藤本 晃(誓教寺住職・『ブッダの実践心理学』共著者)


アルボムッレ・スマナサーラ長老『ブッダの実践心理学    アビダンマ講義シリーズ』の共著者である藤本晃先生より、アビダルマを学ぶことで私たちの行動がどのように変容していくかについてご寄稿いただきました。全4回連載の最終回です。


第4回    『ブッダの実践心理学』全巻紹介


●『ブッダの実践心理学』

「アビダンマッタサンガハ」は仏典に説かれているエッセンスをまとめた術語集のようなものですが、スマナサーラ長老が、その術語一つ一つを現代的な説法のように解説しました。『ブッダの実践心理学』シリーズは、現代人の関心に応じて心や物質や世界のからくりを縦横無尽に解き明かす内容になっています。『ブッダの実践心理学』の順に沿って内容を簡単にご紹介しましょう。


☆第一巻「物質の章」

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『ブッダの実践心理学    アビダンマ講義シリーズ
第一巻    物質の分析』
アルボムッレ・スマナサーラ/藤本晃[著]
(サンガ、2005年    →電子書籍版、サンガ新社、2022年)


    物質はすべて、決して切り離せない四元素「地・水・火・風」のさまざまな組み合わせでできています。
    生命の身体は、心と業が物質を自分の都合で作り上げた心身複合体です。身体の感覚器官を通して心が外界を「認識」し、身体を動かしています。常に壊れつつある身体を栄養を取り入れてなんとか保っています。
    宇宙の始まり方と終わり方。宇宙がなくなったとき。宇宙とか空間とはそもそも何か。こういう問題も、物質の章に答えがあります。

☆第二巻「心の章」

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『ブッダの実践心理学    アビダンマ講義シリーズ
第二巻    心の分析』
アルボムッレ・スマナサーラ/藤本晃[著]
(サンガ、2006年    →電子書籍版、サンガ新社、2022年)


    心は物質ではありません。目、耳、鼻、舌、皮膚などで触れて分かるような味も匂いも音も色形もなく、固さも重さもなく、モノではないから場所を取らず、ただ認識するという働きだと定義されます。しかもそれは瞬間ごとに生滅を繰り返しています。それが心です。
    心とは認識する働きたった一種類ですが、「アビダンマッタサンガハ」では心の状態というかレベルを89種類に分けて説明しています。日常の悪心、日常の善心、禅定の段階ごとの心、悟りの四階梯ごとの心です。

☆第三巻「心の作用(心所)の章」

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『ブッダの実践心理学    アビダンマ講義シリーズ
第三巻    心所(心の中身)の分析』
アルボムッレ・スマナサーラ/藤本晃[著]
(サンガ、2007年    →電子書籍版、サンガ新社、2022年)


   スマナサーラ長老のテキストでは「心の中身」となっていますが、心が容れ物で、その中にいろいろ入っているというわけではありません。心が何かを認識するとき、「熱い」とか「痛い」などと感じる感覚、「欲しい」とか「嫌い」などと湧き上がる感情、落ち着いているとか浮ついているなどという心の状態が、いろいろくっついて認識しています。心はみんな同じ認識なのに、それはあまり気にならず、認識とセットで出てくる感覚や感情や心の状態などがどうしても目立ちます。その、どんな認識かという心に現れた作用が、「心所」と呼ばれています。
    心所は52種類にまとめてあります。13個は、「感受」など他の心・心所と必ず一緒に現れます。「貪」「瞋」など不善の心所が14個、「不貪」「不瞋」など浄らかな心所が25個です。

☆第四巻「心の生滅の章」

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『ブッダの実践心理学    アビダンマ講義シリーズ
第四巻    心の生滅の分析』
アルボムッレ・スマナサーラ/藤本晃[著]
(サンガ、2008年    →電子書籍版、サンガ新社、2022年)


    輪廻の、まず仕組みを解き明かします。今生きている私たちの心も身体も、本当は瞬間ごとに生滅を繰り返して一時も休まっていません。心身の生滅の連続は止まりません。現世の身体が壊れても心が何かにしがみついてまだ続きます。「生まれて死んで生まれて死ぬ……」を繰り返す輪廻は私たちの大きな関心事ですが、まずその仕組みをここで説明しています。
    物質も、心=認識作用も、刹那ごとに生滅を繰り返しています。しかし、スピードが違います。物質一回の生滅の間に、心は十七回も生滅を繰り返します。十七回のそれぞれで心の様子は異なります。眼耳鼻舌身を通して心が外界の情報に触れ(感じ)て滅する。その内容を次の心が思い起こして滅する。などなど。のんびり生きているように思われる私たちの心身が、瞬間ごとに目まぐるしく働き、生滅を繰り返しているのです。心身の生滅の連続が、輪廻の正体です。

☆第五巻「業と輪廻の章」

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『ブッダの実践心理学    アビダンマ講義シリーズ
第五巻    業(カルマ)と輪廻の分析』
アルボムッレ・スマナサーラ/藤本晃[著]
(サンガ、2009年    →電子書籍版、サンガ新社、2022年)


    まず輪廻の境涯を五つに分けて、苦が大きい方から順に地獄、畜生、餓鬼、人、天と、その生活状況を(!)説明します。天人に含まれる色界梵天と無色界梵天も説明します。これら五つの境涯が五道輪廻とも呼ばれます。あるいは地獄から欲界天までの欲界の生命と、梵天の二つの領域、色界、無色界と併せて三界とも呼ばれます。
    続いて、いわゆる転生を決める業の法則を説明します。死後どんな業が天に導くのか?地獄に落とすのか?という話です。業の強弱や業が結果を出すタイミングがここで語られます。

☆第六巻「縁起の章」

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『ブッダの実践心理学    アビダンマ講義シリーズ
第六巻    縁起の分析』
アルボムッレ・スマナサーラ/藤本晃[著]
(サンガ、2011年    →電子書籍版、サンガ新社、2022年)


    これまで徹底的に分析して物質も心もその作用も一瞬ごとの生滅にまで見極め、しかもその一つずつの性質まで解き明かしてきました。それらを今度は統合して説明します。関連する現象はどうしても「これによってこれ、これによってこれ」と続いて生起するシステムになっています。断ち切るには智慧が必要です。
    縁起のシステムですね。まず、これまで解き明かされてきた内容をユニットごとにまとめています。貪瞋痴の三毒など不善のユニット。善でも不善でもないユニット。そして悟りへの道に繋がるユニット。悟りへの道のユニットは、四神足、四正勤から八正道までのユニット、計、三十七菩提分です。
    そしていよいよ、十二因縁と、アビダルマで初めてまとめられた二十四縁を解説します。生滅の連続は、一つ生まれるたびに直前の業を感受し新たな業をつくりそれがまた次に生れる力となり、果てしなく続きます。そのような「生存」のカラクリを知って、どこかで断ち切ると、縁起≒輪廻の流れが断ち切れて、解脱に達します。

☆第七巻「瞑想と悟りの章」【*】

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『ブッダの実践心理学    アビダンマ講義シリーズ
第七巻・第八巻[合冊版]    瞑想と悟りの分析(サマタ瞑想編・ヴィパッサナー瞑想編)』
アルボムッレ・スマナサーラ/藤本晃[著]
(サンガ、2017年    →電子書籍版、サンガ新社、2022年)


    ではどうやって解脱に達しましょうか。その方法を教えるのがこの最終巻です。解脱に達する方法を二段階に分けています。
「二つと言えば、禅定と智慧ですね」とは簡単に言えません。一つ目の「瞑想」で解説されるのは、禅定に入るための瞑想法ではなく「四十業処」です。悟りという仕事に取り組んで解脱に至るためにどれか一つに集中して修行する「仕事の対象(業処)」が40項目挙げられています。それぞれの特徴を解き明かします。
    集中瞑想で禅定に入り、その集中力を保ったまま観瞑想で悟る、と、経典ではそれが王道のように説かれています。しかしアビダルマでは瞑想や悟りさえも、細かく分析します。一つ目の「瞑想」の項では、禅定の話ではなく、禅定に入るためにも解脱に達するためにも、集中するならこの40項目のどれかに集中しなさい、と、四十業処を教えるのです。禅定に入るためではなくしっかり観察すべき対象ですから、禅定に入るよりも結局は智慧が現れて、解脱に達するようになっています。
    二つ目の「悟り」の章では、悟りに達するまでの心の状態をさまざまに段階に分けて分析します。段階を経るごとに心はどんどん明晰になるのですが、最後に「我がなくなる」時に一瞬恐れが出たり、心の変化の描写がリアルで細かいです。
    解脱まで分析して、世界と心とそれを超えた領域すべての解明が終わります。

【*    サンガ刊では「全八巻(全七冊)」ですが、その最後の巻「第七巻・第八巻[合冊版]」は、今回は「第七巻」として理解します。】

●世の中を、自分を知って、それで何が変わるの?

『ブッダの実践心理学』シリーズでは「アビダンマッタサンガハ」を存分に解説しました。これが、言葉で知られる限りの世界と自分とそれらを超えた領域のすべてです。
    でも、知ってどうなるのでしょうか。書籍版の帯には「アビダルマを学ぶ効果」が三つ挙げてあります。「1. 自分と世間を理解できる」。これはそうですね。頭では理解しました。では、「2. 人格が向上する」と「3. 清らかな心が育つ」はどうでしょうか。
    これは、アビダルマを読んで考えて理解した「聞⇔思」だけでは、ちょっと足りません。しかし内容を納得するまで自分でもしっかり考えてみると、じわじわと、人格が向上し心が清らかになっていきます。
    頭で考えるだけでいいですから、徹底的に調べてみてください。本当に世界は心と心の作用と物質と涅槃の四つだけなのか。他にはないのか。心身の流れは本当にあの十二個の要素で循環しているのか。来世とか輪廻とか、本当にあるのか、あるいはないと言えるのか。
    「まあ、ここで言われていることがホントだよね」と納得できたら、それだけで頭が相当スッキリしていることと思います。悟りの第一段階・預流果の悟りも、「我があるという考えは間違い」と納得できただけのことです。「永遠不滅の私」とか「死んでも変わらない私の本質」などというものはないのだと納得できたたったそれだけのことで、何よりもまず「1.5. 心が落ち着きます」。
    納得して心が落ち着くと、自然に失敗が減ります。怒りや欲が減ります。こういうことが「2. 人格が向上」し、「3. 清らかな心が育つ」ということなのです。まだ「聞⇔思」だけで、修行なんか何もしていなくても、真理の一端に納得するだけで、自分が変わります。
    仏教への関心が深まったら、「修」に進んで解脱への道を一歩ずつ、実際に自分の心身で確かめてみてください。真理への道が続いています。

(完)



第3回    「アビダルマ」は仏教独自の教育法