〔ナビゲーター〕
前野隆司(慶應義塾大学)
安藤礼二(多摩美術大学)
〔ゲスト〕
河口智賢(山梨県耕雲院)
倉島隆行(三重県四天王寺)
平間遊心
慶應義塾大学の前野隆司先生(幸福学研究家)と多摩美術大学の安藤礼二先生(文芸評論家)が案内人となり、各宗派の若手のお坊さんをお呼びして、それぞれの宗派の歴史やそれぞれのお坊さんの考え方をざっくばらんかつカジュアルにお聞きする企画、「お坊さん、教えて!」の連載第7回は、曹洞宗の河口智賢さん(耕雲院)と倉島隆行さん(四天王寺)とスペシャルゲストに平間遊心さんをお迎えしてお送りします。
(6)曹洞宗と道元禅師との関係性
■在家が修行する道
安藤 遊心さんが在家で修行を始めるにあたり、曹洞宗にしかその場が見つからなかったということでしたが、鈴木大拙や西田幾多郎、夏目漱石はかつて在家として円覚寺で学ばれていました。
平間 円覚寺居士林(えんがくじこじりん)ですね。
安藤 そうです。そこでふと気になったのが、いま仏教に興味がある人が仏教の修行をしたいと思った場合、そういう人は潜在的にかなり多いのではないかと思うのですが、どういう道があるのかということです。
鈴木大拙の時代は、円覚寺が居士林を開くことによって、後の文学者や哲学者たちがそこを起点に大勢生まれました。現代においてそれはどうなっているのか。遊心さんご自身の経験を踏まえながら何か教えていただけるとたいへんありがたいです。
平間 その点については確かに二人の大先輩よりも私のほうが詳しいので個人的経験から申し上げたいと思います。まずですね、お寺に生まれて責任感を持ってお坊さんになってお寺の運営をされている方々が日本には大勢いらっしゃいまして、現代はそういう方々に対する批判がものすごく多いです。私自身も一般人出身なので、「お寺に生まれただけでお坊さんになった人たちよりも私はやる気を持ってやっているんだ!」とナイーブに考えていた時期もありました。
しかしこの考え方は修行を重ねるにつれて少なくなっていきました。それよりも、そういう方々のおかげで仏教がアクセス可能な形で日本に残っていることの功績のほうが余程大きいんだなと感じられるようになりました。曹洞宗の寺族(じぞく)の方々が大変な苦労を重ねて寺院というものを現代まで残してきてくださったことに対して、本当にありがたいと思うようになりました。
安藤先生からのお話につなげますと、やはり一般の人がアクセスできる実践仏教の場はものすごく少ないと思います。お檀家さんとしてお寺さんを支えるという形で仏教と関わることはできても、仏教の実践によって自分の人生になにかしら変化を与えたいと考えたときに、じゃあどのような選択肢があるのかというと、ほとんどないのですよね。私が10年前にインターネットで調べたときにも、「1日修行体験」とか、あるいは「お坊さんとして仕事したい方、まずは事務から始めてみませんか?」というような候補はたくさん出てきましたが、「真面目に修行をしてみたい方、うちで何カ月でも何年でも修行してみていいですよ」という場所は本当になくて、私が唯一見つけられたのが曹洞宗の安泰寺だったのです。もちろん他にもあったかもしれませんけど、私がやっと見つけられたのが安泰寺でした。
私の場合はこのように曹洞宗で修行をする道に出会いましたけれども、いま仏教に興味がある人が仏教の修行をしたいと思った場合はどうでしょうね。家の近くのお寺や菩提寺のご住職に「仏教を実践したいのですが」と聞いてみたとしても、宗派に関わらず一般的には「面倒くさいな」と思われる可能性が高いように思います。私の現在の活動もそのような現状になにかできることはないかと、仏教実践に興味のある方々の助けになるように考えている面が多いですが、もちろんできることは限られています。
ですから仏教の実践をしたい人たちに、テーラワーダ仏教が重宝されるようになってきていているのではないでしょうか。
(写真提供=平間遊心)
■老荘思想と禅宗、そして道元禅師との関係
前野 今までの宗派では大日如来や阿弥陀如来が出てきたりして、「ああ、なるほど、そういうことだったのか」と思ったりしていたのですが、道元禅師の場合は「ただ坐りなさい。いや、ただ坐るだけじゃないんだよ」というスタンスが、他の宗派と大きく違うという印象を受けました。
それからもう一つ、私の拙い知識で恐縮ですが、達磨さんが中国に行ったときには老荘思想が流行っていた。だから達磨さんは老荘思想の影響を受けている。だから禅宗は老荘思想と仏教の合いの子なんだという意見も聞いたことがあります。
確かに禅問答と老荘思想は似ているような気もするのですが、そのあたりについてはどのようにお考えでしょうか?
平間 まず御本尊の話で言うと、やっぱり道元禅師が一番好きなのは、好きというのも失礼ですけど、やはり釈迦牟尼如来ですよね。お釈迦様のことが大好きで尊敬していましたので、やはり同じように仏道を歩んだ諸仏、諸祖の皆さんのことは大変尊敬していて、その方々と同じように私たちも修行しなくてはならないのだと強調していました。
それから禅は老荘思想の影響を受けているのかという話ですけれども、もちろん老荘思想や儒教、道教は禅にものすごく大きな影響を与えています。中国の禅僧たちはその影響を受けた上で、修行不要論、すなわち「坐禅によって悟りを開いたら、その後は、生活の中で悟りを生かしていくことが大事であって坐禅はもう必要ないのだ」ということを提示し始めました。
それに対して「修行を続けていく仏教が本物の仏教なんだ」と明確に批判したのが道元禅師です。つまり、老荘思想や儒教、道教の影響を無意識に受けていた禅の伝統から、意識的にそれらの影響を排していったのが道元禅師であると言ってよいかと思います。
前野 なるほど。
河口 平間さんが仰る通り、道元禅師は本当にお釈迦様がお好きで、正伝(しょうでん)の仏法をただただ追い求めていかれました。当時は簡単に中国へ行ける時代ではありません。船で数カ月かかりますし、運が悪いと上陸すらできません。
そういう中で中国へ行かれて、道元禅師は不立文字(ふりゅうもんじ)や眼横鼻直(がんのうびちょく)といった言葉を持ち帰ってこられました。そのことからも、やはり道元禅師の求められたことというのは偶像崇拝ではなく、「自己の中に何を見出すか」であったのではないかと思います。菩薩や諸仏、諸祖の皆さんを敬いながらも、その中で「自分が今どうあるべきか」を探究する。道元禅師とはそういう方であったと私はとらえております。
■曹洞宗と道元禅師
前野 さらにお聞きしたいのは、中国の曹洞宗と日本の曹洞宗は違うのかということです。やはり日本の曹洞宗は道元禅師の影響が大きいのでしょうか? それとも道元禅師を必要とした日本の曹洞宗も、やはり中国からの伝統を引き継いでいるのでしょうか?
平間 これについては学者さんの間でも意見が分かれるところです。道元禅師は独特の思想をお持ちでしたが、曹洞宗という教団としては二祖の懐奘禅師(えじょうぜんじ)以降、実は日本達磨宗(にほんだるましゅう)出身のお弟子さん方がつづきます。
日本達磨宗の開祖は大日房能忍(だいにちぼうのうにん)といって、通信教育のような形で中国の禅宗流派から悟りの免状をもらった和尚なのですけれども、その宗派は今の臨済宗さんと似通ったような形の、どちらかといえば「本来の自然なあり方でありさえすれば、人間は救われているのだ」ということを強調するような伝統です。もちろん、二祖以下道元禅師のお弟子様方は皆しっかりと道元禅師の教えを受けられたのですが、道元禅師の独自性を考えると曹洞宗という教団とは分けて考えたほうがいいかもしれないですね。
倉島 どうしても、私たちは道元禅師を哲学者であるとか文学者であるとかジャンル分けして「こういう人であろう」とくくりたくなりがちなのですけれども、道元禅師という人はそれを超越した世界観にいらっしゃるといいますか、やはり本当に正伝の仏法のみに価値を見出しておりましたので、何かの分類といったものにはあまりとらわれていなかったような方かなという気はいたします。
(写真提供=倉島隆行)
河口 道元禅師自身も変化していかれました。最初は文字はいらないと言っていましたけれども、後に書物を書き残されていたりとかですね。いろいろな経験の中で変容されていかれたというところは、我々も学ぶべきところであると思っております。何かにこだわってずっとこうじゃなければいけない、ということでもないのかなと思います。
(つづく)
(5)禅僧と社会とのつながり
(7)法話と人間関係