藤本 晃(誓教寺住職・『ブッダの実践心理学』共著者)


アルボムッレ・スマナサーラ長老『ブッダの実践心理学    アビダンマ講義シリーズ』の共著者である藤本晃先生より、アビダルマを学ぶことで私たちの行動がどのように変容していくかについてご寄稿いただきました。全4回連載の第3回です。


第3回    「アビダルマ」は仏教独自の教育法


●仏教の何をどう学ぶかは、人によってさまざま

    おめでとうございます。今、この話を読んでおられる皆様は、とりあえず、「仏教を聞いてみよう、学んでみよう」と、すでに判断「思」しておられるということです。
    世の中で生きていくうちに、私たちはいろいろなことを選び取ったり選び捨てたりしなければなりません。選択肢の中で仏教に関心を持ち、次の段階「聞」に進んでみようかな、と考えておられる皆様と一緒に、では、仏教の何を、どれだけ、どういうふうに学べばよいかということを考えてみましょう。
    学ぶべき量はどれだけ必要でしょうか。
    人によって異なります。たくさん学ぶ「多聞」の人は、本人が学識豊かになり周りの仏教愛好家から頼られるだけでなく、仏教を次の世代に伝えるためにも、大いに役立ちます。しかし自分の「修」そして解脱のためには、たった一言、ワンポイントレッスンだけで構いません。
    仏教が始まった最初の頃は、教え自体にそれほど種類もありませんでした。釈尊が根本的なことだけを教えて、しかも相手にとって最も必要なことだけ教えて、「じゃ、これに気をつけて修行してください」と言われて教えは修了。早い人は一週間で悟っていました。
    相手に合わせていろいろな形での教えが現れてからでも、師匠が弟子の様子を見て、あるいは弟子が何か一つに関心が高いなら、そのワンポイントを教えて、それで悟りまで到達していました。
    学ぶべき分量は、あまり関係ありません。逆の見方をすれば、八万四千もの教えのどれも、たった一つの真理を、相手に合わせてさまざまな角度で語っているだけです。教えのどれ一つだけを選んでも、自分の選んだものがぴったりはまれば、それだけで十分です。
    でも、自分にぴったりの教えをどうやって探せばいいでしょうか。
    釈尊のお経は今でもたくさん残っていますが、長部、中部、相応部、増支部、小部に分類してたくさんある中でも「中部経典」全152経にすべての教えがあるから、まずはそれだけに絞って読んでみれば、152経のどれかが自分にぴったりはまるはず、とスマナサーラ長老からお聞きしたことがあります。
    なにしろ「中部経典」は、まずはテーマごとに、さらには相手に応じて、比丘(弟子)に説いた教え、他宗教でもバラモンに説いた教え、さまざまな沙門に説いた教え、在家者でも王様に説いた教え、女性に説いた教え、などなど、10経ずつまとめてあります。読者自身の関心や立場などに合わせて、どれか一つ、自分にぴったり当てはまる教えがないはずがないと思えるほど、バラエティに富んでいるのです。仏滅後の長老方が、教えをまとめることにもとても長けていました。

●仏教独自の卓越した教育法「アビダルマ」

「まとめてある」ということも、まとめ方も、仏教のすばらしいポイントの一つです。おそらく俗世間でも宗教界でも、仏教が一番、教えることにも長けているのではないかと思います。質・量ともに膨大な教えの世界を、分かりやすく、覚えやすく、いつでもまとめて保存しておくのです。そもそも戒律に守られた比丘サンガの教育システムが、現代のどんな学校よりも優れた驚異の教育システムと言えるのではないでしょうか。なにしろ悟りに導くのですから。
    それでも、「仏教のたくさんの教えの中から自分に合うものを探すのに『中部経典』152経も読むの?    面倒くさい」という人には、あるいは、「まず仏教が見ている世界観をまとめて教えてちょうだいよ。私が納得できたら学んであげるわよ」などという、まず大まかにでも全体像を知らないと始められない石橋を叩いて渡るタイプには、これまた仏教独自の教育法「アビダルマ」があります。
    アビダルマとは、釈尊の教え「ダルマ」を、釈尊が縦横無尽に語り尽くした教えを、項目ごとにまとめて、整理して、分類して、エッセンスだけ抜き出したエスプレッソです。しかも、「世界はこういうものです。あなたもこういうものです。じゃ、修行して悟りなさい」と突きつける鋭利な刃物のような、キラリと光る教えです。
    しかしそれもまた膨大になったので、今度は逆に、アビダルマのエッセンスだけをさらに抜き出して、「アビダンマッタサンガハ(アビダルマの意味の集大成)」というテキストさえ編集されました。これがどれだけ仏教の教育に向いているかというと、今のスリランカやミャンマーでは、入門したばかりの沙弥(小学~中学生)に、まずこのテキストから教えているようです。仏教については、これが基本で、すべてだと。
    仏教に関心があるけど何から始めようかと悩んでいる人も、このテキストから始めるとよいと思います。
    ただし、「アビダンマッタサンガハ」はほとんど術語集です。何の解説も付いていません。強いて言えば、世界のすべてを知る本の項目・目次だけが並べられているようなものです。巨大な図書館の目録カードだけを集めた検索室にいるような感じです。これだけでは、学び方は分かりますが、内容がまだ分かりづらいです。
    沙弥たちは、「アビダンマッタサンガハ」で覚えた一つ一つの言葉や概念の意味を、和尚や師匠に教わって学ぶことができます。一方、現代日本の私たちには、スマナサーラ長老の解説があります。

(第4回に続く)



第2回    能動的な学びのすすめ
第4回    『ブッダの実践心理学』全巻紹介