藤本晃 (誓教寺住職・『ブッダの実践心理学』共著者)
ただいまサンガ新社では、スマナサーラ長老の名著『ブッダの実践心理学』復刊に向けたクラウドファンディングを実施しています(2025年12月31日まで)。
そこで今回、『ブッダの実践心理学』の魅力と学ぶ意義をあらためてご紹介するために、シリーズ共著者である藤本晃先生に入門的な解説をお願いしました。
心のメカニズムを仏教の智慧によって理解したい方にとって、『ブッダの実践心理学』は最良の入り口となるシリーズです。仏教の体系を深く整理したアビダンマを、現代の読み手にも分かりやすく説き明かしたものです。
仏教の教えは「経蔵・律蔵・論蔵」の三蔵から成り、アビダンマはその中核である「論蔵」にあたります。
本稿では、シリーズ共著者の藤本晃先生が、アビダンマの全体像と学ぶ意義をポイントを押さえて解説します。なぜ学ぶと「自分と世界が理解でき、人格が育ち、心が清らかになる」のか? そして、なぜ第一巻が「物質の分析」から始まるのか? その理由にも触れながら、アビダンマの魅力と学び方を案内します。
イントロダクション はじめての『ブッダの実践心理学』
■1:アビダンマ(アビダルマ)の意味
アルボムッレ・スマナサーラ長老の『ブッダの実践心理学』とその基になった『アビダンマッタサンガハ(アビダンマの綱要)』って、どういうものなのでしょうか。そして、それを学んでどういう効果が得られるのでしょうか。
まず、アビダンマの意味を考えてみましょう。アビダンマとは、お釈迦様が説いた教え「経」とお釈迦様が制定した「律」と別に、後の弟子たちがお釈迦様の教えをまとめたエッセンス「論」、とは限りません。お釈迦様ご自身が「律(ヴィナヤ)」と別に、いわば「超・律(アビヴィナヤ)」と、そして「法(ダンマ)」と別に、いわば「超・法(アビダンマ)」と、それぞれ二種類を使い分けておられます。
「律(ヴィナヤ)」と「超・律(アビヴィナヤ)」の区別は、注釈書に示されています。生活・生きることについての戒め(波羅夷罪第4で托鉢食を得るために悟ったと噓をついた、など)が普通の「律(ヴィナヤ)」。それ以外はすべて「超・律(アビヴィナヤ)」です。つまり、ほとんどの戒律は、言葉と体の動きを、そしてそれらを司る意を戒めるので、戒律を守ることがそのまま常に気づきを絶やさないヴィパッサナーの実践になります。アビヴィナヤとは、悟りに直結する「超え勝れた戒律」という意味なのです。
一方、お釈迦様の教え「法(ダンマ)」には、やがては悟りに導くけれどすぐに直結するわけではない施論・戒論・生天論も含まれます。在家生活で功徳を積む仕組みやその効果を教えたお釈迦様の教えも「法」です。その中で、悟りに導く道筋を教えた「法」を、お釈迦様は特に「超・法(アビダンマ)」とも名づけておられるのです。
後の弟子たちがお釈迦様の教えの中からそのエッセンスを取り出した論書もアビダンマと呼ばれるのは、教えの中でも悟りに直結する内容をまとめたという意味です。
■2:アビダンマ論書は構成も大事
アビダンマは悟りに直結する教えなので、論書の一つだけでも、お釈迦様の教えの神髄を過不足なく盛り込み、しかも悟りに導くように説かれていないといけません。自分と世界の正体を知り、それらへの執着を捨てて悟りに至る道を歩むための指南書であるはずです。
『アビダンマッタサンガハ』に繋がる上座部のアビダンマ論書はどのように構成されているでしょうか。
●2-1:上座部無畏山寺派の『解脱道論』(紀元五世紀以前)
「はじめに(因縁)」で、解脱に達するための道を戒→定→慧の順で説明する、と明示しています。
戒:
① 分別戒(悟るための道として)
② 頭陀(戒の仲間だからここで)
定:
③ 分別定(戒を満たして準備ができたら禅定に向かう修行を)
④ 善知識を求める(瞑想修行には善知識の指導が必要)
⑤ 分別行(瞑想指導するには弟子の性格「行」を把握する必要がある)
⑥ 分別行処(瞑想の対象・業処「行処」を解説)
⑦ 行門(個々の業処と、それらに対する止・観の仕方を説く)
慧:
⑧ 五通(神通力)
⑨ 分別慧(解脱ではなく、弁舌の無碍解や四諦の智慧)
⑩ 五方便(五蘊〔物質の説明も〕、十二処、十八界、十二因縁、四諦八正道)
説明順は色→受→想→行(行は心所に相当)→識
⑪ 分別諦(観瞑想で無常、苦、無我を観て解脱する仕方を説く。預流果から阿羅漢果まで)
心・心所・物質など世界の正体も、戒定慧の順で悟りに向かう修道を説く中で一緒に解説しています。
●2-2:上座部大寺派の『清浄道論』(紀元五世紀)
「はじめに(因縁)」で戒→定→慧の順に沿うとしているように、全体の構成も『解脱道論』と同様になっています。
戒のグループ:
① 戒
② 頭陀支
定のグループ:
③ 業処把取(定とは、と定の定義から始まる、40業処を順次解説)
④ 地遍
⑤ 余遍
⑥ 不浄業処
⑦ 〔十隨念の最初の〕六隨念
⑧ 〔残る四〕隨念業処
⑨ 〔四〕梵住
⑩ 無色〔界の業処〕
⑪ 定(食厭想、四界差別)
慧のグループ:
⑫ 神変
⑬ 神通(第2~第5神通)
⑭ 〔五〕蘊(物質の説明もここで。慧の総説。慧地〈五蘊【色〔24所造色〕、識〔89心〕、受、想、行〔善心と相応するもの、不善心と相応するもの≒心所〕】〉)
⑮ 〔12〕処・〔18〕界
⑯ 根・諦(22根〔五根、男女根、命根など〕、四諦)
⑰ 慧地(12因縁)
⑱ 見清浄(名色の観察、五蘊十二処十八界、触・受・識により)
⑲ 度疑清浄(名色の因縁の把握)
⑳ 道非道智見清浄(生滅の随観、観の汚れ)
㉑行道智見清浄(生滅→壊→怖畏→厭離→脱欲→省察→行捨→随順)
㉒智見清浄(四沙門道)
㉓慧修習の功徳(四沙門果、果定、滅定)
同じ構成ながら『解脱道論』より詳しく論じられています。
■3:『アビダンマッタサンガハ』(紀元10~12世紀頃)
では、『清浄道論』と同じ上座部大寺派で十世紀以降に編纂され、現在でも沙弥の教科書として用いられている『アビダンマッタサンガハ』の構成と内容はどのようなものでしょうか。
まず序論で、「世界は心、心所、物質、涅槃の4つだけ」と宣言します。この順番で説かれることが窺えます。
① 心(89心)
② 心所
③ 雑多なもの(④⑤を説明するために必要不可欠な述語とその意味)
④ 心の生滅
⑤ 輪廻・業
⑥ 物質(最後に涅槃も説明)
ここまでで、心、心所、物質、涅槃という世界の構造が明らかになりました。世界と自分の心を、つまりこの世のすべてを理解したので、次はいよいよ修行して悟るための解説が始まります。ここから、先の諸論書が説いたのと同じ、戒→定→慧の順で説かれます。
⑦ まとめ(修行・悟りを邪魔する煩悩と修行で変化する心の状態を解説)
⑧ 縁起(12因縁、24縁を明らかにし、輪廻の原動力・渇愛のカラクリを知る)
⑨ 止・観(業処と悟るまでの心の変化を解き明かす)
先の諸論書より内容ははるかに簡潔にしてあります。一方、先の諸論書のように戒定慧の説明の中に心や物質の説明を押し込んで同時に語るのではなく、戒定慧を語る修行編より先にまず知見編として心と物質の正体を説明しています。それから修行して悟る実践に向かうよう、いわば基礎編と応用編それぞれの目的に特化した分かりやすい解説になっています。悟りを目指す初学者に適した教科書といえましょう。スマナサーラ長老がアビダンマを教えるために、「アビダンマの綱要」を意味するこの『アビダンマッタサンガハ』をテキストに選ばれたのも納得です。
■4:『ブッダの実践心理学』
では、スマナサーラ長老の『ブッダの実践心理学』シリーズはどういう内容でしょうか。
『アビダンマッタサンガハ』では内容説明がほとんど略されていますので、それらを現代日本人に理解しやすいよう、授業というよりはお寺の説法という感じでかみ砕いて説いておられます。読むだけで理解しやすいです。
シリーズの配分は、ページ数の関係で全部で七冊にまとめられています。『アビダンマッタサンガハ』の③が④に、⑦が⑧に組み込まれています。
そして、『ブッダの実践心理学』の最大の特徴ですが、⑥の「物質の分析」がまず最初に解説されています。どうしてでしょう。
第一巻「物質の分析」の中で長老は、私たちには心は何かとは分かりにくく、一方、物質は目の前にあるし、私たちは物質科学の基準で学び生きてきたから、まず物質とは何かを学ぶのが理解しやすいでしょうと語っておられます。
しかし、修行のための最適な学びの順番かもしれないのに、変えたら理解がちぐはぐにならないでしょうか。
私は、これも長老の工夫ではないかと思います。
心を知り、物質を知り、修道すると、悟る前に禅定や超能力が身につくことがあります。しかし、その寄り道を楽しみ過ぎて最終目標を忘れたら大変です。
悟りに向かう一本道を日本人の性格に沿って教えるなら、最初に物質の正体を教えるほうが理に適っているように思えます。「物質とは、世界とは、こういう仕組みだ。分かった。悟りに関係ない。措いておこう。では次に心を学ぼう」と、心・心所の仕組みを理解し、それからいよいよ修行に入り、心が迷いの世界で輪廻するカラクリを見抜き、悟りを邪魔する煩悩と悟りへの道順を学び進むと、禅定や超能力に心揺れることなく、世界への執着が減り、業処を定めて観瞑想を実践する悟りへの一本道を歩めます。
スマナサーラ長老がアビダンマ、すなわち、世界と世界から脱出する方法をすべて語る際に『アビダンマッタサンガハ』をテキストに選び、しかもその順番を変えたのは、こういうわけではないかと思います。
まだ仏教が何百年か存続するなら、数百年後の仏教徒は、『アビダンマッタサンガハ』の次のアビダンマテキストとして、紀元21世紀のスマナサーラ長老の『ブッダの実践心理学』の名を挙げることでしょう。
私たちもこのシリーズを読んで世界を知り尽くし、説かれたとおりに修行して世界への執着をなくし、解脱の智慧に達してみるのはいかがでしょうか。
第一巻 物質の分析(近日公開予定)
お知らせアルボムッレ・スマナサーラ長老の名著『ブッダの実践心理学』シリーズをサンガ新社より紙書籍で復刊します。ブッダが説いた心の法則が明らかになる全八巻(七冊)のアビダンマ講義。今回はプロジェクトの第1弾として『第一巻』『第二巻』『第三巻』を同時刊行。クラウドファンディング特別価格にて予約を受け付けます!(2025年12月31日まで)クラウドファンディング挑戦中!
スマナサーラ長老『ブッダの実践心理学』を紙書籍で復刊します![第一巻〜第三巻]


