凡夫の自分がそのまま悟りと表裏一体ならば、悟りに至る修行を頑張る必要はないのではないでしょうか。それならば、釈尊があれほど厳密に解き明かした解脱と解脱に至る修行道の教えは、無意味だったということになりませんか?

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藤本晃(浄土真宗誓教寺住職)
(サンガジャパンVol. 33 「日本仏教は仏教なのか? 連載第17回」)
※肩書は掲載時