坐布の上でただ坐っていれば、好きなことは何もできないけれども、この五分間こそが、私の時間だと思えるのです。初めて自分の時間として味わうことができると思います。今まで失っていた時間が、初めて自分の時間になる。
    と言っても、時間の持ち主である自分は、どこにもいません。いないからこそ、初めて存分に味わえる時間なのです。


ネルケ無方(曹洞宗・安泰寺住職)
(サンガジャパンVol.30 「ネルケ流、ボーディーマインドのすすめ」)
※肩書は掲載時