕らには歌う理由があるし法事を変える理由もある。でも理由は伝わりづらくて、表面だけが見られてしまう。真面目にやっているのに、ふざけていると言われるんですよ、だいたい。
前野 二人ともふざけてないんですね。真面目に歌って、真面目にバーベキューをやっているのですね。
大場 バーベキューだけ切り取らないでください(笑)。友達が施主となって供養する、ポイントはそこですから。
■宗祖日蓮とは
安藤 第1回の真言宗と第2回の天台宗の会で、最空海はロックンローラーで、最澄はイノベーターであるという話が出ましたけれども、日蓮宗の宗祖である日蓮も大変個性的な人ですよね。激しい人であると同時に、きわめて実践的な人でもあったと思います。
日蓮という人はお二人にとってどういう存在なのでしょうか。また、日蓮のどういう教えがご自分に響いてきたのでしょうか。そういったようなことをお聞きできればと思います。
大場 日蓮上人が出てこられたのは鎌倉新仏教の中でも後半です。仏教の歴史を少しおさらいしますと、552年に仏教が日本に伝来して以降、奈良、平安と時代が進んで、鎮護国家の役割から貴族の方々が現世での繁栄を願うようになりました。そしてその後は、亡くなった後の浄土を願ったりするようなものになりました。当時は民衆の仏教ではなかったんです。そののち、真言宗さんや天台宗さんを経て、鎌倉時代には法然のような方も出てきて、仏教が民衆にも広まっていきます。
いわば、日本の仏教がどんどんアップデートしていって、禅と念仏が日本仏教の二大柱になり、そんな中で肝心な法華経が忘れ去られるという状況になりました。それを見た日蓮上人が「いや、ちょっと待って、法華経を捨てちゃダメでしょ」みたいな感じで始まったのが日蓮宗です。
第2回の天台宗さんの回でもお話があったように、法華経って仏教の中の土台のようなものなんですよ。それなのに、それが忘れ去られて禅と念仏ばかりが広まってしまった。その状況に危機感をもった日蓮上人が覚悟と情熱をもって、「やっぱ法華経が必要だよ」と訴えた。鎌倉の中の揺り戻しなんだろうなと僕は感じています。大場唯央さん
(写真提供=大場唯央)
安藤 法華経は大変長く複雑な構成をもったお経ですけれど、法華経の核心というのはどういうところにあると思われますか?
佐々木 法華経の核心ですか。僕が思う法華経の核心、というよりは日蓮宗の核心かもしれませんけど、まず一つが、
「この世界こそが仏の在(ましま)す浄土である。この世を捨ててどこに浄土を願う必要があろうか(来世に望みを託すのではなく、今生きているこの世界にこそ、希望を求め続けるべきだ)」
ということです。 自分たちがこの世界でどうやって仏様に変わっていけるのかというのが仏教であって、そこを大事にしないといけない、ということを言われているということが一つ。それからもう一つ、
「一身の安堵を思わば先ず四表(しひょう)の静謐(せいひつ)を祈るべし(自らの幸せのためにも、広く社会全体が平穏無事であるよう願い、そのような世の中になるために皆努力するべきである)」
自分の幸せを実現していきたいならば、まず周りの幸せをきちんと祈っていくこと。地域であり社会であり、コミュニティをきちんと確立していくこと。この2つが僕は法華経を根底とした教えで大事なことだろうと思います。
私たち自身が自分たちの住んでいる世界を浄土にして、みんなで幸せをつかんでいく。こういうあり方が、僕が法華経または日蓮宗を好きなところです。
(つづく)
2021年慶應SDMヒューマンラボ主催オンライン公開講座シリーズ「お坊さん、教えて!」より
2021年6月21日 オンラインで開催
構成:中田亜希(1)僕たちはなぜお坊さんになったのか
(3)実践に重きを置く日蓮宗