アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「妄想はどこまで危険か?」という問いにスマナサーラ長老が答えます。

[Q]

   日頃から妄想ばかりしていると、死ぬ瞬間に妄想に引っ張られ悪い境遇に生まれ変わってしまうという話を聞いたのですが、本当にそういうことがあるのでしょうか?

[A]

■危険な妄想の正体

    私たちがどんな人間であるかということは、心が決めるのです。心が思考することで決まるのです。ですから、人を恨んだりする思考(妄想)をしていると悪人になって終わってしまいます。あるいは、私はダメな人間だといって自分を卑下するような落ち込んだ思考をしていると、本当に何もできない人間になって終わってしまうのです。自分が何者なのかということは「何を考えているのか」で変わります。したがって妄想することが一番危険なのです。
    妄想とは、ある感情にもとづく思考の型(パターン)です。それを頭(意識)の中でグルグル繰り返しているのです。そうすることによって精神的に退化し、心に力が無くなってしまいます。死後も、妄想から生まれた暗いエネルギーにぴったり合った世界に生まれてしまうのです。例えば、誰かのことを恨んで、あの人は本当に悪い奴だ、迷惑な存在だとあれこれ妄想して自分が落ち込むことで、恨みの心に値する次元に堕ちる準備をしてしまうのです。これはすごく悪いことです。

■妄想の悪影響を消す「慈悲」の力

    妄想が癖になっている私たちも、慈悲の力でその悪影響を消すことができます。誰かに酷い目に遭わされて怒りが生じたとしても、それで構いません。「生きとし生けるものが幸せでありますように」「すべての生命が幸せでありますように」と慈悲の言葉(フレーズ)だけを繰り返し思考し、念じる。そうすると、心は妄想を繰り返すことができなくなり、慈悲の心を回転させることになるのです。慈悲の心を持って死ぬのは良いことです。死ぬ時に慈悲の心であれば、美しい世界、互いに協力する、互いに兄弟のような優しい、いわゆる天界という次元に生まれるのです。簡単に言えば、嫌なことは何も無い世界です。
    妄想をすると、どんどん堕落して、不幸から不幸へ、限りなく苦しむ方向に転がっていってしまいます。これはどうにもなりません。そういう法則が心にあるからです。ですから、私たちは最初から上手くできなくてもいいので、「生きとし生けるものが幸せでありますように」「嫌いな人(生命)も幸せでありますように」「邪魔をする人(生命)も幸せでありますように」と、そのように慈悲の思考で妄想を置き換えるのです。頑張ってみてください。



■出典     『それならブッダにきいてみよう:瞑想実践編2』  

瞑想実践編2.jpg 154.22 KB