アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日テーマは「無我を発見するプロセス」です。

[Q]

    無我を発見するプロセスを説明してください。

[A]

    たとえば、視覚の能力のある人には、視界に入るものはなんでも見えます。見えていることは「実感」です。その実感が自我に変身します。「見える、ゆえに我あり」という理屈です。なんでも見えるから、「見る自分」がいると考えるのは簡単ですが、浅い観察です。「見る自分」がいるとしても、見えるものの管理はできません。「見える自分」が被害者のようなものです。
    見えるものによって、感情も変わります。花、年寄り、若者、子ども、犬、猫、風景、ゴミ、瓦礫、川、泥、なんでも見えるでしょう。それによって感情が変わります。ひどいものが見えて激怒したり、別なものを見て落ち込んだり、また別なものを見て楽しくなったりするでしょう。いると思っている自分というものは、見えるものによって、激しく変化して変わるものです。
    ですから、正しい答えは「『見える』という実感があっても、それが瞬間に別な実感に変わる」です。「これが私」という固定したなにかは見出せないのです。「これが私」という実体はどこにもありません。このように「実感」を集中力を上げながら観察すると、無我を発見します。


■出典    『ブッダの質問箱』