アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「掃除と不殺生戒」です。

[Q]

   不殺生戒の実践について質問があります。私の仏教に関する理解ですと、自分の行動の結果として他の生命が命を落としてしまう事があったとしても、私の心の中に「その生命を消してしまいたい」という気持ちが無ければ悪い業は生まれないと解釈しています。なので、私が部屋の掃除をすれば、部屋にいるダニたちが死んでしまう事はほぼ確実なんですけれど、ダニに対する殺意が無ければ、部屋の掃除をやっても悪行為にはならないと考えています。ただ、気になるのが、「これから自分が行う行動によってダニが死んでしまう可能性が高い」と事前にハッキリ気づいているにも係らず、実際に行動に移してしまうのは、自分の心の中に ダニの生命を軽んじる気持ちが多かれ少なかれ、確かに存在していることの証拠ではないかと不安になりました。つまり、自分の家族の生命に関わる出来事が発生したら、自分の家族の生命を守るため真剣に対策を考えるのに、ダニの生命に関わる事なら「もう見過ごしちゃえ!」と、生命を差別する汚れた生き方をしているんじゃないかと不安になりました。仏教では掃除を禁止するような戒律は無かったと思うので、私の考え方はどこかおかしいと思うのですけれど、どこが間違っているのかよく分かりません。

[A]

■妄想せず具体的に考えること

    そんなこと考えない方が楽チンじゃない?    慈悲の瞑想で「生きとし生けるものが幸せでありますように」って念じていると、大きなものであれ、小さなものであれ、近くのものであれ、遠くのものであれ、幸せであって欲しいと思うので、「これから自分が掃除することで迷惑がかかるなぁ、ダニが死んじゃうかも」というのはちょっと余計なんですね。
    色々と下らないことを考えてしまうのはしょうがないんだけど、本当にそこは余計です。なぜ余計かと言うと、それによってあなたが困ってしまっているから。逆にそう考えることで頭が冴えてきて、しっかり理性が開発されているのならばOKなんですけど、そうじゃない。
    慈悲の瞑想では目に見えない生命のことも入っています。ダニってどうでしょうか、あれやこれや細かく考えちゃうと余計に困る事になりますね。あなたの説明はその通りで合っていますし何も異論はありません。ただ、「掃除機をかけると当然、ダニがたくさん死んでしまう」というのはあくまでも私たちの推測であって、実際の経験では無いんです。実際の経験をしたければ、顕微鏡でも使って掃除機のゴミを調べるぐらいしなくちゃダメでしょうね。かといって、調べてわざわざ落ち込むのは意味が無いんです。私たちはダニではなくて人間と一緒に生活しているんです。私たちの仲間は人間なんですね。みんな気持ち良く過ごせるように、という目的で掃除をする。そこで終わって欲しいんです。ダニを捕まえてさらに顕微鏡で観察するなんて専門家がやる事で、その専門家も私生活ではそこまでは気にしていません。そういう事で、私たちには知られる生命に対しては具体的に慈悲を実践する、不殺生戒を守る。私がこうやって手を早く伸ばしちゃうと目に見えない餓鬼道の生命たちがそこにぶつかって死んじゃった、って言っても知ったことじゃないでしょう。そもそもそんな気持ちも無いんだから、しょうがないんです。
    ロジカルに考えると、私たちの身体に細菌が入ったとする。細菌には「人間の身体に入って、この人の生命を脅かしてやろう」という気持ちはありません。生き物だから、生命が繁殖できる環境を探しているだけなんですね。探して見つけたら、じゃあここでバンバン子孫を作って成長してやりましょう、と、あちらはあちらの事しか考えていないんです。それで私たちの細胞が壊れたり、細菌が出す色んな物質で身体が壊れたりはするんですね。でも、細菌には殺意は無い。結局は。そこで私たちの問題は、抗生物質で退治する!    とか、アルコールで抗菌して菌を殺すぞ!    と「殺意」を持ってやっちゃうと悪行為なんですね。ではなくて、「体調が悪い。本当にひどい状態なので薬を飲みます。飲んで楽になります」というシンプルなところでストップして欲しいんです。「あぁ〜薬を飲んで楽になった!」    それで充分ですよ。薬が身体に入って、いかに体内のウィルスを退治して、壊して!    と、妄想する必要は無いんです。そもそも科学的なデータがありません。だから妄想なんですね。ウィルスや細菌がどんな風に働くのかという説明を科学者はしますが、あれはあくまでもサンプルのデータについて言っているだけで、個々の体内でどうなっているのか、という事についてのエビデンスは無いんですね。
    そういう事で、あなたが言ってる事はその通りで、殺意さえ無ければ問題は無いんですが、実際、経験の無い事について考えると、それは妄想になってしまうんです。だから、掃除機の中にダニがいっぱい溜まっていると思う事は妄想であって、掃除機の中にゴミがいっぱいあると確認できることは妄想じゃないんです。

■ポジティブに皆が幸せになる道を作る

    生きていく上で、どの生命が死ぬかは分かりません。かなりの生命が、人間が生きていくために死んでいますよ。だから私たち人間はね、野菜を食べる時に一緒に農薬などの化学物質を入れているから、身体が壊れて行くんでしょうに。ホルモンの出方がおかしくなっちゃって突然、怒り出すなどおかしな人もいるでしょう。あれはホルモンのバランスが崩れたせいなんですよ。食べる物は人体にものすごく影響を与えているんですね。さらに、都会では空気の酸素濃度が低いでしょう。だから誰もが瞬時にカッとなるんです。酸素濃度が高い森の中にいると気分が良いんです。その時はカッとなりませんからね。いかに楽しもうかと、歌でも歌っちゃおう!    とか思っちゃうでしょう。そういう広々とした自然の中で遊ぼうと思っている人たちは歌とか歌って楽しく遊んでいて、カッとはなりませんね。ゴータミー精舎に近い代々木公園は週末すごい人出で、それぞれのグループは、周りに迷惑をかけないようにと気を付けて凄く楽しく活動しているんですね。狭くて酸素濃度が低い家でやらないことですね。家ではちょっとした事で怒る若者たちが、仲間と一緒に、スピーカー繋げて楽器を演奏して、邪魔にならないよう楽しくやっているんです。そこから五メートルくらい先にまた別なグループ。他にも踊りの練習をしたり、歌の練習をしたり、ある所では楽器演奏の練習をしたり……。みんな仲良くお互い平和にすごい楽しく活動していますよ。あの代々木公園という大きい雰囲気が必要なんです。車も入れないから排気ガスも無い所で楽しむ。私たちは今、酸素濃度がかなり低い環境に置かれているんです。酸素が足らなくなっちゃうと酸欠状態になって、突然怒ったり、落ち込んだりとトラブルが起こるんです。それも人間の行為の結果でしょう。
    だから、人間が良かれとやっている事によって、却って困った事になっているんですね。自動車を作っている人々は「排気ガスで空気を汚して、人間は死んでしまえ」とは思っていないんです。移動が楽チンだろうと思っているだけ。食べる物だって保存しやすくするために添加物を入れたりとか、メーカーは良かれと思ってやっていることで、私たちは悪影響を受けていますよ。大気汚染やアレルギーが増えたとか。いわゆる被害者になっているんですね。環境汚染は結果的に人間がやった事なんです。一般的に言えば、一人の生命が生きていると、どれくらい他の生命に迷惑かけるのかという事は把握できないんです。掃除機をかけなくちゃいけない、人間だから。って、簡単に言いましたけど、それでどれくらいダニが苦しむかっていう事はもうわからないんですね。解決策はありません。
    ただ、人間がやっている事は人間に解決できます。自動車も今はもうハイブリッド車が普及して、電気自動車になって来ています。でも、動力が電気になっても結局は同じことですからね。燃料を燃やさないと動きませんから。だからそこは余りポジティブにはなっていません。もっと頑張ってソーラーパワーを使ったり、風力発電を使ったりとかね、色んな方法で自然を守ることは人間にはできます。私たちも頭を使えばダニの無い部屋を維持管理することもできるでしょう。工夫次第でみんなの幸せになる道を作ることはできます。そこに殺意が無ければ、殺生戒を破った事にはならないのですね。


■出典   『それならブッダにきいてみよう:さとり編2』  

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