〔ナビゲーター〕

前野隆司(慶應義塾大学)
安藤礼二(多摩美術大学)

〔ゲスト〕
神崎修生(福岡県信行寺)
西脇唯真(愛知県普元寺)


應義塾大学の前野隆司先生(幸福学研究家)と多摩美術大学の安藤礼二先生(文芸評論家)が案内人となり、各宗派の若手のお坊さんをお呼びして、それぞれの宗派の歴史やそれぞれのお坊さんの考え方をざっくばらんかつカジュアルにお聞きする企画、「お坊さん、教えて!」の連載第5回は、浄土真宗の神崎修生さん(福岡県信行寺)と西脇唯真(愛知県普元寺)さんをお迎えしてお送りします。


(2)念仏で救われる


■悪人正機

安藤    浄土真宗とはそもそもどういう教えなのか、また、浄土真宗を立てられた親鸞聖人はどういう方で、親鸞聖人の教えの核心はどこにあるか、お二人の個人的な見解で構わないので、お考えをお聞かせいただければと思うのですが、いかがでしょうか。

DSC_6519-s.jpg 164.12 KB
安藤礼二先生(撮影=横関一浩)
西脇    親鸞聖人の教えは「自分が何かなせば何かを与えられる」とか「自分の力で何かができる」というものではなく、かといって「ひたすらお念仏を称(とな)えればいい」という話でもありません。自分は煩悩を抱えたものなのだけれども、すべて阿弥陀様のはたらきにおまかせする。お念仏を称えることもすべて阿弥陀様のはたらきなのだ、そういう徹底的な他力であるところが大きな特徴です。
    親鸞聖人の有名な言葉に「悪人正機」というものがあります。悪人正機の悪は倫理的な善悪の善悪ではなく、「宗教的に修行ができない者」「仏様に近づけない者」という意味です。そしてまさにそういう悪人こそが仏様の救いの目当てである。これが親鸞聖人の教えの大きな特徴であると思います。
    私は小さい頃から浄土真宗の法話を聞いて育ちました。法話では自分自身の凡夫性、愚かであること、そしてそういう人をも見捨てない阿弥陀様のはたらきが説かれます。そういう法話を聞いているうちに「ああ、自分はこれでいいんだ」「自分は小さくて愚かだけどそれいいんだ」と少し楽になれます。
    存在の居場所を与えてくれて、日々私たちが価値判断しているような価値を超えた絶対的な価値を教えていただけるところが浄土真宗の良いところではないかと思っております。

神崎    浄土真宗の宗祖は親鸞聖人ですが、親鸞さんは自分で宗派を興そうとされたわけではありません。法然聖人は天台宗の中の一つであった浄土教を「浄土宗」という宗派として独立されましたが、親鸞さんには宗派を立てるという意図はなく、あくまでも自分は「法然聖人の門弟である」という立場を崩しませんでした。法然聖人が説かれた教え、すなわち阿弥陀仏という仏様によって救われていくという教えに救われて、それを依りどころとされていたのです。
    その後、親鸞聖人のひ孫にあたる覚如(かくにょ)さんという方が親鸞聖人のお墓の寺院化に尽力しまして、本願寺を中心とし、親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗ができたという経緯がございます。
    親鸞聖人が残されたいろいろなお書物を見ますと、「悪人正機」という考え方が色濃く出てきます。罪や悪を重ねた人ももちろん悪人に含まれますが、西脇さんが仰ったように「修行ができない者」という意味が、「悪人正機」における悪人という言葉には含まれています。
    親鸞聖人ご自身もいろいろな仏道修行をなさったけれどもできなかったと言われています。できなかったと言っても何日かやってみてできなかったという話ではなく、9歳でお寺に預けられて以来、29歳までのおよそ20年間、仏のさとりの智慧を得るためにいろいろな修行をずっと続けておられます。しかし、修行を重ねても欲がまったく捨てられない、自分中心の考え方が捨てられない、そんな自分が見えてきて、他者と自らとを区別しないような慈悲と智慧をそなえた仏様と自らとがあまりにも乖離していることに絶望されたと言われています。
    仏道を自らの力で歩むことに限界を感じた親鸞聖人は、比叡山を降りて法然聖人のもとに行かれました。
    そして、仏道修行に励むこともできず、罪や悪をも重ねてしまい、自分中心の考え方で生きていることにもなかなか気づくことができない、そういう人でも救おうとしてくださったのが阿弥陀様である。その教えに出遇って救われていかれたのです。
    絶望と救いの喜びの両方を抱えた方が親鸞さんであり、それを端的に表しているのが悪人正機です。仏道修行に励むことができず、自らの力で仏の智慧を得ることもできない人こそが、まさに阿弥陀如来、仏様の救いの目当てなのだと。これが浄土真宗の一つの特徴であると思います。
話をしている写真(神崎修生)2-s.jpg 137.35 KB
神崎修生さん(写真提供=神崎修生)

■末法思想と阿弥陀仏

安藤    「お坊さん、教えて!」の第1回、真言宗のお話では「大日如来は自分の内側にある」というお話でしたが、今お話いただいた阿弥陀如来というのは、表現として正しいかどうかはわかりませんけれども、絶対的な向こう側にあるようなもののようです。大日如来と阿弥陀如来は我々の内側と外側、そういった対比があるように感じました。我々がそのような遠い存在とどうやって関係を持てばよいのかが、これが今回は重要なテーマになってくるのではないかと思いますが、お二人の個人的な考えでまったく問題ありませんので、いまの件に関しまして何かお考えになっていることがありましたらお聞かせください。

神崎    仏教には三学という基本的な修行があります。三学とはすなわち戒定慧です。戒はお坊さんとしてのあるべき行動を守っていくというもの。定は身や心を定めていくこと。慧は仏様の智慧を得ていくことです。
    親鸞聖人の師匠である法然聖人は、自らを「三学の器にあらず」と仰いました。法然聖人は三学では仏のさとりには至れないとお感じになり、それでガラッとひっくり返して「仏様のほうから救ってくださる」という捉え方をされたのです。
    同じく三学を修められなかった親鸞聖人は、法然聖人の門弟になり、阿弥陀仏という仏様によって救われていく道を歩みます。「阿弥陀様の救いに出遇わなければ自分は救われなかった」という思いは親鸞聖人親鸞聖人が残してらっしゃる文献からもにじみ出ています。
    法然聖人や親鸞聖人の時代は平安末期から鎌倉です。源平の合戦などの内乱があり、飢饉や疫病も非常に流行った時代でした。同時代に鴨長明さんが書かれた『方丈記』には、当時鴨川には死体が積み上がっており、京都の街中でも腐敗臭がしていたと書かれています。
    そういう時代の中、「お釈迦様がいる時代は素晴らしい時代だった。しかしだんだん時を経るに従って、お釈迦様の教えは残っていてもその教えを実践する人たちがいなくなり、行もできない、さとりもひらけない時代になった」と考える「末法思想」が広がり始めました。一説によれば西暦1000年代くらいから末法の時代に入っているそうですが、いわばこの世の終わりのような苦しい世界から我々が救われる道はないのだろうか。そういう発想から、皆が救われる「極楽浄土」という場所が捉えられていたのだと思います。
    それまでの日本において、仏教はある意味ちょっと限定された人々のものでした。しかし平安末期から鎌倉にかけて、「今のままではさとりのひらきようがない。阿弥陀様という仏様に救われていくのだ。そしてお浄土という仏様の国に生まれさせていただくのだ」という法然聖人や親鸞聖人の思想がだんだんと民衆に広がっていったわけです。


■念仏が阿弥陀仏と凡夫をつなぐ

神崎    じゃあどうやってそれを成立させるのか。それが安藤先生のご質問にあった「遠くの存在と我々凡夫との接点」の話になるかと思いますが、浄土真宗、浄土宗では念仏、すなわち南無阿弥陀仏と称えることがそれに当たります。
    念仏とは念じる仏と書きます。念仏とは口で称えるものだけでなく、もともと「仏様を念じるもの」という意味がありました。しかし「仏様を念じる」という行為はなかなか難しいものです。仏様の姿をありありと思い浮かべたり、仏様を心に思ったりしたくても、つい我々の心は散乱してしまいます。
    そこで出てきたのが、南無阿弥陀仏と仏様のお名前を称える念仏です。「私はこの阿弥陀様におまかせいたします」と称えていく中で救いが成立する、という発想にだんだんなっていったわけです。
合掌写真(神崎修生)1-s.jpg 121.95 KB
お念仏を称える神崎さん(写真提供=神崎修生)
    念仏を媒介にして我々が救われていく。遠い存在である我々が阿弥陀様とつながっていく。念仏とはそういうものだと私は認識しています。

西脇    安藤先生が仰った「遠い存在」というのは本当にその通りです。浄土宗の中には「仏様と一体化する」という考え方もあると聞いたことがありますが、浄土真宗ではあくまでも私たち凡夫と仏様というのはまったく別の遠い存在であると考えます。
    それをつなげるのがお念仏で、「お念仏によって南無阿弥陀仏の主になる」「御念仏によって阿弥陀様が入り満ちる」、そういうふうに浄土真宗の法話では表現されることが多いです。私が仏様になるわけではないけれども、お念仏によってつながるという感覚があります。

(つづく)



2021年慶應SDMヒューマンラボ主催オンライン公開講座シリーズ「お坊さん、教えて!」より
2021年8月30日    オンラインで開催
構成:中田亜希



(1)お坊さんになったわけ
(3)なぜ東本願寺と西本願寺に分かれたのか