クリニックでのお仕事の合間に参加したリトリート。
朝4時半。鳥の囀りと共に、朝焼けの中始まる瞑想。チャンティングし、大長老のインタビュー。
朝ご飯をいただき、座ったり、歩いたり。
お昼12時以後は固形物をとらず、沈黙の中、ひたすら瞑想。夜は有難い法話。美しい砂浜で、1人ルーシーダットンで身体を緩めたり。

私は、台湾の尼寺で、アリヤナンダ大長老の弟子として26年修行している比丘尼と同室❤️
かなり修行が進んでいるという彼女でしたが、英語もできないということ、お互いに身振り手振りで語りました。
でも、なんかすごい通じて、最後は抱き合いながら、別れを惜しみました。
優しい時間💕💕
彼女が、アリヤナンダ大長老と出会い、ブッダと出会い、瞑想できる幸せを噛み締めてると熱弁してくれて、なんだか、トキメキました。

会場で瞑想中、まだ身体感覚が微妙に残っていた私ですが、突然、半身の感覚がなくなり、次の瞬間、私の中のエネルギーが身体の下にググっと下がり、次には床を突き抜けたような感覚がして、
つい、びっくりして目を開けて、瞑想を中断。
横に長老が立っておられて、またまたびっくり。
そこにおられるだけで、空気がガラッと変わる。
一緒に瞑想できる喜びを感じました。
個人インタビューでは、私は、餓鬼さんについて、また、性エネルギーについて、質問しました。
私にとって、小さな頃から感じる肉体のない生き物との向き合い方や、微細なエネルギーを感じとる自分に生ずる感覚との向き合い方は、常に気になるポイントでした。
この際だからと、大長老に確認。
いろいろお話しくださいましたが、一言でいうなれば、生きとし生けるものへ慈悲を向け、己の良き行いで廻向し、最後まで呼吸に集中するように、とのこと。

私は、目の前の命に囚われがちなのかもしれません。愛着が強いのです。
そして、身体感覚がやたらと敏感なので、呼吸を見失うことがあるから、エネルギーがわかったら、呼吸にまた戻るを意識することが肝心なんだなぁと理解しました。

実は、リトリート中、瞑想していたら、大号泣。
胸騒ぎで部屋にてLINEを見たら、大切な祖父がかなり危険な状態に入ったと連絡があり、慌ててリトリートを後にしましたが、私の身体は素直だなぁと思うと同時に、意識は、空間を超えて繋がっているんだよなぁと、改めて感じました。

餓鬼さんや、天界の方だけでなく、肉体がある生き物だって意識は通じるし、なんなら、それらのエネルギーの方が、やっぱりパワフルなんですよね。

だからこそ
メッタスッタ。

ブッダに感謝します。
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