松本紹圭(僧侶)
ジューストー沙羅(アーティスト / Aww Inc. プロデューサー)
仏教を現代に翻訳し続けてきた僧侶・松本紹圭氏がホストを務め、さまざまな分野の若きリーダーたちと対談する「Post-religion対談」。今回は「imma(イマ)」を始め、様々なバーチャルヒューマンを手がけるプロデューサー・ジューストー沙羅さんをゲストに迎え、新たな時代の精神性や価値観を探求していきます。技術と精神性、仮想と現実という異なる領域が交差することで、これからの「人間」の輪郭が浮かび上がります。
第2話 バーチャルヒューマンと日本のアニミズム
■人間は“なりきる”存在──バーチャルヒューマンと日本的精神性
松本 なるほど、バーチャルヒューマンの発想は、どちらかというと大乗仏教的なのかもしれない。
沙羅 私はimmaちゃんの本質を、いつも「SNS時代の偶像崇拝」だと思っています。それ以外の何物でもないと言っていいと思いますね。
松本 出家者的な発想にも共感を覚えるんですよ。お坊さんになるという行為は、従来のアイデンティティを捨て、名前も衣装も変え、あえて無個性になるという選択です。まあ現代では逆にお坊さんの姿そのものが個性的な存在として映ってしまいますが。とはいえ、お坊さん同士で見れば完全に無個性で、見分けがつかないほど似通っている。
これはある種の「自己のバーチャル化」——つまり人格をいったん手放す行為です。このような出家者的な在り方に、バーチャルヒューマンとの共通点を見いだしているのも、私がバーチャルヒューマンに惹かれる理由の一つかなと思います。
(撮影=横関一浩)
沙羅 根源的に人間はアバターを欲していると思うんですよね。大英博物館なんてマスクだらけじゃないですか。あれは単なる装飾ではなく、物語を伝達するための媒体だと私は解釈しています。松本さんの姿も私の姿も、ある種の「物語をまとった存在」です。私たちはそうした表象を通じて、互いに共通項を見出したり、あるいは見失ったりする。この「何かになりきる」という行為、マスクを被るという人間の根源的欲求——その本質について、私は常に考えちゃうんですよね。
仏教的に言えば、この「姿」そのものが既にアバターじゃないですか。私たちは皆、それをカスタマイズしながら自己を表現している。絵画だってお寺の建築だってすべてがエステティック(美的)です。その進化形が、現代のVTuberやアバター、バーチャルヒューマンなんだと思うんですよね。