アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「他人を傷つけてしまったときにはどうすればよいか」です。


[Q]

    仏教では「後悔しない方がいい」と言われています。確かに、自分で失敗したことなどは後悔しないのが妥当だと思うのですが、他人にしてしまった行為、相手を傷つけてしまったとか、取り返しのつかないような行為に対しては、どうしても後悔してしまいます。他人に対してしてやってしまった行為の後悔は、どのように気持ちを処理したらいいでしょうか?

[A]

■素直に謝りましょう

    過ちを犯したら素直に謝ることです。日本には「お詫び」という文化まであります。しかし、素直に謝る気持ちとなると希薄なようです。企業がとんでもない不祥事を起こした時に、謝罪の仕方を教えるコンサルタント会社もありますね。お辞儀の角度や言葉の使い方、偉そうに記者会見のやり方などまで教えてくれる。そんなことをやっているから、私たちは本当に謝ることができなくなってしまうのです。
    そうではなく、いつでも人に迷惑をかけたら謝ってください。誰にでもですよ。相手が子供でも同じです。それだけ。取り返しのつかない過ちというのは人の命を奪うことです。それ以外ならどんなことでも取り返しはつきます。

■謝るチャンスを逃したら

    もし謝るチャンスを逃してしまった場合は忘れるしかないでしょう。謝る勇気も無いし、他の方法を考えることもしたくない、ということだったら、結局は謝りたいという気持ちも無いことになりますね。「本当に謝ってやるぞと、その方が自分の気持ちがしっかりするのだ」と思っていれば、何とか方法を見つけて謝るのです。もし相手が死んでいるなら謝れませんが、それ以外は出来ることがあります。繰り返しますが、取り返しのつかない過ちというのは人を殺すことです。皆さん、そんなことはやっていないでしょう。他の場合ならば謝ることができます。もしどこかに「謝りたくない」という気持ちがあるとしたらとんでもないことです。
    本人に謝る気持ちがあったら、ただ黙っていても謝っていることがわかるものです。時々、お寺で預かっている子供が物を壊してしまったりして、大人にすごい迷惑をかけてしまう。本人は失敗をしたとわかっているのです。でも、子供だからどう謝ればいいのかわからないし、弁償しようとしてもお金が無い。子供はその瞬間に体が硬くなって、石みたいになってしまう。私から見ればそれで充分です。それから、ポンとその子の背中を叩いて「さぁ、これを片づけましょう」と言ってあげる。それでなかったことにしてあげるのです。私はその子は正しく謝ったと思います。石のように固まってしまった子供の緊張をほどいてあげて、ちょっと仕事をさせる。自分が壊したものは自分できちんと片づけなさいと言う。そうしてあげると、本人も何となく自分がした失敗を忘れて、また明るさを取り戻すのです。
    とにかく、謝れるならば謝りましょう。それだけです。謝るべき相手が亡くなっているなら、それはもう関係がなくなっているのだから仕方ありません。謝る方法があるなら謝ること。方法が無いのであれば忘れることです。心理学的に言えば、謝ることで気持ちは楽になります。謝ることが不可能な場合は、後悔しないで明るく過ごすしかありません。「謝りたいけど不可能です」と開き直ることで、後悔の念も消えてゆくのです。それしかないと思います。


■出典     『それならブッダにきいてみよう:こころ編2』

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