〔ナビゲーター〕

前野隆司(慶應義塾大学)
安藤礼二(多摩美術大学)

〔ゲスト〕
川野泰周(神奈川県林香寺)
白川宗源(東京都廣福寺)


慶應義塾大学の前野隆司先生(幸福学研究家)と多摩美術大学の安藤礼二先生(文芸評論家)が案内人となり、各宗派の若手のお坊さんをお呼びして、それぞれの宗派の歴史やそれぞれのお坊さんの考え方をざっくばらんかつカジュアルにお聞きする企画、「お坊さん、教えて!」もいよいよ最終回。臨済宗の川野泰周さん(林香寺)白川宗源さん(廣福寺)をお迎えしてお送りします。


(7)禅は非常に実践的な哲学である


■禅宗は実践を重視する哲学である

前野    臨済宗のお二人のお話をお聞きしていて、禅宗は哲学とか科学とそう変わらないのではないかとだんだん感じてきました。私は「すべての人は幸せの境地に至れるはずだ」と信じて幸福学をやっていますが、それとあまり差がないのではと。どうでしょうかね。

川野    禅は実践を非常に重視する哲学と言えるのではないでしょうか。いくら禅の研究をして分析的に禅のことを書いても、その方に実践が伴っていないと本質ではないように感じますし、それで人の心が動くということもないのではないかと体験的に思います。
    達磨さんがその昔、1500年くらい前に中国に禅を持ってきたときに、「行入と理入の両方の両方があって本当の修行になるんだ」と仰ったということが『二入四行論』(ににゅうしぎょうろん)に書かれています。修行というのは理詰めで考えるだけでもなく坐禅をするだけでもないということです。曹洞宗の方も仰っていましたが、日常生活の一つひとつに心を置くのが禅宗のスタイルですので、仮に哲学として位置付けるならば、非常に実践的な哲学と言えるのではないかと思います。
    少なくない臨済坊主は――臨済宗の僧侶は自分たちのことをこう呼ぶのですが――臨済宗を宗教として位置付けることにあまりこだわっていないと思います。哲学だと思ってやっている人もいるでしょうし、禅は生きることそのものだとか、あるいは少しでも幸せに生きるための秘訣だ、というように思っている人もいるかもしれません。
    定義や説明こだわるのではなく、日々それを実践として体現していくというところに禅は重きを置いているように思いますね。

川野一人写真-s.jpg 222.11 KB
(写真提供=川野泰周)

白川    禅宗というのは確かに哲学のような顔をしていると私も思います。しかしそれはあくまでも表面であって、深く中に入っていくと、論理的思考や科学的思考では到達できない部分を大切にしているとも感じます。
    私は「抵抗なくお坊さんになった」と申し上げましたけれども、それは禅宗だったからという部分が多少なりともあると思います。他宗派のことを悪く言うわけではありませんし、今の私は信仰心を大切にしたいとも思っていますけれども、20代前半の頃は歴史学を通して科学的な思考の大切さを学んでいましたから、非科学的なことを軽んじる姿勢をとっていました。信じれば救われるとか、一生懸命に祈ればいいことが起きるとか、そんなことはないでしょ、と冷めた考えを持っていました。一方、禅宗というのは肉体と思考を磨いて、高めていけば素晴らしい存在になれるというシンプルな教えに思えて、受け入れやすかったんですね。
    ただ、修行が進んでいくにつれて、頭で理解することには限界があると感じるようになりました。論理的には理解し得ないことが現実にはたくさんありますし、人の心とか人情というのはそんなに単純なものでもない。そういうときに必要になるのが、信じれば救われるとか、何かいいことありますようにと願う、信仰や祈る心なのだろうと今は思っています。そして禅宗でも論理的思考は捨てるものとされていることに気が付きました。公案はまさにそのトレーニングなんだと思います。
    禅宗ではよく「馬鹿になれ」と言います。一生懸命勉強して知識を身につけて、頭で考えた上で、それらすべてを捨てて馬鹿になれと。つまり、「馬鹿になれ」というのは論理では到達できない先を目指すということだと思います。

前野    私は工学という実践を重視する学問出身なので、たとえば経営哲学のような、本当に幸せな経営をしている人が到達する境地は禅と意外と近いのかなと思ったんですよね。もちろん一緒ではないと思うのですけど、そういったところへの興味もわいてきました。


■坐禅をすれば悟れるのか

──坐禅をし続ければ悟りに達することができるのでしょうか?

川野    ごめんなさい。私は悟っていないのでお答えすることができません(笑)。

安藤    そうですよね。果たして本当に悟りというものがあるのかどうかという話でもありますよね(笑)。菩薩仏教ですから、皆さん仏にはなっていないわけで。

川野    私に修行をつけてくれたお師匠さんや老師方に「悟っているのですか?」とは聞けません(笑)。
    でもおそらく悟っていらっしゃると思います。
    私は「この生き方を私は突き進んでいくんだ」という迷いのなさが悟りなのではないかと思っています。
    それは、疑問なく歩んでいけたら何の苦しみもないと思うからです。もし苦しみがあったとしても、それは全身の力に変わっていくことでしょう。
    ブッダは「この世はすべて苦しみである」というところからスタートして、「あらゆる苦しみを手放すのが悟りなのだ」と仰いました。「動中工夫勝静中百千億倍 (どうちゅうのくふうは じょうちゅうにまさること ひゃくせんおくばいす)」という白隠さんの言葉が残っていますけれども、坐禅だけではなく、日々の行動一つひとつを坐禅のような心持ちで、マインドフルに丁寧に丁寧に行っていく。そして自分に対する思いやりと他者に対する思いやり、周囲との和合を忘れずに自分の生き方を貫いていく。それが悟りにつながる道だと私自身はそう信じて。いろいろな活動をしております。
    私自身に悟りの体験はありませんがそうだと願っています。

白川    こういうご質問をされるということは、その方はいま、悟りへの入り口、修行の入り口に立っていらっしゃるということだと思います。坐禅をしていけば悟れると信じてやってみる。やっていくと「本当に悟れるのだろうか」と疑いが出てくるけれども、それでも続ける。それがまさに修行であり、禅宗における信仰だと思います。ですから、こういう疑問を持つというのは非常にいいことだと思います。
IMG_1733-s.jpg 235.7 KB
(写真提供=白川宗源)

■おすすめの禅の本

──面白くてためになるようなおすすめの禅の本を教えていただけますか?

白川    それはもう、川野さんの本じゃないですか。

川野    おすすめの本と言うのはおこがましいです(笑)。せっかくですから宗さんおすすめの本を紹介してください。

白川    そうですね、禅の世界には老師の提唱という、老師が禅のことをお話してくださった講演録のようなものがたくさんあります。読むとそれぞれの老師のスタイル、それこそ悟りの形が見えてきますので、たくさんある提唱のどれかを手に取って読んでみていただくのがよいかと思います。「あ、禅僧ってこういう感じなんだ」とわかると思います。

川野    私も『無門関提唱』という本を修行時代に読みました。色々な老師の提唱が書籍になっていますが、私が出会ったのは「山本玄峰老師」という方の提唱でした。提唱は難しい本が多く、玄峰老師の『無門関提唱』も私にとっては簡単ではありませんでしたが、何かこう、人間として、禅僧としての気迫のようなものを感じたのを覚えています。

    私がおすすめするのは円覚寺の管長であられる、横田南嶺老師の書かれた本です。南嶺老師は禅の叡智を心の中に携えながらも、一般の人にわかる形で、いろいろなテーマについて本を書かれています。
    特に最近出された『十牛図に学ぶ』(致知出版社)という本は、横田南嶺老師が直筆で描かれた素敵な十牛図の絵と共に読むことができますので、ぜひ手に取っていただければと思います。手元に置いておくだけでご利益が――ご利益なんて言っちゃいけないんですけど、私にとりましては「ありがたい」と思える一冊であり、多くの方におすすめしたいと思います。
a-s.jpg 67.99 KB



■おわりに

前野    今日はお二人の本音のお話が聞けた気がします。臨済宗についてすごく理解が深まりました。本当にありがとうございました。最後に川野さん、白川さん一言ずつお願いします。

白川    今日は素晴らしい機会をいただきありがとうございました。一人でも多くの方が笑顔でゴキゲンに毎日を過ごせるような世の中になればいいなと思って、いろいろな活動をしております。これからも自分なりのやり方で、禅僧としての姿勢を示していければいいなと思います。
    皆さんとはまたどこかでお会いすることがあるかもしれません。今後ともよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

川野    今日はありがとうございました。同夏の修行仲間である宗さんと、仏教や禅についてざっくばらんに話をするというのは実は初めての機会でした。皆さん、私たちのフリートーク(?)を熱心に聞いてくださって本当にありがとうございました。
    禅はやはり「場の持つ力」が大きいので、皆さんにはぜひ禅堂や、お寺の本堂で坐禅をしてほしいなと思います。大本山クラスの大きいお寺、たとえば建長寺でも円覚寺でも定期的に坐禅会が開催されていますから、その場所の持つ力や歴史、そしてそこで修行僧たちが長年に渡って修行をしてきたという空気を感じながら坐禅をされると、とっても良い気づきの体験になるのではないかと思います。家でマインドフルネス瞑想をするのもとても良い習慣ですが、お寺での坐禅はそれとはまた違った、「凛とした感覚」があると思いますので、ぜひお出かけになっていただきたいと思います。

前野    建長寺で毎年Zen2.0というイベントが行われていて、私は川野さんと対談したこともあるのですが、そのとき川野さんが普通は見られない修行道場を「今日、私が案内すれば見られますから」言ってくださって、見学したことをいま思い出しました。その前に川野さんと会ったのはポジティブサイコロジー医学会で、そこではマインドフルネスについての医学的な説明をされていたので、今日はいろいろ感慨深いです。
    今日は図らずも早慶戦になりましたね(笑)。白川さんは早稲田らしく攻めるバンカラで、川野さんはちょっと優しい感じが慶應ボーイだなあと。違いがありながらも、最後のところはピタッと一致している。その自由さが臨済宗の魅力でありお二人の魅力だなと感じました。なかなか味わい深いコンビでした。安藤さんは早稲田出身で私は慶應の教員なので、早慶戦が盛り上がって面白かったです。
    今日は本当にありがとうございました。

(了)



(6)大乗仏教の中の臨済宗