アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「株式投資はいけないこと?」という相談に、スマナサーラ長老が答えます。

[Q]

   株や外貨といった投資で資産を増やす事が可能な現代社会。私も外貨為替(FX)といった投資で、資産を着実に増やしていっています。ところが、一般的には「たいした仕事をしていないのに高収入を得るのは罪だ」と考える風潮があります。確かに投資で資産を増やすということは、決して朝から晩まで汗水たらして働くということではありません。何もしなくても収入が増えることもあります。「収入に見合った仕事をしなければいけない」という場合、私は罪を犯していることになるのでしょうか?
    仏教的には、株や外貨といった「投資」はいけないことになるのでしょうか?
    ただ、私としては、本業の仕事を誰よりも頑張っていますし、今の収入に見合った仕事は今の段階では充分にしていると思います。


[A]

■投資も立派な仕事です

    株などの投資も収入を得るための立派な仕事です。お釈迦様の時代にも投資家はいました。金を商人に貸し、利益の一部を得ていたそうです。それは否定されておりません。
    充分な仕事をして収入を得る、それほど働いてないのに高い収入を得る、という二つをどのように判断すればよいのでしょうか?
    しっかりした仕事で収入を得る場合、安全性は高いのです。自分の仕事に対して、雇われた側に報酬をあげる義務が生じます。もし払わなかったら法律的に裁くこともできます。
    投資の場合はこの安全性が成りたちません。為替が下がって自分が損をしても誰も訴えることはできません。安全性は無いのでどこか運任せのような収入資源になりますね。しかし、この仕事もどんな人にもできる仕事ではありません。資金・知識・判断力なども必要ですから、普通の仕事と変わりはありません。

■高収入は善業のおかげでも「徳の補充」は欠かせない

    仏教の立場から見れば、過去の善業(徳)が高い人は、少ない労働力で高収入を得ることが普通です。しかし、過去の業といっても、その効き目は徐々に減ってゆきます。
    仏教徒がそのように恵まれた条件で生まれたならば、業が減って、大惨事にならないように注意して生活するのです。
    具体的に言えば、収入の一部を寄付などの行為で他人のために使用すること、傲慢にならないで、自我を制御して、謙虚に暮らし、贅沢三昧には注意することです。
    それから、慈悲の実践を日常の生活習慣にするのです。(徳が一つ減ったら、三つぐらいの徳を補給しておくやり方です。)

■仕事のためでも生命に迷惑をかけないこと

    お釈迦様と出会ったあるバラモンが「労働しない釈尊・出家・行者達の生き方より、重労働して生計を立てている自分たちの生き方の方が大果になるのだ」と言いました。お釈迦様は、「たくさん労働があるからといって、農業などの職業が断言的に優れている、労働が少ないから商売は劣っているとは言えません。農業はたくさん労働があっても、豊作になれば幸福になるし、凶作になったら大損をする。商売も良い値段でものが売れれば幸福になる。売れなかったら損をする」と答えたのです。
    この答えの趣旨は、労働が要るか要らないかではなく、選んだ仕事を良い結果になるようにするべきだということです。今回の質問にもこのエピソードを適用できるでしょう。
    一貫して言えるのは、例え仕事だからといっても悪行為をしてはならない。罪を犯してはならない。生命の迷惑になってはならないというところです。


■出典    『それならブッダにきいてみよう:ライフハック編』 

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