【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「真理」と「法則」の違いについてです。
[Q]
「真理」と「法則」の違いは何でしょうか? 法則とは時と場合によって変わるものなのでしょうか?
[A]
■言葉は道具、理解はバラバラ
どう答えればよろしいでしょう。文字の通りに答えれば、真理と法則とは同じ意味となります。なぜ「文字通りに答えれば」と前置きしたのか、それは人々が真理や法則という言葉で何を理解するのかということがさっぱりわからないからです。単語・言葉というのは便利な道具ですが、使い方を間違うと危ない道具にもなります。例えば音が同じでも、漢字が同じであっても、どんな意味として使うのかということは、その人によって違うのです。常に同じではないのでよくわからないのです。
■「法則」とは変わらないこと
法則というものは、時と場合によって変わるものなのでしょうか? もし変わるものだったら法則とは言いません。例えば「地球が自転している」というのは法則です。地球が気まぐれで回転を止めるということはありません。
■「真理」とは一切現象の本当の姿
真理とは、私たちが認識する世界の本当の姿(普遍的法則)は何なのか、ということです。キャンプに行く時、組み立て式のテントを車に積んで持っていく--その時はただの荷物です。しかし、キャンプ場で杭を打って張ると、雨風をしのいで虫から身を守るための家になります。山の中でも楽に安心して寝られるのです。この場合、テントが時と場所に応じて変化したことになります。そのような物質の一時的な現象は真理ではありません。
世界や自己という現象は一体何なのかと、徹底して客観的に調べていくと、そこに普遍的な法則としての結論である真理を発見することになります。仏教が語る真理「因果法則」とも言います。一つの現象があるとします。そこで、「何によってその現象が生じたのか? 何によってその現象が滅するのか?」と観察するのです。最終的に、一切の現象は因縁によって生じて、その因縁が消えると滅するのだと理解します。その理解は、真理の理解でもあり、因果法則の理解でもあります。
■時空と「因果法則」
因果法則は時空によって変化しません。現象は時空によって変化します。時空も現象の因縁になります。簡単なことです。淹れたばかりのお茶は美味しく感じます。一時間経ったら、それほど美味しく感じず飲む気になりません。時間によって変化したからです。花畑の花はそれなりに美しいのです。しかし、その花を切って適切な花瓶に入れて、適切な場所に置けば、前と全く違う美しさを演じます。空間によって「美しい」という現象が変わったのです。ほとんどの現象において時空も因縁になります。例として、モノには無い「落ち込み」という現象を調べましょう。個人の主観である落ち込み感情も、見事に時空によって変わるのです。因果法則そのものは時空によって変化するものではありません。
因果法則が時空によって変わるならば、何ひとつも理解することが出来なくなります。簡単に言えば、卵からヒヨコが生まれます。この法則が時空によって変わるならば、卵を置いた場所によって、生まれてくるのはヒヨコではなく花などの別な現象になるでしょう。でも、因果法則という真理のおかげでそれはありえないと明言できるのです。しかし、卵という現象には時空関係が因縁になります。時空の変化によって、卵からヒヨコが生まれることが出来なくて、腐ってしまう可能性もあります。卵からヒヨコが生まれるのではなく、ヒヨコが徐々に小さくなって卵になる因果法則の世界があり得るでしょうか? それは決して起こらない馬鹿げた話でしょう。ですから、因果法則という真理は、時空によって変わるものではないのです。もう一つ説明がありますが、長く深く語らなくてはいけない難しいポイントなので、ここでは省きます。
■無常は実体ではなく、変わるということ
言葉には気をつけて下さい。真理や法則は絶対に変わらない、固定していると言ってしまうこと、それは言葉の間違った使い方になります。例えば仏教では「無常」という真理を語っています。無常とはどこにあるのでしょうか? 無常を発見しましょうと言ってもどこにあるのですか? 無常とはどこにも無いとも言えます。無常とは法則です。実体ではありません。どんな現象も変わるのです。その法則を持っている。変わる場合、時空も変わる原因となります。時間が経過することや場所が違うことによっても現象は変わるのです。例えば地球にある液体を宇宙空間に持っていくと形や状態が変わってしまう。水ならこぼれることなく綺麗な丸になります。
■無常が真理、真理とは法則
全ての現象は因縁によって瞬間、瞬間と変わり続けます。この変わっていくこと、変化していくことは、決して止まらないのです。ノンストップです。その普遍法則にお釈迦様は「無常」という言葉をつけられました。無常とは真理です。真理とは法則なのです。その法則は、どうすることもできません。屁理屈や言葉遊びになりますが、「無常は絶対に無常ではない(無常は変わらない)」と、無常は変わることを指しているのに言葉では変わらないと言えてしまう。何か禅問答みたいな感じですね。「世の中で絶対無常で無いものはなんでしょうか?」答えは無常ですとか。これはただの冗談です。言葉遊びは無意味なのでやめましょう。
■一切現象は因縁によって変わる法則
ポイントはわかりましたか? 真理と法則というのは同じ意味ということで理解してください。現象は時空や因縁によって変わるという法則が真理なのです。リンゴは無常です。リンゴを原子に分解したとしても、原子は無常です。原子を素粒子に分解しても、素粒子も無常です。原子に分解すると、もう皆が知っているリンゴの姿は存在しません。素粒子まで分解してしまうと、宇宙のどこにでもある形(物質)になってしまうのです。共通する法則は、変化し続けることです。それが無常という真理なのです。
■出典 『それならブッダにきいてみよう:さとり編2」