アルボムッレ・スマナサーラ

新型コロナウイルスの出現による様々な困難に、2600年前から続く仏教は、どのような思考で向き合うのか?    私たちがこれからの時代を幸福に生きるために必要なお釈迦様の智慧をスマナサーラ長老にお尋ねした。  

第4回    他者に不寛容な理由

編集部    外にも出られない、人にも会えない、話すのはオンライン。つねに感染の恐怖におびえている。そんな窮屈な状況が続いているので心が不寛容になっている気がします。電車に乗っていても「なんでこんなに人が多いのか?」と憤りを感じたりします。どのような心持ちで日々を過ごせばいいでしょう? 


コロナで人に会えない影響は…


    コロナ騒動以降、私たちは思うように外出もできませんし、人にも会えないことで、当然ストレスが溜まっていると思います。人間というのは社会性によって命をつなぐ生命体ですから、社会活動が減少するのは大変なことなのです。しかし、やみくもに感情に駆られて「コロナで人に会えないからストレスが溜まっている」とか「なんだかストレスでイライラして人に厳しくなっている」などと思わずに、ここでもきっちりデータに基づいて事象を観察したほうがよいのです。
 
    たとえば「コロナのせいで人に会えない」と偉そうに嘆く前に、自分に問い返してみてください。「ではコロナでなかったとき、私は何人と会っていたのか? 友達が何人いたのか?」と。データに照らしてみれば、コロナだからといって、それほど人間関係に支障が出ているわけではないとわかるはずです。
 
    私も説法や講演など大勢の人に向かってしゃべる仕事ですから、コロナ禍の前後ではそれなりの変化がありますよ。しかし、普通に会社に行って、家に戻ってという仕事のスタイルなら、日常的に会う人々というのは決まっているでしょう。もちろん、緊急事態宣言で外出自粛を強く求められたり、もっと厳しく都市封鎖みたいな「外出禁止令」が出たりすれば、窮屈に感じるでしょう。でも、そうでない場合は、コロナ禍だってそんなに気にする必要はないのです。みんな妄想を膨らませて「人に会えなくなって嫌だ」とか勝手に悩んでいるだけなのです。
 
    それでも、お盆や年末年始に田舎の実家に帰りたいと思っても帰れない、というくらいのことはあるでしょう。しかし、帰省できなかったからといって、現代の日本人は昔ほどまじめにお盆や年越しをやりませんし、たいした影響はないでしょう? 「人に会えない」状況といっても、その程度の可能性がある、ということなのです。