〔ナビゲーター〕
前野隆司(慶應義塾大学)
安藤礼二(多摩美術大学)
〔ゲスト〕
河口智賢(山梨県耕雲院)
倉島隆行(三重県四天王寺)
平間遊心
慶應義塾大学の前野隆司先生(幸福学研究家)と多摩美術大学の安藤礼二先生(文芸評論家)が案内人となり、各宗派の若手のお坊さんをお呼びして、それぞれの宗派の歴史やそれぞれのお坊さんの考え方をざっくばらんかつカジュアルにお聞きする企画、「お坊さん、教えて!」の連載第7回は、曹洞宗の河口智賢さん(耕雲院)と倉島隆行さん(四天王寺)とスペシャルゲストに平間遊心さんをお迎えしてお送りします。
(5)禅僧と社会とのつながり
■人に寄り添うお寺を目指して
安藤 「お坊さん、教えて!」のこれまでの回で、お坊さんの皆さんが、お寺というものを新しい教育施設や人々が集まる場所に変えていきたいという切実な想いをお持ちになられていて、実際にそういう活動をされていることを知りました。曹洞宗の皆さんにも、お寺の運営についてどのように考えられているかお伺いしてもよろしいでしょうか?
河口 東日本大震災にボランティアで入ったときに、私は「人に寄り添う」「人の話に耳を傾ける」ということがすごく必要されているということに気づかされました。お寺の建物がこんなに大きいのも、お寺というものが地域の中で何百年も根付いてきたのも、寺子屋だったり駆け込み寺であったり、やはり人に寄り添う場所だったからではないかとあらためて思いました。もちろん御供養なども大事なのですけれども、やはりお寺の本質は「どう生きるか」に関わることであって、皆様の生きる苦しみを少しでもやわらげるための活動をお寺の中ではしていくべきではないかと思ったのです。
それで今はこども食堂をやらせていただいたり、学童保育で子どもたちに学びの場を提供したり、お寺を開放して地域の方にマルシェをやっていただいたりしています。私たちが門戸を広げさえすれば、けっこう皆さんに使っていただけるんだなと実感しているところです。やっぱり行動ですよね。行動を起こすことによっていろいろなことが見えてきました。
耕雲院を解放して行われているマルシェ(写真提供=河口智賢)
600年以上続いてきたお寺を次世代につなげていくためにはどうすればよいのか。現代のお寺は檀家制度によって維持運営ができているけれども、社会や家族形態がどんどん変わり、弔いということに関しても意識の変化が起きている中で今後どうしていけばよいのか。「坊主丸儲け」と言われることと実際のギャップもあります。そういうときに曹洞宗の全国曹洞宗青年会という若い青年僧侶の組織に入らせていただいて、倉島さんともそこで出会ったのですけれども、そこで同じ悩みを持っているお坊さんと出会ったことは大きな力となりました。
これからも求めていらっしゃる方々のために、私たちのほうからどれだけ発信して手を差し伸べていけるかだと思っております。オンラインでの坐禅会も始めましたし、いろいろなことがつながってきております。
安藤 ありがとうございます。とても示唆的なお話でした。
■お坊さんの普段の過ごし方
安藤 曹洞宗の皆さんの具体的な日常の過ごし方というのはどのようなものなのでしょうか?
倉島 遊心さんは普段何をされているのですか? 私もお聞きしたいです(笑)。
平間 そうですね、私はお寺を運営していないのでかなり時間があります。まず朝は坐禅を2時間ほどやっておりまして、その他の時間はほとんど読書です。「贅沢な生活だな」と皆さん思われたかもしれませんけれども、そういうふうに面白い本を読みつつネットの活動につなげるという貧乏暮らしをしております。
お金をほとんど使わない生活の中でも、坐禅をすることでやりがいや喜びが生まれてくるのは本当に励みになります。これは曹洞宗ならではのことではないかと感じております。
ふらふらと楽しいことばっかりやっておりますが、本当に私の人生においては、修行が役に立っているというか――役に立つというのは曹洞宗の教義上はよくない表現なのですけれども、修行が私の人生に大きな影響を及ぼしているということを、いま生活を送る上で体感しております。
倉島 羨ましすぎます(笑)。
平間 ありがとうございます(笑)。
倉島 河口さんはどうですか。
河口 普段の一日に関しては、朝は坐禅をして、そして朝のおつとめをして、日中はお檀家さんの檀務(だんむ)をしたり、役所に行ったり、あるいは地方創生に関わるような仕事で業種関係なくいろいろな方々と話し合って、どうすれば地域がよくなるのかとか、お寺を使ってもらえるのかといったことに力を注いでおります。
また私たちの生活は年分行事、月分行事、日分行事とやることが細かく決まっております。年分行事としては、たとえば布薩(ふさつ)といって戒律をちょっと犯してしまったり、何か悪いことをしてしまったときに礼拝(らいはい)をして謝る儀式があったりですとか、そういった儀式がその都度その都度ありますので、そういったものをやりながら一年を過ごさせていただいております。
様々な儀式が行われている耕雲院の本堂(写真提供=河口智賢)
倉島 私は四天王寺でこの8月から介護施設をオープンいたしました。介護度の高い、寝たきりとか車椅子の方に歩く練習をしていただいて、もう一回自分の自立した生活を取り戻してもらうための自立支援介護です。そこで私は毎日、朝と昼に皆さんと一緒に椅子坐禅をやらせていただいております。
通所介護施設「四天王寺庵」にて椅子坐禅を指導される倉島さん(写真提供=倉島隆行)
四天王寺を建立された聖徳太子も1400年前に四箇院(しかいん)という介護福祉施設といいますか、社会的弱者の方々に対する救済措置としてのお寺を運営されておりました。やはりお寺というのは地域でのそういう役割を担っているのだなとあらためて実感しております。
車椅子の方々に「元気になったら何をしたいですか?」と聞くと「お墓参りに行きたい」と皆さん仰るんです。これがリハビリにチャレンジする一つの目標になるんですよね。小さい頃にお墓参りをしたことや、仏様に手を合わせたことは、やはりずっと忘れずに五感の中に宿っているのだなと感じます。
お寺の檀務もありながら、自立支援介護にも関わり始めて、非常に忙しく走り回っているのが実情でございますけれども、そういった意味でもお寺でやらせていただく意義というのを感じながら日々やっております。
安藤 私が民俗学の調査で沖縄のお祭りに参加したときに、お祭りの音楽が奏でられはじめて仮面をかぶった神が現れると、普段は車椅子で過ごされている方がその場にいきなり立ち上がって踊り出したことを思い出しました。病院の悪口でもなんでもないんですけど、病院という場所で過ごすと人間が持っている潜在的な能力って、どんどん弱まっていってしまうような気がしますよね。
倉島 私の師匠も入院して、車椅子から寝たきりになりましたけれども、120kgぐらいあった体が最後は本当に骨と皮だけになった姿を見て、本当に無常を感じました。
やはり人間が最期まで尊厳を持って輝かしく生きるために、本道とは違うかもしれませんが、自分ができることとして、まずは自立支援介護をしよう、そういった現場で坐禅をしていこうと思って、今やらせていただいております。
■映画「典座―TENZO―」
──倉島さんは2018年に映画「典座―TENZO―」を製作・プロデュースされたと伺いました。そのきっかけなどについてお聞かせください。
倉島 私は2007年にダライ・ラマ法王を伊勢に招く委員会に参加し、宗教の枠を超えた「伊勢国際宗教フォーラム」の委員として活動しました。そしてダライラマ法王が伊勢の地に来られた時にですね、「倉島、今の日本仏教は駄目じゃないか」と言われたんです。「今の日本仏教は昔の経典ばかり読んで法話している。そうじゃなくて自分自身の言葉で仏教を説くんだ。いいか、倉島。そんなお袈裟を着けて形だけ調えている場合じゃねえぞ」と、大変厳しく言われました。こんな関西弁ではありませんでしたけど(笑)。
そのダライ・ラマに対するアンサーが曹洞宗における食の大切さ、命の循環をテーマにした「典座―TENZO―」という映画なのです。私の背景にあるこちらですね。
映画「典座―TENZO―」の説明をされる倉島さん
「普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)」、すなわち「坐禅は誰でもできるのだから、みんなやりなさい」と広く門戸を開かれた道元禅師の本当にありがたい慈悲のお心によって、曹洞宗は現在まで脈々と続いてきました。地位や性別、学歴などに関係なく、本当に仏心を持って修行した者が悟りを開くことができるという世界を、少しおこがましいながらも「典座―TENZO―」の1時間に込めさせていただいております。
映画撮影中のひとコマ(写真提供=倉島隆行)
エンディングも当初は河口さんが御詠歌という節回しのあるお経を一人でお唱えして終わるというシーンが予定されていたのですが、そこだけ監督にお願いして、尼僧の青山俊董老師とのコラボレーションにしていただきました。道元禅師も「男女(なんにょ)を論ずること勿れ」と仰っていますし、これからの日本仏教はハーモニーを持ってこそ花開くと思いのもと、エンディングでもハーモニーを体現させていただきました。
ありがたいことに「典座―TENZO―」はカンヌ国際映画祭に選出していただき、ダライラマ法王からも「よくやったな」とお祝いのコメントをいただきましたので、ぜひとも、この下手くそな、大根役者の我々の演技を見て笑っていただきたいと思っています(笑)。
カンヌ国際映画祭にて(写真提供=倉島隆行)
前野 あはは(笑)。
河口 「典座―TENZO―」を作らせていただいてありがたかったですね。この映画は少し複雑な構造をしていまして、フィクションとドキュメンタリーが交互に出てくるようになっています。普通の映画ですとシナリオと脚本を作ってから撮影を始めていくのではないかと思いますが、「典座―TENZO―」は青山俊董老師にお話を伺って、そこからシナリオを作ったという映画でした。
青山俊董老師との対話シーンにはシナリオがなく、監督から「好きなことを聞いていい」と言われましたので、「お寺を継ぐのをやめようと思った」ということをまず伝えさせていだきました。それに対して青山老師が「それでいいんだ。反発していい。選んで選んで選び抜いて、そこに価値があるんだ」と仰ってくださったときに、自分の心の中ですーっとしたものがありました。「あ、お坊さんは迷っちゃいけないと思っていたけれどもそれは奢りだった。お坊さんもいろいろなことに悩み苦しむことは必要なんだ」と気づかせていただきました。こういう混沌とした時代ですから、「迷ってもいい、悩みがあってもいい」ということを皆さんにも知っていただけたらと思っております。そんな映画です。
カンヌで記念撮影(写真提供=河口智賢)
倉島 それからこれはオフレコなんですけれども、この映画に関しては宗門関係者から口宣を頂戴しました。とんでもない映画を作ったなと(笑)。お坊さんが作業着を着て泥だらけになっていたり、お酒を飲んだり煙草を吸っていたりするようなシーンがあるのですが、「こんなシーンを入れないで、四季折々の修行の姿などをもっと美しく表現すべきだった」とクレームのお葉書なども全国から頂戴してやばいなと思ったことも付け加えさせていただきます。
(つづく)
(4)臨済禅やマインドフルネスとの違い
(6)曹洞宗と道元禅師との関係性