アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「渇愛と目標・意欲の関係」です。

[Q]

    
渇愛は良くないと言われますが、人生の目標・意欲は必要ではないかという疑問が起こリました。渇愛と目標・意欲の関係について教えていただきたいのです。
 

[A]


■「渇愛」で生きていることは厳然たる事実

    これは大切なポイントです。生命は生存欲で生きています。「生きていきたい」と意欲が起こるとそこに恐怖感と怒りが出てきます。生命は認識対象を敵/味方で区別するのです。自分に有効だと思ったら好きになるし、害があると思ったら敵意を抱く。敵か味方かという見方を捨てれば、蛾や虫も可愛く見えるものです。
    何が私たちを生かしているのでしょうか?    神ではありません。それは「渇愛」というのです。ブッダは渇愛を三種類に分けています。欲愛・有愛・非有愛です。人間には昆虫と違って物事を考える能力があります。概念をつくってしまうのです。これは大したことのない能力です。概念が無くても他の生命はちゃんと判断して生きていますから。動物と違って人間はもっとややこしい世界をつくるのです。生存欲を肯定するために、より安心して生きるために、いかに死を避けるかということのために、ありとあらゆる工夫をするのです。薬を開発したり、家を建てたり、飛行機を作ったり。そんなシロモノは大したことないのではないかと思います。だって、大きな自然災害があると野生動物は死ななくても人間は死んでしまうのですから。人間が自分を守ろうと築いた文明はその目的どおり役立っているのか、大いに疑問です。
    建物を建てること、会社をつくって経営すること、商品開発すること、勉強すること……それらの中でああなりたい、こうなりたいという希望や願望が人間社会に出てくるのです。その根本を探したら何が見つかるでしょうか?    科学者になりたい、画家になりたい、金を儲けて家族を幸せにしたい……表面的には全然悪くありませんが、裏を観ると見えるのは生存欲と恐怖感です。だからややこしい。勉強して、いい職に就いて、まともな人間として生きたい、というのは悪いことではありませんが、生命は全て生存欲の衝動で生きているという厳然たる事実があるのです。

■エゴまみれの夢を捨てて、理性を働かせる

    私たちは夢を求めて頑張ってもトラブル続きです。人間は夢が無いと元気が出てきませんが夢が叶う確率は低いです。人間社会は競争社会です。動物と違ってお互い殺し合い、共喰いをして生きています。人間同士でやるかやられるかという世界です。人間に生まれてしまったせいなのだから私に文句は言わないでください。この競争社会で生き延びなくてはいけない。その程度で、必要な量を知って、適当な夢や目標を作っても構いません。しかし、自分が立てた夢や目標にしがみついて「これこそが人生だ」と思わないでください。それは生命共通の生存欲から発しているのです。原発と同じです。人間社会に電気は必要ですが、こんな地震国でわざわざ原発を建てるとはどういうことか。結局、自分を守ろうとして、自分を破壊して殺して終わってしまうのです。それを考えた上で夢を持ちましょう。エゴまみれの夢を追いかけるのではなくて、理性をつねに働かせることです。
    まず現状認識をしっかりしましょう。人間は自分のことしか考えていません。どんな夢も自分のことばかり。自分が幸せになってから身内のことも嫌々考えてみる。だからそれ以外の、恩恵にあずかれない人間はそれを壊そうとするのです。といっても恨んではいけません。人間の作った社会は誰かが不幸になってその分誰かが幸福になる仕組みなのですから。これも生存欲と恐怖感という動物的衝動でつくったもので、大したことはないのです。

■渇愛ではなく「他への貢献」を基準に目標に作る

    では、どうすればいいのでしょうか?    仏教は、「誰かに貢献してみてはどうですか?」と提案するのです。夢や目標を持つならば、「誰かに貢献できる人間になろう」と決めること。自然を守ることでもいいんです。それには誰も反対しません。足を引っ張ることもしないし、むしろ応援してくれるかもしれません。貢献する気持ちを持つ。この人間社会で自分が殺されてないだけでもめっけもので、人類に感謝しないといけないんですよ。世界の核兵器の数を考えたら……。またそれを振りかざしている国々の凶暴さを考えたら(北朝鮮のことではないですよ。皆さんが拝んでいる西洋の国のことです)……。
    貢献しようと考える人が現れると、それほどライバルは出てこないのに協力者は出てきます。あまり足を引っ張られないのです。夢・目標を作るなら、渇愛と違った、貢献する方向の夢を作った方がいいと思います。若者が音楽をつくるなら、音楽を通じて人々に安らぎを与えましょう、元気になってもらいましょうと。そうすると人気が出ます。みんなの幸せを願うと売れます。みんな自分のことしか考えてないところで、誰かが「あなたの幸せを願います」と歌ったら、みな飛びつきますよ。そうやって「貢献します」という気持ちで医者を目指すならば、勉強も身につきます。勉強できるような気持ちになるのです。
    これは、勉強する時の秘密でもあります。勉強しながら「これがどのように人類の役に立つのか?」という気持ちを入れておくと、内容をビシッと憶えていられます。夢と希望は渇愛です。しかし、夢と希望なしに生きるのも難しいのです。夢と希望を持つと、皆がライバルになって足を引っ張ろうとします。このジレンマを解決するために、違う形の夢をつくりましょう。それは、「皆に貢献する夢をつくる」ということなのです。



■出典      『それならブッダにきいてみよう:こころ編2」

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