〔ナビゲーター〕
〔ゲスト〕
慶應義塾大学の前野隆司先生と多摩美術大学の安藤礼二先生が案内人となり、各宗派の若手のお坊さんをお呼びして、それぞれの宗派の歴史やそれぞれのお坊さんの考え方をざっくばらんかつカジュアルにお聞きする企画「お坊さん、教えて!」。第一回の「真言宗」では、早川智雄さん(福島県長宗寺)、松村妙仁さん(福島県壽徳寺)をゲストにお迎えしております。
(4)密教とは何か(中編)
■真言は日常語とは違う
前野 空海が中国で密教を授かったというお話がありましたが、密教とはどのような教えなのでしょうか?前野隆司先生(撮影=横関一浩)
早川 「真言宗」という名前に現れているように、真言宗では言葉をとても大事にします。しかし真言というのは我々が普段喋っている言葉とはちょっと違うんです。仏の発している言葉であるマントラ、それを含んでの真言なんですね。
仏教というと、一般的にはお釈迦様が伝えた教えというふうに考えますが、密教では、お釈迦様というのは実は大日如来という宇宙全体を体現するエネルギーの根源、それの一つの形であると考えます。大日如来を人間の言葉を使って人間に説いた一つの形であるというふうに考えるんですね。お釈迦様は当然尊いのですが、そこが一番というよりは、そのさらに根源があって、その根源自体が教えを発しているというわけです。
その教えを、真言という独特の呪文のようなもの、陀羅尼(だらに)などで受け取るんです。音のみならず、ビジュアライズされた形(曼荼羅)などもあります。我々人間が、なんとか宇宙全体の根源に触れようと試みているのが真言宗のやっていることだと私自身は理解しています。
だから、真言宗の場合、理路整然とした言葉で理解できる部分というのは全体の中の何割かであって100%ではありません。真言というのは、言葉だけれども、我々が喋っている日常語とは本質的に違う言語です。その詳しい中身は、実はお師匠様から直接伝えてもらうというスタイル(口伝)をとっているので、知りたかったら、密教の僧侶になってもらうしかないんですね。
■即身成仏
早川 もう一つのキーワードは即身成仏です。「この身このままで、この肉体をもって成仏できる」ということで、その心は、我々自身も大日如来とまったく同じものだという発想です。修行を積み重ねた結果、何かになるのではなく、すでに私たちがイコール大日如来だという考え方をします。ただ私たちは日常それに気づいていないので、それに気づくためのさまざまな方法があります。基本的には加持(かじ)をして、気づく瞬間を作っていきます。
しかし大切なのは、何かをしなければなれないのではなく、「あなたはすでに仏なんだよ」という考え方です。すでにそうであると。そういう存在として、我々は世界を生きなくてはいけないんですね。
仏の目線をもって日々を過ごしてみたらいろいろなことが変わります。仏として、どうやって生きるかが試されているんです。
前野 これは真言宗だけがそうなんですか? 真言宗だけが「あなたはすでに如来である」という言い方をするんですか?
早川 他宗派のことは詳しく分かりませんが、おそらくそうだと思います。即身成仏というのは、真言宗がお伝えしていることだと思います。
松村 仏様と同じようなものを我々も心の中にも持っているけれども、それが煩悩でちょっと曇ってしまっている。だから、煩悩の中にあるキラキラ輝いた仏様の光を磨いていくということが修行で大切である。まずは仏様の光を持っているのを自覚するということが大切なんですね。それが真言宗の教えです。仏教コンサートにてお経についてお話する松村さん(写真提供=松村妙仁)
早川 真言宗は否定の宗派というよりは肯定の宗派なんですよね。『理趣経(りしゅきょう)』の中にもありますが、基本的にはオッケーなんです。オッケーという肯定の立場で、オッケーなんだけど、だからこそみんなでもっと世の中をよくしていこうという、意志を乗せていく大人の対応が求められる宗派です。何がダメだから我慢しよう、じゃなくて、皆さん仏だしそれはオッケーなんだけど、だったらなおさら慈悲と智慧をもってよくしていこうということを説いていく。オッケーだからこそみんなでよくしていこうね、というところが私はとっても好きです。
前野 ブッダは大日如来の現れであるというのが、キリストと神と精霊の三位一体の思想と似ていると思ったんですが、歴史的に何か関係があるのでしょうか?
安藤 私は出版社で働いていたときも、自分で文章を書くようになってからも、神道や仏教といった伝統的な教えをもとに近代日本思想を刷新してしまったような表現者たちが好きで、近代仏教の分野では、これまでに南方熊楠や鈴木大拙について自分の書物をまとめてきました。南方熊楠は真言密教、大拙は臨済宗の教えから大きな影響を受けています。この二人が、二人とも、いま話題に出てきました法身、つまり大日如来(宇宙の根源)という存在を重視し、それが東方仏教(Eastern Buddhism)の基盤になるんだと言っています。サンスクリット語で書かれたインドの仏教、釈尊の仏教を研究したヨーロッパの文献学者たちは、日本の仏教、東方大乗仏教は人間ブッダじゃなくて、人間ブッダを生み出す宇宙の根源、法身のほうを重視しており、それは正統的な、オーソドックスな仏教理解からすると異端に近いと批判していますが、南方熊楠や鈴木大拙、彼らの師匠たちや友人たちは、逆にそこにこそ可能性を見いだしていきます。心の中に秘められた法身と一体化することこそ、大乗仏教を土台に、その上で、心理学や生物学など近代の科学を一つに総合することを可能にする、と。
キリスト教と関係あるかどうかは、ここで断言するには問題が大きすぎますが、真言宗は何かこう、いわゆる人間中心ではなくて、自然そのもの、宇宙の根源みたいなものを中心とした教えである。そういうふうに理解してよろしいでしょうか。
早川 そうですね。生きとし生けるものだけでなく自然、無機物も含めて仏性があると言っているのは、日本に渡ってきた大乗仏教だけです。上座部仏教は自然を想定していないと言われます。日本まで渡ってきて初めて、そういうようなものが胎蔵界(たいぞうかい)の中の曼荼羅にも入ってきます。
そういうダイナミックさは、SDGs が重視されるような現代の環境の中でもとても大事な考え方になり得るんじゃないかなというふうに思っております。
(つづく)
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2021年慶應SDMヒューマンラボ主催オンライン公開講座シリーズ「お坊さん、教えて!」より
2021年4月26日 オンラインで開催
構成:中田亜希
(3)密教とは何か(前編)(5)密教とは何か(後編)