アルボムッレ・スマナサーラ


仏教から生まれ、広がりを見せているセルフ・コンパッションですが、お釈迦様は「自分自身に対する慈しみ」をどのようにとらえていたのでしょうか。アルボムッレ・スマナサーラ長老に、初期仏教経典に立ち返っていただきながら、あらためてセルフ・コンパッションについて教えていただきました。


第2回    経典に学ぶセルフ・コンパッション


    ここからは、経典の中で語られているセルフ・コンパッションをいくつか見ていくことにしましょう。

1.Mallikāsuttaṃ(マッリカー経)


■「私の一番好きな存在は私です」

    最初に紹介する「Mallikāsuttaṃマッリカー経」(相応部3-8)はコーサラ国のパセーナディ王とマッリカー妃との対話を記した経典です。「自分自身よりも好きな人はいるか?」というテーマです。
    パセーナディ王とその奥さんのマッリカー妃は、たいへん仲の良い夫婦でした。あるとき、宮殿の2階の心地よい風がくるところで窓を開けて外を見ながら、ふたりは夫婦というよりは恋人同士のような感じでいろいろ話していたのです。そのとき、パセーナディ王が聞くのです。「きみにはこの世の中で、自分の命よりも大事な人がいるのか?」と。
    世の恋人同士が話す場合は、本当のことは何一つ言わないものです。このとき、国王は質問しながら答えを期待していました。「私にとって、私の命よりも王さまのほうが大事ですよ」と言ってほしかったのです。しかしマッリカー妃は「どう調べても私の一番好きな存在は私です。ほかは全部、二の次です」ときっぱり答えたのです。国王は機嫌が悪くなりました。「なんてひどいことを言うのか」と思ったことでしょう。
    しかし、頻繁にブッダと会ったり、ブッダの説法を聞いたりしていたマッリカー妃はとても賢い女性でした。パセーナディ王よりもマッリカー妃のほうが、お釈迦様との関係がかなり強かったのです。ですから、次にマッリカー妃は王に尋ねます。「あなたにとって、自分よりも好きな人はいるのですか?」と。すると「うーむ……、やはり、私にとっても一番好きな存在は私だよ」となりました。「お互いさまですね」ということになって仲直りです。