シュプナル・法純(僧侶)
第3回 争いのなかで、争わない心を見つける
■戦争はいつもあった
──2022年2月にロシアによるウクライナ侵攻がはじまり、もうすぐ1年が経とうとしています。ウクライナの隣国であるポーランドご出身の法純さんは、この戦争をどのように考えていますか。
ロシアのウクライナ侵攻前は戦争がなかったと言う人もいますが、それは間違っています。まず、ロシアのウクライナとの戦争は、2014年に始まりました。決して2022年の2月が始まりではないのです。次の段階に入っただけです。さらに、それ以前も世界中で戦争はもちろんありました。シリア、アフガニスタン、イラン、そしてアフリカの各地でもどんどん人が殺され続けました。でもメディアは政治的な理由で、ほとんど報道していません。今回、ロシアとウクライナが戦争に入ると、世界中のニュースが一斉にウクライナとロシアの報道を始めました。なぜでしょうかね。
私たち一般人は、2022年2月までは戦争はなかったが今は戦争があると思いがちですが、戦争はいつもありました。すべてが報道されていなかっただけです。ですから、プーチン大統領のような嫌な悪人はいないと強く訴える人はいますが、例えば今までアメリカの左右によってどれほど各国の人が死んだかということは、どうも言いたくないのでしょうね。