ディーパンカラ・サヤレー 

第3回    餓鬼界、天界、一切の生命


ミャンマーの瞑想指導者ディーパンカラ・サヤレーの、2008年1月6日および2013年1月2日の日本でのリトリートでの法話の中から、「慈しみの瞑想」についてのお話をお届けします。



■餓鬼に慈しみを送る

    これは、人間界だけの話ではなく、餓鬼界(幽霊)でも同じです。集中力があるなら彼らの世界を見ることができ、彼らもまた苦しんでいるということがわかるでしょう。

●餓鬼たちの望むもの

    餓鬼界の者たちは、常に慈しみと廻向されることを待ち望んでいます。餓鬼の中にもいろいろな者たちがいて、ある餓鬼たちは、そんなに悪いカルマを持っているわけではなく、家族や財産への少しばかりの執着があったために餓鬼界に落ちてしまった者たちです。そういう者たちに廻向してやると、それが力強いものであるなら、受け取ってまた人間界に生まれ変わることができます。
    私が7歳のころ、別に先生がいるわけではなかったのですが、瞑想をしていました。ミャンマーの伝統としてお経にあるブッダの徳について、いつも唱えていました。ですから、瞑想をするときは、仏隨念(ブッダの資質についての随想)をしていました。
    そのころ夢の中で時折、餓鬼界の者たちが泣いたり、叫んだりして現れることがありました。夢の中に出てきたのは、体が30㎝くらいで、頭がとても大きく、泣き叫んでいました。私はどうしたらいいかわからなかったため、尋ねたところ、「お経を唱えて、それを私たちに廻向してください」と餓鬼が教えてくれました。そんなわけで毎日3、4時間、一心にお経を唱え、その功徳を餓鬼たちに廻向しました。その一週間後、再び餓鬼たちが夢に現れて、「苦しみの生から解放されて、良い生に生まれ変わった」と、とても喜んでいるのを見ました。私はたいへん幸福な気持ちになりました。それはとても幸せな体験でした。
    すべての餓鬼たちが廻向を受けることができるわけではありませんが、受け取ることのできる餓鬼たちもいます。ですから、心からお経を唱えることによって、苦しんでいる者たちを助けることができます。皆さんも、目に見える生き物だけではなく人間界よりも下の世界にいる者たち、苦しんでいる者たちにも慈しみを送ってあげてください。

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リトリート会場に安置された仏壇。
ミャンマーの仏像には立像も多い。


●キリスト教のシスターの体験

    また、もう一つ、幽霊に関するお話をしたいと思います。今から13年ほど前になりますが、カナダのトロントで、教えていたときのことです。キリスト教のシスターが2人リトリートに参加されて、一緒に瞑想していました。ある日、話したいことがあるというのでお話をお聞きました。
    シスターが言うには、「去年亡くなった年上のシスターがいるのですが、昨晩その人が泣いて苦しんでいる夢を見ました」というのです。その夢の中では、雪山にある家の中で、シスターが泣いていました。その家の中には他に多くの女性がいて、みんなが泣いて苦しんでいたというのです。私はそのときに2人のシスターに話しました。
「あなたたちは、リトリートに参加し、瞑想をして、戒を守り、ダンマを学んでいて、非常に良いカルマを積んでいます。どうかそのカルマを彼らに対して廻向してあげてください。ブッダに花を供養し、亡くなった人の名前を唱えて、自分たちの功徳をシェアしてあげてください」
    そう伝えました。それで2人のシスターはそのように廻向しました。
    次の日、トロントに住んでいる若いシスターから、瞑想に来ている2人のシスターに電話がありました。彼女は、昨日夢を見たというのです。
「亡くなったシスターの夢を見ました。シスターは雪山の中の小さな家にいましたが、窓を開けて外へ降りました。他の女性たちはその後に続きませんでした。シスターは地面に下りると、『私は自由になりました。もう人生に苦しむことはありません』と言いました」。
    若いシスターは、なぜこんな夢を見たのだろうかと驚いて、リトリートに参加しているシスターに電話をしたのでした。2人のシスターは、亡くなったシスターに対して前の日に功徳を廻向した話をしました。それで夢の内容とつながったのです。廻向を受け取ったシスターは、苦しみから自由になり、こういう夢に出てきたのだろうと、シスターたちは、驚くとともにとても喜びました。このような事が起こるわけですから一つの例としてお話しました。

●すべての生命が慈しみを受け取れる

    下の界にいる餓鬼たちに対して慈しみを送っても届かないという事はありません。すべての生き物、すべての存在は、私たちの慈しみの心を送ればそれを受け取る事ができるのです。
    誰も下の世界の存在と一緒になりたいとは思わないでしょう。皆さんどうですか?        しかし、彼らが低くて、私たちはそれより高い所にいると考えるのは一つのエゴです。そう思うなら慈しみのバランスが取れていないということです。バランスが取れていれば、餓鬼たちに対しても自分と同じように愛することができます。
    同じように、自分は社長である、上司である、あなたは労働者である、部下であるからといって差をつけるべきではありません。それは高慢というもので、あなたの慈しみ(メッタmetta)はバランスが取れません。そうでなく、誰に対しても平等に対応することです。たとえ下の地位にある人であっても、平等に対応すれば、彼はあなたの慈しみによってとても幸せになります。また人間だけでなく動物に対して慈しみを送ると、動物もちゃんと受け取る事ができます。


■天界へ慈しみを送る

●天界の生命が私たちを守ってくれる

    さらに天界のデーワ(deva天人)たちとか梵天(ブラフマーbhrahmā)たちも私たちの送る慈しみを受け取る事ができます。彼らは私たちよりもさらに大きなパワーを持っているわけですから、それをしっかり受け取る事ができます。梵天界は禅定(ジャーナjhāna)の地にいるのでブラフマ・ビハーラ(brahmā vihara)という「慈・悲・喜・捨」を行っています。ですから、こちらから集中力をもって慈しみ(メッタ)を送れば容易に受け取ることができるのです。
    誰に対しても良い事をすれば、良い事が返ってきます。笑いをもって接すれば、笑いが返ってくるし、怒ったような顔をしていると、怒りが返ってくる事になります。デーワや梵天に慈しみを送ると、デーワや梵天が慈しみを私たちに返してくれます。彼らの慈しみは、人間のものよりも更に力強いものがあります。それは単に慈しみというだけではなく、私たちを危険から守ってくれる力があります。皆さん信じられますか?    デーワや梵天たちは皆さんを守ってくれる事があるのです。

●澄んだ心にあらわれる事

    梵天界には、聖者である、悟っている梵天もいらっしゃいます。皆さんがダンマについて誠実に勉強したいと望んでいると、梵天たちも私たちを助けてくれます。
    それは皆さんの波羅蜜と、心が純粋であることと係わり、心が澄んでないと難しいのです。皆さんには梵天の体は見えないかもしれませんが、天の方から光が差してくるのが見えるでしょう。そして困難なときに梵天たちが助けてくれます。どうですか、信じられますか?    信じるのは難しいかもしれませんが、そういう体験をしていけば信じるようになるでしょう。体験がなければ、理解するのは難しいかもしれません。

●ブッダのダンマ(法)を理解する天人たち

    人々の利益のために、自分を捧げる覚悟を持って行動する時、ダンマ(dhamma法)に対して心からの誠実さをもってすれば、デーワ(deva天人)たちは助けてくれます。彼らにはあなたの心が読めるからです。
    ブッダの時代には、多くのデーワとか梵天たちが天界から降りてきて、ブッダの説法を聞いていたのです。ですから彼らもダンマを理解しています。これらのことを理解し、実践するのは難しいかもしれません。しかし、皆さんの中にはしっかり波羅蜜を積んでいて、人々のために尽くしたいと思っている人もいるでしょうからこのような話をしました。


■平等に慈しみを送る

    このようにして慈しみ(メッタmetta)をすべての生き物に対し、平等に送ることです。パワーがあるかどうかは問題ではありません、心からすべての生き物、デーワ、人間、動物、下の存在に対して、いつも平等な気持ちで毎日送ります。

●平等に送ることで平安が訪れる

    慈しみを平等に送っていると、心はバランスが取れ平和になります。こちらは良い、あちらはだめと選ぶことをしなくなります。そういう風にしていくと段々心はバランスがとれてきて、平和になってきます。家族についても他の人と同じように送ります。自分の家族だから、妻や子や夫だから特別にという事でなく、他の人と同じように執着を持たず、平等に送るようになります。
心配というのは自分に対して、自分の将来に対して、自分について考えすぎるから出てくるのです。家族に対しても他の人に対しても平等な思いで接する事が大事です。みんなを平等に思っていたら、誰の事を心配する必要があるでしょうか。自分のお金や体やエネルギーを皆に分けてあげたら、自分のためにそんなに多くのものを望むことがないでしょう。
いつもバランスをとるという事が大事で、自分だけでなく、他の人に対しても分かち与えることです。いつも、自分の事ばかり考えないようにしましょう。そうすれば心が平和になって、緊張が和らいできます。
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歩く瞑想の時間では、屋外に出ての瞑想もできる。

■環境を慈しむ

●植物を育ててみる


    そしてまた緊張を和らげる別の方法があります。それは、家にちょっとしたスペースがあったら、色々な種類の野菜や植物を植えてみるのです。植物に対していつも注意深く世話をします。そして植物に対して笑いかけてみます。
    私がシンガポールへ疲れて帰ってくると【*1】、まず部屋に入って荷物を放り投げ、一番に植物のところへ行きます。毎朝、起きると植物のところへ行って、どれくらい成長したかを見ます。それを見るのはとても幸せなことです。水をやって、どのくらい成長したかを見ると、それが心を和ませてくれるのです。新しい芽が出てくると、とても嬉しくなります。毎日水をやって世話をし、いつも手を掛けてきているので非常に嬉しいわけです。
    またそこから忍耐ということを学ぶ事ができます。忍耐強く、注意深く、毎日見なくてはなりません。ですから長生きしたいなら、木を育てると良いでしょう。世話をしなくてはならないし、少しずつ木が成長していくのを見ると幸せになります。そこからエネルギーを得て、長生きできるようになります。自分もリラックスできるし、植物を見るのはとても幸せなことです。どんなに忙しくとも、少しの時間でもいいから植物のところへ行って笑いかけるのです。
    ですから緊張や心配を解きほぐすということについてはいろいろな方法があって、いろいろな対象を愛するということです。人々を愛するということだけでなく、自然を愛する、動物を愛する、それが慈しみ(メッタ)を育てる一つの方法です。私たちはより一層自然を愛することが大切です。そうすれば次第に幸せになってきます。

●環境を大切にする

    自然を愛するようにすれば、どこに行っても、どんな環境でも幸せになれます。なぜなら、愛を育てる方法を知っているからです。どこへ行っても不満をいうことが少なくなります。
    自分に良くしてくれる人がいるかも知れないし、そうでない人がいるかも知れません。色々な人の状況や違いをよく理解してあげれば、相手に対する不満とかは起きないでしょう。不満ばかり言っていると心は幸せではありません。苦しみが起こります。環境を受け入れて不満がなければ、相手のどんな状況・立場も分かってあげられます。そうすれば心はいつも幸福になります。
    ですから、環境によってどのようにして幸福になれるかということを学ぶことができます。環境が美しく、良ければ心は幸せであり、環境が悪く、美しくなければ、幸せではないという事ではありません。どこに行っても人々を受け入れ、環境を受け入れて、自分自身の心が否定的にならず、いつも幸せであれば、心は落ち着くことができます。そして幸せな心は集中を作ります。

●幸福な心の可能性

    そんな風にして心の背景が清浄であり、幸福であり、悩ませるものがなければ、容易に一つの対象に集中することができ、妄想が起きてきません。なぜなら、心を世話することを知っていて、一つの対象に集中して、その対象と共にあることに幸せを感じるからです。私たちは自分の心を訓練して、いつも簡素(シンプル)であるように、そして幸せであるようにする必要がります。
    心が幸せであれば、禅定(ジャーナjhāna)に入るのは容易な事です。幸せでないと禅定に入るのは難しいのです。呼吸は自分にとって、とても楽しいと思うことです。呼吸に対して慈しみを送って、「楽しいな、楽しいな」という風に、「幸せ、幸せ」と呼吸に対してやっていると瞑想がとても幸せになってきます。ですから心の背景にあるものがとても重要なのです。それとコミュニケーションを取るという事が大切です。
    ですから、明日は皆さんの心の背景が清浄で、幸せになって、心配する事がないようにしてください。あまり将来の事を考えないように、自分のしてきた過去の事について思いわずらわないように、あるいは家族について思いわずらわないようにしてください。ただ呼吸を見失わないことを気にかけてください。

*1──サヤレーはいつもシンガポールを経由して海外に渡航している。

翻訳・構成:はらみつ法友会
写真:編集部


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