松本紹圭(僧侶)
熊谷晋一郎(東京大学先端科学技術研究センター当事者研究分野准教授)


「未来の住職塾」塾長でもあり、現在「産業僧」事業に取り組む松本紹圭氏がホストを務め、さまざまな分野における若きリーダーと対談し、伝統宗教を補完するような新しい精神性や価値観を発見してく「Post-religion対談」。今回は松本紹圭氏のたっての希望で実現した、東京大学准教授の熊谷晋一郎先生との初対談をお届けします。


第6話    孤独を通して生まれる共感


■個を掘り下げて到達する普遍の領域

熊谷    自分を貫く法則性というか自分のネイチャー(自然)みたいなものを探求していく。あるいは自分の歴史みたいなものを数世代にわたり探求していく。そういったものを探求していくと、だんだん主語が「私」に戻って自分の固有性に向かっていきます。
「それによってバラバラになりますか?」とか「再び個に戻ってしまうのでしょうか?」と聞かれることがよくありますけれども必ずしもそうではなくて、⾃分のネイチャーみたいなものに降りていくと、ネイチャー同志でつながっていることに気付く、⾔わば「普遍の領域に到達する」というようなことが、当事者研究では珍しくないのですよね。
    たとえば熊谷自身を掘り下げていくと、まったく違う人生を生きてきた依存症の○○さんと共通する面が見出される。スクリプト、あるいは物語の筋書きみたいなものが抽出されることがあります。個を深めているはずが、何か普遍的なものに到達する。そういった感慨を得ることがありますね。
    自然は自分の外部にあるわけではなくて、自分も自然の一部である。スピノザが言うように、姿形はみんな違うし、歩んできた物語も違うのだけれども、個を深めていくと共通する自然の規則性みたいなものが露わになっていく。そういう段階を経て、経験の類似性で束ねられた仲間とは違う「個に戻ることでつながる仲間」が広がっていく感覚があります。

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熊谷晋一郎先生

■絶望的な孤独に共感が生まれる

松本    仏教に「独生・独死・独去・独来(どくしょう・どくし・どっこ・どくらい)」という言葉があります。独り生まれ、独り死に、独り去て、独り来る。行くのも来るのも死ぬのも生きるのも生まれるのも実は徹底的に独りであるという意味ですけれども、多様性が強調されて共通項を見出しにくいとされている時代に、数少ない共通の骨格になりうるのが、「生まれるのも死ぬのも独りである」という絶望的な孤独で、そこに共感が生まれて、絶望が希望になっていくのではないかと思いますね。