仏教を習うということ、あるいは瞑想することの核心として、外してはいけないところは、「我々はbecoming(〜になる)をするためにやっているのではない」ということです。


アチャン・ニャーナラトー(テーラワーダ仏教僧侶)
(サンガジャパンVol.36 藤田一照師との対談「自分と違う在り方をした人がいる」)
※肩書は掲載時